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第7話 妖刀

 次の休日、足利家へと向かった。


 ゆっくりと起きて簡単な朝食を摂り、記憶を頼りに歩を進める。確か自宅のアパートから近かったはずなのに、たどり着かない。もしかして狐か狸に化かされたのだろうか? 足利さんのスマホを鳴らしてみると「迎えに行く」と言う。


 「まだ慣れてないから、わかりにくいかもしれないな。さあ、こっちだ」


 指示された小さなお寺で待っていると、作務衣のような上着にジーパンを履き、足にはサンダルをつっかけた足利さんが現れた。杖を持っているが、足腰が悪いわけではなさそうだ。ぶらぶらさせて、先に立ってスタスタと歩いて行く。


 「何度か来れば、わかるようになる。それともアレかな。武蔵を持ち帰ってもらうか。それともいっそのこと……」


 独り言をぶつぶつとつぶやきながら、とても90半ばを超えた高齢とは思えないスピードで歩いて行く。背筋もシャンと伸びて、年齢を感じさせない。お寺の裏手に回って狭い道を2、3度曲がると、見慣れた路地に出た。ああ、ここだ。狐に化かされたわけではなさそうだ。いま、化かされているのでなければ。


 家の前で武蔵が待っていた。小さな木製の椅子を玄関の前に持ち出して、座っている。着物の裾をはだけさせて股を開いて座っている。行儀が悪い。


 「やっと来た!」


 椅子からポンと飛び降りて、駆け寄ってきた。いつぞやと同じ赤い着物姿だ。


 「おお、武蔵」


 抱き止めようとした足利さんの横を通り過ぎて、僕の前までやってきた。


 「待っていたぞ! さあ、始めよう!」


 目をキラキラさせて、僕の手を引く。小さな手だったが、分厚くて力強い。


 「武蔵、そんなにあわてても、佐々木くんを混乱させるだけだぞ」


 足利さんは笑いながら先に立って、玄関に入っていった。武蔵は僕の手を引いて、玄関ではなく家の裏側に連れて行こうとする。


 「え、どこ行くの?」


 「いいから、いいから」


 戸惑いながらついていくと、裏手の庭に出た。それほど広くはないが、キャッチボールくらいならできそうだ。周囲は板塀で囲まれていて、その向こう側は雑木林だった。奥に洗濯物を干すスペースがあって、足利さんのものだろうか、シャツや下着が干してあった。


 「さて、と」


 庭の真ん中くらいまで行くと、武蔵はこっちを向いた。最初に会った夜は不機嫌で終始、怒っていた印象が強いのだが、きょうはニコニコしている。明るい日差しの下で見ると、目鼻立ちのはっきりとした、なかなかの美人だ。大きくなったら、きっとモテるだろう。


 「じじいも小次郎も回りくどいから、わしが端的に説明してやろう」


 武蔵は胸を張って、腰に手を当てた。このポーズが得意なようだ。 


 「わしと小次郎は妖刀だ」


 それはもう聞いた。ツンと鼻を突き上げて、いわゆるドヤ顔で語り出した。


 「おぬし、妖怪は見たことがあるか?」


 「いや、さすがにないよ」


 笑ったらいけないかなと思いつつ、ちょっと笑ってしまう。だって、武蔵がかわいいんだもの。


 「ふん。まあ、最近はめっきりと人の前には姿を見せんようになったからな。仕方あるまい。わしらは、言ってみれば妖怪の一種みたいなものだ」


 武蔵は僕の周りをぐるぐると回りながら、話を続ける。


 「わしは今はこうして人の形をしておるが、本来は刀の妖怪じゃ。名前から推察できる通り、もとは宮本武蔵という武士だった。死して後にあやかしの刀に生まれ変わって、ここにおるというわけだ」


 「うん、なるほど」


 人の話を聞く時には、いくつかのパターンがある。こうやって相手がどんどん話を進めてくれている時は、止まるまで腰を折らないのがコツだ。たとえ、疑問符だらけだったとしても。


 なんで宮本武蔵なのに、小さい女の子なんだよ。


 「妖刀が妖怪の一種たるゆえんは原則、不老不死だということだ。原則というのは、死ぬことがあるということだな。例えば、どういう時だかわかるか?」


 武蔵は僕の前で立ち止まると、指を突きつけてきた。


 え、なんだろう。とりあえず、話を合わせてみよう。


 「妖怪ハンターとかに殺された時とか?」


 「へっ、なんだ、その答えは? おぬし、漫画の読みすぎではないのか?」


 武蔵は顔を歪めて、不快感をあらわにした。妖怪を自称している子供に、漫画の読みすぎとか言われたくないんだけど。


 「わしらは刀なのじゃ。それがヒント!」


 すぐには教えてくれないらしい。怖い顔をしてもう一度、僕を指差した。


 「ええっと……。錆びてボロボロになっちゃったりした時とか?」


 「ピンポーン!」


 武蔵は右手を拳にして左の手のひらに打ち付けた。パッと表情が明るくなる。


 「その通り! 手入れを怠って錆びて朽ち果ててしまったら、死ぬ。だから、手入れが必要なのじゃ。わしはまだまだ死にたくない。だから、えっと……」


 武蔵は近づいてきて、僕の両手を取った。


 「佐々木昭武です」


 「そうそう。佐々木よ。だから、わしの手入れをしてほしい」


 そう言って僕の両手をつかんでブンブンと振り回して、ニッコリと笑った。


 なんだろう。何か、精神の病気なのかな。自分が妖怪と信じ込んでいるみたいな。というか、この子、たぶん小学生だよね。学校、行かなくていいのか? きょうは平日だぞ。


 「ん? その顔は信じておらんな?」


 武蔵は真顔になると、僕の手を離した。そりゃそうだろう。妖怪なんて、今の世の中にいない。妖怪は、科学的な知識が広まっていない時に、理解不可能な自然現象を説明するために、昔の人が考え出したものだ。


