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第5話 武蔵

 老人は足利善三あしかが・よしぞうと名乗った。


 「いやあ、改めて助けていただいて、ありがとうございました。道端で野垂れ死ぬところでしたわい」


 陣羽織も脱いで、紺色の古びた着物姿になった。全体的に色褪せているが、きちんと洗濯しているのか、不潔な感じはしない。そもそも、この家の中がとてもきれいに掃除されていて、とても老人、それも男の一人暮らしとは思えなかった。


 足利さんは正座して、両手をついて深々と頭を下げた。その隣で小次郎と呼ばれている女の子も、一緒に頭を下げている。


 「あ、佐々木です」


 名乗られたので、こちらも一応、名乗った。名前を言うと足利さんと小次郎は顔を見合わせて、何やら意味ありげにニコッと笑った。そして「佐々木……下のお名前は?」と聞く。


 「え、あきたけといいますが……それが何か?」


 「どんな字を書くのですか?」


 「昭和の昭に、武士の武です」


 「ほほう、ショウブですか。縁を感じるお名前ですな」


 不思議そうな顔をしている僕を放っておいて、足利さんと小次郎は顔を見合わせてニコニコ笑っている。


 いやいや、そんなことより。


 どうしてあんなところで倒れていたんですか? まあ、これはいい。心臓が悪いと言っていたので、発作でも起こして倒れたのだろう。なぜ戦国武将のコスプレなんですか? 独居と言っていたのに、その女の子は誰なんですか? 女の子なのに、どうして小次郎なんて名前なんですか?


 頭の中にクエスチョンが次々に沸いてくる。僕は記者という職業柄、気になったことは何でも聞いてみたくなる性格だ。だが、聞きたいことが多すぎて、まず何から聞いたらいいのかがわからない。


 足利さんが振る舞ってくれた日本酒は、サラリとした口当たりなのにガツンと辛くて、いかにも飲兵衛が好きそうなタイプだった。学生時代に日本酒にハマっていた時期があり、全国各地の地酒を口にしたことがあるので、少しは味がわかる。こんなのは一般受けしない。飲むのが好きな人向けだ。


 さっきから小次郎が気になって仕方がない。


 小次郎は足立さんの隣にちょんと座って、孫というより奥さんのようだ。ぽっちゃりしていると思ったが、はっきりと太っていると言った方がいい。パンパンである。特に腰回りが。着物姿なので妙にエロチックだった。


 たぬきみたいというのも、見間違いではなかった。太っているので顔がまんまるだし、いつも笑っているみたいな垂れ目が、まさにたぬきのようだ。小さな鼻に、おちょぼ口。たぬきか、おかめさんか、そのどっちかだ。


 「見ての通り、ただの隠居老人でしてな。毎日暇なので、勝手にこのあたりの警備をしておるのですよ。普通にやっていても面白くないので、こんな格好をしていまして」


 足利さんは頭をポリポリかきながら、照れ臭そうに笑った。そしてコップ酒をグイッと飲み干す。実にうまそうに飲む。小次郎は脇に置いた一升瓶を音もなく取り上げると栓を抜いて、当たり前のように差し出されたコップに手慣れた様子で注いだ。旦那が飲み終われば、当たり前のようにおかわりを注ぐ。気心の知れた古女房のようだ。


 小次郎は引っ込み思案な子なのか、帰宅した当初こそ慌てた様子で「大丈夫?」「もう無理しないで!」と足利さんに話しかけていたが、落ち着くと黙りこくってしまった。僕の方を見ようともしない。緊張しているのか、恥ずかしいのか。ときどきチラッとこちらを見るのだが、すぐに目を逸らしてしまう。


 この子、かわいいな。


 物心ついた時からスラリとやせている子よりもぽっちゃりした女の子がタイプで、高校の時に初めて告白した相手も「だるちゃん」というあだ名だった。だるまみたいな体形だったので、だるちゃん。「お前、よくあんなデブと付き合えるな」と周囲から冷やかされたけど、僕はだるちゃんのふくよかなところとか、ぽってりと厚ぼったい手のひらが大好きだった。大学入試で忙しくなって、いつの間にか別れてしまったけど。


 小次郎は僕のストライクゾーン、ど真ん中だった。体形だけではない。垂れ目で控えめなところもたまらなかった。気になって、立ち去ることができない。


 足利さんはもともと板前で、ここで自分の店を開いていたけど、もう何年も前に閉めてしまったという。時代劇のファンで、侍の生き様に憧れて着物や小物をコレクションしていることなんかを話してくれた。


