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第6話 引き継ぐ

 「えっ……」


 呆気に取られて、言葉を失った。


 「いや、突然、こんなお願いをして、驚かせてすまない。だけど、佐々木くんにとっても悪い話ではないと思う」


 足利さんは頭を上げた。お酒が入って赤くなっているけど、真剣な表情だ。


 「見ての通り、わしは高齢だ。今年で96歳になる。心臓も弱っている。そう長くないだろう。わしには身寄りがない。死んだ後、この子たちを託せる者がいない」


 「そんなことより、わしらの話をせえ」


 武蔵が怒った顔をして、割って入った。


 「うむ……。オホン。実はこの子たちには、世話が必要なのだ。それも、きちんとわきまえた者の世話がな。そのやり方を、わしが生きている間に教えよう」


 「要するに手入れが必要というわけじゃ」


 武蔵は膝立ちになると、着物の袖をひらひらと振った。


 世話? 手入れ? 何のことだろう。病気でも抱えているのだろうか? 2人そろって? 


 「そういうことなら、市役所とか公的な機関にお願いしたらどうですか? 身寄りのない未成年者を保護してくれる制度が、確かあったと思うのですが」


 新聞記者をやっていると、自分が使わない制度のことも目にすることがある。戸惑いながら、うろ覚えなことを口にしてみた。足利さんと武蔵は顔を見合わせた。先程から小次郎は沈鬱な表情で目を伏せて、下を向いたままだ。


 「違う。そういうことではないのじゃ」


 武蔵は脇に置いた一升瓶の栓を、ドンと叩いた。


 「わしらは妖刀なのじゃ。刀、刀なのじゃ。だから、手入れが必要なのじゃ。人間の手入れがな」


 「武蔵……」


 足利さんは困った顔をして、たしなめるように武蔵の肩に手を置いた。


 ようとう? かたなと言うことは、妖刀? 何の話? 中学生の時に読んだ漫画に、そんなのがあった記憶があるが……。


 「申し訳ない。武蔵は見ての通り、子供でな。時々、わけのわからないことを……」


 「わけのわからないことではない!」


 言い訳をしようとする足利さんを、武蔵は強い口調で止めた。


 「ええい、まどろっこしい! 最初から本当のことを言わなければ、引き継いでもらえないではないか!」


 「だが、そんな荒唐無稽な話を、誰が信じてくれる? 少し黙っとれ」


 武蔵と足利さんは言い争いを始めた。


 「これまでも最初に全部話さないから、どいつもこいつも逃げて行ったのではないのか? わしらの正体を明かした上で、引き継ぐ覚悟をしてもらわないと」


 「それはそうだが、最初からそんな夢まぼろしみたいな話をしたら、誰も信じてくれないだろうが」


 互いに譲らない。武蔵は眉根に皺を寄せ、足利さんはこめかみに青筋を立てて言い合っている。


 いや、困ったな。やっぱり何だかややこしい人たちみたいだ。面倒なことに巻き込まれるのは御免だし、ここらで退散しよう。2人が言い争っている間がチャンスと思ってそっと腰を上げかけた時、小次郎がこっちを見ていることに気がついた。


 すがりつくような視線だった。


 「あの」


 小さいけど、よく通る声に、思わず腰を落とした。小次郎の声が聞こえたのか、今にも殴り合いを始めそうだった武蔵と足利さんがピタリと動きを止める。


 「あの、こんなこと、すぐには信じてもらえないと思うのですが」


 そう言って一度、視線を畳に落とす。少しだけ、間があった。


 「実は私たち、妖怪なんです」


 わしは違うぞ、とうめくように足利さんがつぶやいた。


 妖刀に続いては妖怪か。


 「妖怪といっても、人間に悪さはしません。ただ、人に混じって、この辺りで静かに暮らしているだけなんです。その静かな暮らしを守っていくために、どなたか人間の方の助けが必要なんです」


 「わしは静かでなくても構わんのだがな」


 武蔵の茶茶を無視して、小次郎は着物の胸元に手を当てて少し身を乗り出した。


 「ただでとはいいません。炊事、洗濯、掃除、身の回りのことは何でもさせていただきます。何なら、私でよければ、よ、夜伽の相手も……」


 自分で言いながら、小次郎はかあーっと真っ赤になった。色白なので、本当に真っ赤になる。それがあまりにもかわいくて、思わずキュンとしてしまった。


 「それに、わしらの世話をすると、もっといいことがあるぞ。善三、教えてやれ!」


 武蔵は膝立ちになって、足利さんの肩を平手でペチンと叩いた。足利さんはああ、うむと言ってゴホンと一つ、咳払いをした。


 「この子らの世話役になると、不思議なことに運が向いてくる。高額な宝くじが当たったり、株で大儲けしたりと、とにかく金に困ることがなくなるんじゃ。わしだけではなく、代々、持ち主はそうじゃったらしい。働かなくても、食っていけるようになる」


 「え、本当ですか?」


 ずっと言葉を失っていたけど、ここでようやく言葉が出た。それはブラック企業に勤めて働くことに疲弊していた僕には、何より魅力的な条件に思えた。


 「本当じゃ。実際に、わしも2人を受け継いだ直後に買った宝くじが当たって、それ以来、投資で食っとる。板前の仕事は趣味みたいなものじゃった」


 マジなのか? いや、ちょっと待て。妖刀とか妖怪とか、何やらあやしいことを言っている人たちだけに、嘘の可能性もある。とはいえ、本当だったら? このかわいいぽっちゃりの親代わり(親代わりというほど年齢は離れてなさそうだけど)になって、しかも働かなくていいなんて、天国じゃないか?


 小次郎は畳に手をついて、深々と頭を下げた。


 「どうか、どうか、お願いです。私たちの世話をしていただけないでしょうか」


 「そうだ! わしからもお願いするぞ!」


 武蔵は仁王立ちして腰に手を当てて、ニッコリと笑った。人にものを頼む態度ではない。


 「ん……そうだな。信じられないことだらけかもしれないが、近所の困った家庭を助けると思って、頼まれてくれんかな。何、ダメだと思ったら、やめてもらっても構わない。わしもすぐ死ぬわけではない。だから、それまでの間に知っていることは全て教えよう」


 足利さんも姿勢を直して正座すると、深々と頭を下げた。もう何度目だろう。この薄くなった頭頂部を見るのは。


 小次郎が顔を上げる。あのすがるような目つきで、チラッと僕を見た。


 いや、そんな顔で見られたら、断れない。


 妖刀とか妖怪とか、食って行くのに困らなくなるとか、そんなことはどうでもよかった。僕はただ単純に、この子と仲良くなりたかった。ちょっと変な、訳ありっぽい家の子だけど、事情がわかれば、大丈夫かもしれない。


 「わかりました。僕で務まるかどうかわかりませんが、とにかく一度、やってみます。いろいろと教えてください」


 僕も正座に座り直すと、足利さんに頭を下げた。


 「おお、そうか……」

 「やった!」


 足利さんは武蔵と、そして小次郎と顔を合わせると、3人とも見る見るうちに満面の笑みになった。


 「ありがとう。ありがとうございます。末長く、よろしくお願いいたします」


 小次郎は感無量といった表情で、目に涙を浮かべている。そして、また深々と頭を下げた。

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