 武蔵は少し後退りした。


 「うん。まあ、普通は信じられないだろう。だから、見せてやろう。わしが刀になったら、柄を持ってくれ。そうすれば、また声が聞こえるから」


 ハハハ……。悪いと思いながらも、苦笑いしてしまった。この子、何を見せてくれるというのだろう。少し頭がおかしいのか? まあでも、小次郎ちゃんとお近づきになるためだ。我慢してやろうじゃないか。


 「よく見てろ」


 武蔵がそう言ったのに、僕は目を伏せてよく見ていなかった。次に目を上げた時、目の前から赤い着物の少女は消えていた。代わりにひと振りの刀が、地面に落ちていた。


 あれ?


 左右を見回す。とっさに隠れるような場所は近くにない。少し離れたところに縁側があるが、あそこまで走っていって縁の下に潜り込んだのなら、目の端で捉えていたはずだ。


 「武蔵ちゃん?」


 僕は庭を隅々まで見回しながら、少し刀に近づいた。鞘もついていない、むき出しの日本刀だ。あまり長くない。50センチ強くらいだろうか?


 「武蔵ちゃん?」


 もう一度、名前を呼んで周囲を見回す。マジでどこに行ったんだ? 一瞬で姿を消すなんて。手品か何かだろうか。そう思いながらしゃがんで、刀の柄に手をかけた時だった。


 「わしじゃ、わしじゃ」


 「うわあ!」


 突然、頭の中に声が聞こえて、びっくりして刀を取り落としてしまった。地面に落ちてドシッと重い音を立てる。勢いでひっくり返って、尻餅をついた。なんだ、今のは? 武蔵の声が聞こえたぞ。


 わしらは、妖刀じゃ。


 武蔵の言葉を思い出す。いやいや、そんなわけないだろう。今、何世紀だと思っているんだ? 21世紀だぞ? 


 手が震えている。気がつけば、暑くもないのにビッショリと汗をかいていた。背中にシャツがピタリと貼り付いて、冷たい。


 そんなわけないだろう。


 ごくり。自分が唾を飲み込んだ音が、耳元で聞こえた。僕は起き上がると、もう一度、恐る恐る刀に手を伸ばした。


 古びた柄には黒い糸が巻いてある。ツルツルになっていて、かなり使い込まれた印象を受けた。楕円を2つくっつけたようなつばも、煤けた感じで古めかしい。だが、刀身は陽光を受けて、ギラリと輝いていた。


 つかんで、持ち上げる。ずっしりと重い。


 「ああ、もう落とすなよ」


 「わああ」


 また頭の中で声がした。驚いて思わず声を上げてしまう。だが、今回は言われた通りに落とさなかった。


 「え、武蔵ちゃん、どこにいるの?」


 「どこって、おぬしの目の前にいるではないか。それに、武蔵ちゃんというのはやめろ。こそばゆい。武蔵と呼べ」


 僕は刀を日にかざしてみた。これ、真剣なのか? 角度によって青白く見える刀身は、鈍い輝きを放っている。さっき落とした時だろうか、切っ先の方に土がついていた。刃先で切らないように注意して指で払うと「気安く触るな」と声がする。


 「元に戻るから、地面に置いてくれ。それから、少し下がって待っていろ。今度こそ、よく見ておけよ」


 また声がするので、そっと元あった場所に戻した。言われた通りに3、4歩ほど下がって、刀を凝視する。まばたきした瞬間、目の前に武蔵が現れた。


 「えっ!」


 あまりにもびっくりして、言葉を失った。


 「驚いたか? 驚いただろう。だから言っただろう。妖刀だと」


 武蔵の膝の辺りに、少し土がついていた。それを手でパンパンと打ち払うと、胸を張って、またドヤ顔をした。


 「え? 何? 何がどうなったの?」


 混乱していた。頭がおかしくなりそうだった。たくさんの「?」が頭の中をぐるぐると回っている。武蔵が近づいてくる。思わず後退りした。


 「え、今の何? 手品か何か?」


 手を上げて、自分の唇に触れる。触っているリアルな感触がある。夢ではない。冷や汗がこめかみを流れているのを感じる。


 「手品か。手品にしては鮮やかだったな。まあ、ネタはないけどな」


 僕が怖がっていることに気付いたのか、武蔵は足を止めて腰に手を当てると、アハハと笑った。


 「これ、武蔵!」


 気がつくと、足利さんが縁側に立っていた。後ろに小次郎が控えている。ホッとした。武蔵と悪夢に迷い込んでしまったのかと思ったからだ。ホッとした瞬間、全身の力が抜けて、僕はその場にへたり込んでしまった。

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