 なるほど。だけど、こんな個性的なおじいちゃんなら地域で少し話題になってもいいはずなのに、全く聞いたことがないぞ。僕も朝早く出かけて夜遅くまで帰ってこないので、地域のことなど知るよしもないけど。


 だらだらと足利さんの相手をしていたら、コップが空いてしまった。小次郎が正座したままにじり寄ってきて、一升瓶を差し出す。チラッと目を上げて僕を見た。そのしぐさがかわいい。一升瓶をささげ持つ白い手がむっちりとしていて、2杯目を断れなかった。


 僕に酒を注ぎ終えて、小次郎が足利さんの隣に戻ったタイミングだった。


 「いつまでそんな与太話をしておるのじゃ!」


 コップに口をつけたところだったので、驚いてむせこんでしまった。振り返ると部屋の入口のところに、小さな女の子が立っていた。


 あれ? 小次郎以外にまだ孫がいるのか?


 小学校、ギリギリ高学年といったところだろうか。背が低いので、もしかしたら3年生くらいかもしれない。だが、顔立ちが大人びていて、低学年には見えなかった。くるっと大きな目、太い眉毛にへの字に結んだ大きな口。天然パーマだろうか、もじゃもじゃの髪の毛を頭のてっぺんで一つにくくっていて、まるでほうきのようだ。


 子供なのでそれなりにかわいい顔ではあるのだが、グッとにらんでいるので大人のような迫力がある。そして、この子も着物姿だった。深い赤に格子状の模様がある着物に、黒い帯を巻いている。まんまるな小次郎と違って、こちらはスラリとした子供らしい体形だった。


 「なんじゃ、武蔵も起きておったのか」


 足利さんは少し驚いた顔をしてその子を見て、小次郎の方を見た。小次郎は困った顔をして下を向く。武蔵と呼ばれた子はスタスタと部屋に入ってくると、僕と足利さんの間に割り込んで仁王立ちした。孫というには、あまりにも尊大。それに、この子も女の子なのに武蔵とは。


 ん? 小次郎? 武蔵? 剣豪の名前そのまんまじゃないか。しかし、いくら時代劇が好きだとはいえ、女の子に剣豪の名前をつけるか? 普通。


 「じじい、早う大事な話をせえ。酒を飲んでいる間に話そびれて、この男が帰ってしまったらどうするつもりじゃ」


 武蔵は僕を指差した。一応、客なのに、遠慮がない。


 「んん、じゃが、彼がそうでなかったらどうする。これまでもそういう例があったではないか」


 「何を言うとる。今日、何が起きたのか、早々に忘れたのか? もう自分でもわかっておるだろうが」


 武蔵は、困り顔の足立さんに詰め寄っていく。足立さんはわかっとると言いながら必死になだめようとするが、武蔵は止まらない。


 「はっきり言うぞ。じじいはもう寿命じゃ。長くない。早く次の持ち主を探しておかねば、わしらはどうなる!」


 「武蔵ちゃん!」


 それまで黙って下を向いていた小次郎が、顔を上げた。怒った顔をして武蔵をにらむ。だが、それは一瞬だった。


 「なんじゃ、小次郎は黙っとれ!」


 一喝されて、シュンとなってしまった。


 「忘れたか。妖刀使いは惹かれ合う。なんの縁故もないのに、この屋敷にやってきたこと自体が、素質がある証拠じゃ。ええから早う、わしらを引き取ってくれるように頼め」


 「ああ、わかったわかった。だから、ちょっと静かにしてくれんか」


 足利さんがなだめると、ようやく武蔵は静かになった。フンと鼻を鳴らすと小次郎の腕の中の一升瓶を引ったくるようにして奪い、栓を抜いてゴッゴッゴッと一気飲みした。


 え、小学生がお酒飲んだらダメでしょ!


 口を離すと「ぷはぁ」と息をついて、ドスンと荒々しくその場に座り込んだ。あぐらをかいて立膝をしたものだから、白い内股が丸見えだ。


 全く話が見えない。なんなんだ、この不思議なおじいちゃんと孫たちは……。戸惑っていると、足利さんは正座し直して、また僕に深々と頭を下げた。


 「お願いじゃ。わしが死んだら、この子たちの面倒を見てやってくれんかの」

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