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第12話 仕方がない

 気がつくと、携帯電話に何件も着信があった。全部、足利さんだ。留守電も入っている。


 「今、どこですか?」

 「お返事ください」

 「武蔵は一緒ですか?」

 「おーい、佐々木くーん」

 「まさか、もう嫌になったのかね?」


 残したメッセージの口調が、次第に深刻になってくる。聞いているうちに薄寒いものを感じて、脇の下にジワッと冷や汗をかいた。


 「なんだ? じじいか? 気にするな」


 僕の前をスタスタと歩きながら、武蔵が無責任に言う。少し事態の重さを感じてきた。普通に考えれば、まずいんじゃないのか? 僕は今、妖刀使いとして足利さんの弟子みたいなものだ。なのに、武蔵にそそのかされたとはいえ、師匠の許しも得ずに勝手に飛び出して、契約までしちゃっている。


 「まずかったかな?」


 別に武蔵に尋ねるつもりはなかったけど、口にしないと息が詰まりそうだったので、ポツリと呟いてみた。


 「まずくはない。いずれわしとは契約する身なのだし、綱どのにもあいさつには行かねばならん。じじいに契約を頼んだら『まだ早い』とか『その前に刀を研げ』とか言い出して、話が進まなかっただろう。これでよかったんじゃ」


 武蔵は振り返って、ニヤリと笑った。


 帰り道、武蔵はいろいろと細かいことを教えてくれた。


 「刀モードの時でも会話はできる。ただし、柄に触れていないとダメじゃ。まあ、普通は柄を持っているものだけどな。他の部分でもいいが、声がくぐもって聞こえにくい」


 「さっきから違和感があるんだけどさあ、武蔵は昔の人なんでしょ? どうしてモードなんて言葉を知っているの?」


 「それは、わしが勉強熱心だからじゃ。新しい言葉なんて、いくらでも知っておるぞ。コンプライアンスだって、ガバナンスだって知っておるわ」


 鞘に入れると休眠状態になること。鞘に入ったままで会話するには、鯉口を切らなければならないこと。下緒を交換すれば、人間モードに戻ったときの服装が変わること。


 「じじいはこの着物が好きなのか、ずっと同じ下緒なのじゃ。アキラ、何かもう少し軽い服装にしてくれ」


 着物の襟を摘んで引っ張って、不満げな顔をする。


 戦う時は、基本的に妖刀が勝手に動くという。妖刀使いは、その動きを妨げないように持っているだけでいい。だから、妖刀使いが剣術家である必要はない。ただ、剣術の心得があれば妖刀の動きとシンクロできるため、力をより引き出すことができるのだそうだ。


 「まあ、わしとは比べものにならんけど、じじいは若い頃から剣道と居合をやっているので『ちょっと剣術をやっています』と言っていいくらいの腕前じゃ。心の臓が悪くてどこまで動けるかわからんが、教えてもらえばいい。何も知らんより、少しくらいは知っていた方がいいからな」


 武蔵は少し歩みを止めて僕の隣に並ぶと、ニヤニヤと笑って腰の辺りに軽く肘打ちをした。ふざけたつもりなのかもしれないが、ドスッと重たい衝撃があり、思わずよろめく。え、こんな小さい体なのに、こんなに力があるのか? 少し驚いて、まじまじと顔を見た。武蔵はちょっと不思議そうな表情をして、僕を見つめ返す。


 「そうそう。戦わなくていいと言ったけど、刀を持つのだから、体力はないよりもあった方がいい。見た感じ、何もやってないようじゃのう。これからわしが鍛えてやろう」


 僕の二の腕をつかんでムニムニとしながら、真剣な表情で言った。


 確かに大学を卒業するまでは部活で日常的に運動をしていたけど、社会人になってからは何もしていない。忙しすぎて何もできないと言った方が正しいかもしれない。


 僕は身長が170センチで、現在の体重は75キロ前後。就職したばかりの頃は60キロを少し超えるくらいだったのに、あっという間に太ってしまった。仕事が連日深夜に及び、終わってから職場の付き合いで飲みに行くという日々を送っていたからだ。無理もない。腹回りに脂肪がつき始めていた。


 「それから、早く宝くじを買え。もう特典は発動されるはずじゃから、きっと当たる。そして仕事を辞めて、じじいの家に住め。そうすれば、妖刀使いの修行に集中できるからのう。わしとも、好きな時に警備に出かけられるというものじゃ」


 足利さんの家に戻ってくると、足利さんが玄関先に出てきて待っていた。動物園の熊のように、落ち着きなくうろうろと歩き回っている。その後ろに、小次郎が控えていた。


 「おお、どこへ行っておったのだ」


 もう少しで「心配したぞ」と言いかけたのだろう。だって、すごく心配そうな顔をしていたから。それを、グッと飲み込んだ気配がした。少し怒った顔をして、僕に「勝手にうろつかれると困る」と言った。


 「じじいのペースでやっておったら、いつまで経ってもアキラと出かけられんからな。綱どののところへ行って、さっさと契約してきたわ」


 武蔵は頭の後ろで手を組んで、偉そうに胸を張って言った。小次郎が両手を口元に当てて、ハッと息を飲む。足利さんは「やっぱり……」とうめいて、右手で顔を覆った。


 「え? 何か、まずいんですか?」


 ただならぬ空気を感じて、聞かずにはいられなかった。足利さんは「いや、まずくないといえば、まずくないのだが……。まあ、いずれこうなるといえばこうなるのだが……」と独り言のように呟いている。


 「どうせ跡継ぎは必要なのだし、これでいいではないか。アキラにはわしからもよくよくお願いしておいたし。小次郎もいずれアキラのものになるのだから、その覚悟をはようしておけ」


 武蔵はそう言うと、さっさと家の中に入って行ってしまった。足利さんと小次郎はその背中を見送り、そして同時に振り向いた。2人とも目が真剣だ。


 「契約したのなら、仕方がない。これから腹を括って修行してもらうしかないな」


 足利さんの細い目がギラリと光る。えっ、どういうことですか? なんか怖いな……。

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