昼ごはんは、焼きうどんだった。
どこが厨房だろうとのぞきに行くと、玄関を入ってすぐのカウンターの裏で作っていた。今でもいつ客が来ても大丈夫なくらい清掃され、整理整頓されている。足利さんがコンロでフライパンをふるい、小次郎がお皿や箸を準備していた。
味は普通だった。まあ、焼きうどんなんて、どう作ったところで味はそれほど変わらない。
小次郎が姿勢を正して、ひと口ずつ麺をつまみながら綺麗に食べているのに対し、武蔵はガツガツとかき込むようにして、食べ方が汚かった。
「食事が終わったら、刃物の研ぎ方を教えてやろう。妖刀の手入れは、突き詰めて言えば本物の刃物を研ぐことに通じるからな。包丁は研いだことがあるか?」
焼きうどんを食べながら、足利さんがそんなことを言っている。
「いえ、ありません」
「ごちそうさん!」
武蔵がパチンと手を合わせて大きな声を出した。小走りに皿を流しに持っていくと、戻ってきて落ち着きなくうろうろと歩き回っている。足利さんと小次郎が食べ終えて、厨房に皿を洗いに行くと、武蔵は僕の腕を引いて「さあ、今のうちに抜け出すぞ」と縁側から連れ出した。
「包丁研ぎが始まったら、さっきよりもずっと長いぞ。それこそ半日くらい研がされるからな。じじいは包丁を研ぐことに関して、変態的なほどこだわりがある。包丁を研ぐと言い出したら、逃げ出すんだぞ」
武蔵は先に立って歩きながら、そう言った。
「でも、僕が手入れをできるようにならないとダメなんだろ? じゃあ、ちゃんと言われた通りに練習しないといけないんじゃないかな」
「わかってないな!」
武蔵は振り返って、少し声のトーンを上げた。苛立ちを隠そうとしない。
「あのなぁ、何度も言うけど、じじいはこだわりが強すぎるの! だから、じじいの言う通りにしていたら、一人前の妖刀使いになる前に先にメンタルがやられてしまうの! こうやってうまいことはぐらかさないと、やっていけないんだよ!」
仮に本当に宮本武蔵の生まれ変わりだとすれば、すごく昔の人のはずだ。なのに、なぜメンタルなんて最近の言葉を知っているんだろう。
「武蔵ちゃんはメンタルなんて難しい言葉を知っているんだね」
「当たり前だ。わしゃ、新しいことを学ぶのが好きだからな」
武蔵はまた背中を向けて歩き出した。1、2歩ほど行って、すぐに立ち止まって振り返る。ぶつかりそうになって、ちょっとびっくりした。
「その武蔵ちゃんというのは、やめろ。武蔵でいい」
眉を吊り上げて怒った顔をする。外見がどう見ても小学生くらいの女の子だし、武蔵と呼び捨てにするわけにもいかないし、どうしても勢いで「武蔵ちゃん」と呼んでしまうのだ。武蔵は僕の返事を待たずに、また背中を向けてスタスタと歩き始めた。自分の言いたいことだけ言って、人の話は聞かないタチらしい。
それって、厄介な人だ!
「そんなことより、これからどこに行くのさ」
まともな返事が返ってくることをあまり期待せずに、聞いてみた。剣豪というから大股でゆっくりと歩くのかと思ったが、ものすごく小股でちょこちょこと歩く。そして、歩くのが速い。
「その、妖刀から神様になった人のところだ。そこで、アキラと契約する。アキラがわしを使えるようにするためだ」
僕は軽く汗をかきながら結構、一生懸命歩いた。置いていかれそうだ。
「契約? 契約しないといけないの?」
「そうだ。妖刀と契約して初めて妖刀使いになる。そうしないと特典は受けられない」
武蔵は妙に俗っぽい言い方をした。いや、そんなことより。
「アキラってなんなのさ。僕、昭武って名前なんだけど」
「アキタケって、言いにくい。省略してアキラでいいだろう」
自分は「武蔵ちゃん」と呼ばせないくせに、こっちのことは好きに呼ぶわけね。アキタケが呼びにくいのなら、佐々木でいいんじゃないのか? 小次郎が佐々木だから、あえて下の名前で呼ぶのだろうか。そんなことを考えながらついて行っているうちに、全く見知らぬところに出てしまった。どこを歩いているのだろう。周囲を木々に囲まれた路地を、何度も曲がりながら歩く。
「この付近にこんなところあったかな?」
「ここに来られるのも、妖刀使いの特典の一つだ。普通の人間は迷い込まない限り、ここにはたどり着けない」
面倒臭そうに説明する。
何度目かの角を曲がると突然、目の前に古びた神社が現れた。それほど大きくはない。古くなって黒ずんだ鳥居の奥に、なんとか雨宿りができそうなくらいの大きさの拝殿がある。社務所はない。近くの住民が手入れをしに来ているのだろうか。足元の砂利は、きれいにならされた跡があった。
武蔵はなんの迷いもなく賽銭箱の裏の階段を駆け上がると、拝殿の扉をコンコンと叩いた。なかから「どうぞ〜」と呑気な返事が返ってくる。女性の声だ。
手招きする武蔵の後を追って、扉をくぐった。四方に燭台があり、蝋燭が灯っていて明るい。奥に祭壇があって、その前に長い髪を高々と結い上げた女性が座っていた。薄紫色の高級そうな着物姿だ。何か作っていたのか、手元に折り紙をするような紙片を持っている。
「綱どの、お久しゅう」
武蔵はその女性の前にきちんと正座すると、礼儀正しく手をついて頭を下げた。こっちを見て「アキラ、おぬしもごあいさつせんか」と険しい顔をする。武蔵がこんなにかしこまっているのだから、おそらく偉い人なのだろう。僕は武蔵の隣に正座すると「佐々木昭武です」と頭を下げた。