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第11話 契約

 「ははん、新しい使い手か?」


 武蔵に「綱どの」と呼ばれた女性は、人懐っこい笑みを浮かべた。面長で釣り目、薄い唇。小次郎がたぬきならば、こちらは狐のようだ。好みは分かれるかもしれないけど、美人の部類に入るだろう。


 たぬきに、狐か。本当に、化かされているのかもしれないな。


 「ここは上泉かみいずみ神社と言ってな。このお方は、ここの祭られている神様じゃ。上泉信綱どのとおっしゃる。知っておるか?」


 武蔵は僕に聞いた。


 「ごめん。申し訳ないけど、知らない」


 「かーっ! これだから、最近の若いもんは!」


 武蔵は大げさに呆れた顔をした。


 「元剣豪で、わしの大先輩にあたる方じゃ。剣の世界に身を置いていれば、知らぬものはおらんのじゃがな。おぬし、もぐりか?」


 もぐりかと言われても、知らないものは知らない。そもそも、剣の世界に身を置いていないし。


 綱どのは着物の袖で口元を押さえると、オホホと上品に笑った。


 「むの字、そんなに持ち上げても、何も出ませんよ」


 「持ち上げてはおらん。本当のことを申しただけじゃ」


 2人は仲がよさそうだった。年の離れた姉妹という感じがする。


 「して、今日は何の用じゃ? このお方を連れてきたということは、契約か?」


 「そうじゃ」


 武蔵は身を乗り出した。


 「ということは、足利どのが亡くなったということか?」


 綱どのは少し困った顔をする。


 「いや、まだ死んではおらぬ。ただ、先は長くない。だから早めに、次の者にいろいろ教えておかないといけない。教えそびれて、ひどい目にあったこともあったからな」


 武蔵は正座を崩して、あぐらになった。


 「佐々木どのは、妖刀使いになることは了承していなさるのか?」


 綱どのは僕の方を向くと、笑みを絶やさずに聞いた。


 「ええ、はい。無理だったら途中でやめてもいいと言われているんですけど、頑張ってちゃんとやれるようになるつもりです」


 なぜ念押しされるのかよくわからないが、ここは前向きな姿勢を見せておいた方がいいだろう。そう思って、僕は綱どのの目を真っ直ぐに見て言った。


 その瞬間、ゾッとした。綱どのの瞳に、吸い込まれそうになったからだ。


 瞳孔が開き切っていた。真っ黒でツヤツヤした目の中に落ちてしまいそうだ。頭がクラッとして、思わず目を逸らした。


 「ふうん」


 何がわかったのか、綱どのは耳の上の髪を直しながら、うなずいた。


 「まあいいや。やる前から覚悟ができているやつなんて大概、ろくなもんじゃないからね。これくらいの方が、長持ちするかもしれない。足利どのみたいにね」


 そういうと「おいで」と武蔵に向かって両腕を広げる。武蔵は立ち上がると、綱どのの胸の中に飛び込んだ。その瞬間、女の子の姿からパッと刀へと変身した。


 綱どのは武蔵を床にそっと置くと「あれはどこだったかな」と独り言を言いながら立ち上が

った。祭壇の周囲をゴソゴソと探し回って、しばらくすると小さな金槌のような道具を持って戻ってきた。


 「契約には血判を押す。契約は妖刀か妖刀使いか、いずれかが死ぬまで有効だ」


 金槌のような道具は、目釘抜きというらしい。それで武蔵の柄から目釘を抜き、柄を取り外す。刀身の柄に入っている部分をなかごという。全部、後で知ったことだけど。


 「さあ、ここに押してくれ」


 言われるがままに、武蔵で左手の親指の腹を切る。少しだけのつもりが、あっという間に深く切れて、思った以上に深い傷になった。ゾワッとして脂汗が噴き出す。傷口からプッと真っ赤な血が流れ出した。指先に塗り広げて、茎に押しつける。錆びているわけではないのだろうが、黒く変色した刀身に血が染み込んでいく。一瞬、気が遠くなって、強く目を閉じた。頭を振って、目をしっかり見開く。うん、大丈夫だ。気絶はしない。


 「途中で投げ出しても、誰も責めない。だけど、元妖刀として言わせてくれ。どうか、最後まで面倒を見てやってほしい。そして、おかしなやつには譲り渡さないように。どうしても手放さなければならなくなったら、ここに持ってくるのじゃ」


 綱どのは、そんな話をしみじみとしながら柄を元通りにはめ込み、目釘を入れた。


 「よし、これでオッケー」


 柄を持って、軽く振る。次の瞬間、綱どのの胸の中に武蔵がぽわんと現れた。甘えるように綱どのに抱きついて、それから床にポンと飛び降りた。


 「うん、よし! アキラを感じるぞ」


 僕を見て、ニッコリと笑う。


 「じゃあ早速、辻斬りを探しに行こう!」


 「ああ、やっぱり」


 武蔵の言葉に反応したのは、僕ではなくて綱どのだった。露骨に困った顔をしている。


 「何じゃ? 何か問題でも?」


 武蔵は振り返って綱どのを見る。


 「いやあ、新しい妖刀使いを連れてきた時から、どうせそんなことだろうと思っていたのじゃ。地下鉄の事件のあれじゃろう?」


 「そうじゃ! 察しがいいのう」


 武蔵は胸を張った。


 「正直、あまり感心せんのう」


 「なぜじゃ? 放置している方が、感心せんと思うぞ」


 綱どのは腕組みをして、うーんとうなり始めてしまった。


 「あのなあ、綱どの」


 武蔵は呆れた顔をして、綱どのの前に仁王立ちする。


 「わしはこう見えても、妖刀であることに誇りを持っておるのじゃ。だから、同じ妖刀があんな悪さをしているのは、見捨ててはおけん。神仏になりたいのかもしれないが、そのために罪もない人を殺しているのは、全く感心しない。どこかおかしいか?」


 「いや、それはわかる。それは、わしもそう思う」


 綱どのはわかると言いつつも、奥歯にものが挟まったような物言いだった。


 「では、何が感心せんのだ?」


 武蔵は少しイラッとした表情になった。


 綱どのは、またう〜んとうなった。口元に手を当てて扉の方を見て、床に視線を落とす。どう伝えればいいのか、迷っているようだった。武蔵はフンと鼻を鳴らして、僕を見た。そして、扉の方へと歩き出そうとする。


 「ああ、待てい、武蔵」


 「なんじゃ。わしは忙しい」


 「あのな、刀は本来、斬りたがるものじゃ」


 綱どのは武蔵を真っ直ぐに見て、説き伏せるように言った。武蔵は不意をつかれたような表情を見せた。目を見開いて、何か言いたげに唇を突き出す。だが、それも一瞬だった。


 「そんなこと、わかっておる」


 不敵に笑うと、改めて扉に向かって歩き出す。


 「嫌な予感しか、せんがのう」


 見送るつもりなのか、立ち上がってついてきた綱どのはそう言った。


 「100人斬ったところで、本当に神仏になれるのかのう。わし以外に神仏になった妖刀には、会ったことがないんじゃが……」


 困ったように耳の後ろをポリポリとかく。


 「そんなことはどうでもいい。大事なことは今、目の前で100人か何人か知らないが、殺しまくっている妖刀がいるということだ」


 武蔵は扉を出て階段を降りると、決意を秘めた表情で綱どのに向き直った。僕も一緒に拝殿を出る。


 「かたじけない。また事態に進展があれば、報告に来る。せいぜい見守っていてくれ」


 そういうと、相変わらず不安げな綱どのに向かって、ニカッと歯をむき出して笑った。

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