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第15話 葛城さん

 昼ごはんは記者クラブで出前を取った。警察担当記者御用達の「とん太郎」というトンカツ屋の弁当だ。ボリュームが多くて美味しいので、若手が多い警察担当記者は、よくここのダブルチキンカツ弁当を食べている。


 トンカツ屋なのに、なぜチキンカツなのか? 単純にトンカツより量が多いからだ。実際に店員さんに聞いたことはないのだれど、パッと見た感じでは、ダブルには胸肉2枚程度のチキンカツが詰め込まれている。


 警察担当記者、通称「サツ担」はストレスとの戦いだ。いつスクープを抜かれるか、基本的にしゃべらない関係者からいかにしてネタを引き出すか。日々、心をすり減らしながら取材している。だからこそ、食事の時くらいは美味しいものを腹一杯食べたいし、むしろ腹一杯食うことでストレスを一時的にでも発散したい。そうして、若手記者が皆ぶくぶくと不健康に太っていく。


 食事を終えると腹ごなしに、庁内の巡回に出かけた。あちこちの部署に顔を出して知り合いを増やすことは、記者にとって大事な仕事の一つだ。


 組織対策部に行くと、部長の葛城さんが自分の席で暇そうにしていた。


 「葛城さん、今、いいっすか」


 「おう、佐々木くん。どうぞ」


 組織対策部というのは、昔でいうところの暴力団対策課である。葛城さんは元刑事で、出世して今はここの責任者を務めている。年齢は50歳を少し越えたくらい。頭はだいぶ薄くなって、いわゆるバーコードはげなのだが、角張った顔で目つきが鋭く、ガッチリした体格で迫力があった。ただ、そんな強面とは裏腹に愛想が良くて世間話によく付き合ってくれるので、若手記者に人気があった。かくいう僕も食事に連れて行ってもらったり、一緒にお茶をしたりする仲だった。


 葛城さんは机の横に小さな回転椅子を引っ張ってきて、それを僕に勧めた。


 「どうよ、大量殺人事件の進捗状況は」


 ニヤッと笑って、先に口を開いた。


 「知っていたら、ここに来ていませんよ」


 葛城さんは、僕にとっては数少ない、構えずに話せる警察関係者だった。歳の離れた兄貴分といった感じだ。


 「そうだろう、そうだろう。みんな俺のところには、時間潰しに来るんだから」


 葛城さんはダハハっと笑うと、机の後ろにある小さな冷蔵庫からヤクルトを取り出して、僕に勧めた。ここでは必ず、この乳酸菌飲料をご馳走になる。


 「一課は殺気立っているだろうなあ。もう少しブンヤ《新聞記者》さんに情報を出してやればいいのに。そうすれば、こんなに嘘八百書かれなくて済む」


 「嘘八百はないでしょう。勘弁してくださいよ」


 間を置かずに2件続けて起きた地下鉄大量殺人事件は、あまりに大胆で派手な内容にも関わらず、ほとんど情報が出てこなかった。


 まず、目撃者がほとんどいなかった。いや、いることにはいた。現場から生き延びた人がいるのだが、夜の暗い電車内で突然、起きた凶行に気が動転して、誰も犯人をはっきりと見ていなかった。犯人は2度とも途中で電車を停めて線路内を逃走していて、行方が分からなかった。


 そして、凶器も分からなかった。分からなかったというか、警察は発表しなかった。20数人を切り殺している、しかも狭い電車の中でということで、報道各社は複数の刃物を準備していたと推測で記事を書いた。夕日はサバイバルナイフと明確に書いてきた。裏を取るために、夜討ちで四ノ宮刑事部長に各社がいる前で聞いてみたが、「夕日さん、嘘を書くのはやめてくださいね」とほおをヒクつかせながら言われてしまった。


 そんなこんなで、とにかく情報がなかった。だが、毎日の新聞には何がしか新たな情報を書かねばならない。新聞社はどうするか。限りなく推測に近いことを書き始めるのだ。


 「犯人、現場周辺を下調べか」

 「犯人、市内で刃物を購入か」

 「犯人、犯行時の衣類を遺棄か」


 などなど。全くのでっち上げではないが、そりゃそうだろうなということを、もっともらしく書くのだ。


 「あしたのネタがないぞ! どうする!」

 「ええ〜っと……」

 「犯人、電車内で動き回ったんだろ?」

 「そりゃそうでしょうね」

 「血で滑ったりしなかったのかな?」

 「スニーカーだったら滑らないですよ」

 「それだ!」


 夜討ちを終えた深夜の居酒屋、南川さんとの会話で、限りなく推測に近いネタができあがったことがあった。


 「犯人、スニーカーで現場に侵入か」


 嘘かもしれないが、間違っていても誰も傷つかない。こうしてニュースはできあがるんだなという現場を、見てしまった。


 だが、これにめくじらを立てるのが、捜査本部である。なぜなら記事内で「捜査本部の調べでは」と書くからだ。「樺山新報の調べでは」では説得力がないので、捜査本部が調べたように書く。もちろん南川さんが「こんな話を書きますよ」と、どこぞの捜査幹部に連絡した上でなのだが、捜査幹部もいちいち「それは嘘だからやめろ」とは言えない。あちらも新聞社が毎日、何かを書かねば生きていけない事情はわかっているので、あながち嘘ではないことは、スルーしてしまうのだ。


 だが、幹部以外の警察関係者にとっては、これが「嘘八百」になる。


 こまめに捜査本部が情報を公開すれば、新聞社もこんな記事は書かない。だが、公開できる情報がない段階では、そうもいかない。今はまさにそういう時期なのだろう。


 「そういえば今朝、杉山さんがネタ持ってそうな風情を漂わせていたんですよ」


 僕は少し顔を近づけると、声をひそめた。


 「へえ。しーさんのところ?」


 「はい」


 葛城さんは「ふうん」と言って、手にしていた扇子で自分の顎を一つ、二つと打った。


 「何かつかんだんじゃないの?」


 いたずらっ子のように笑って、僕を見る。


 「いやあ、そんなの困るんですけどねえ」


 ハハ…と愛想笑いする。正直、ここで情報がもらえることはない。部屋には他の捜査員がいて、聞き耳を立てているからだ。葛城さんも部署が違うとはいえ、知っていることをペラペラしゃべるわけにはいかない。ここでは、愚痴を聞いてもらうだけ。そして、愚痴の中に、葛城さんの興味をそそりそうなことを混ぜ込むのだ。


 僕は「いただきます」と言って、ヤクルトの蓋をはがすと、グイッと一気に飲んだ。その後、しばらく無駄話をしていると、葛城さんがふいに「まあ、佐々木くんも、あまりストレスを溜めるなよ」と言ってニヤッと笑った。


 来たぞ。これは、葛城さんが「食事をしよう」と言っている合図なのだ。


 「はい、ありがとうございます。ちょっと西署まで息抜きに行ってきますわ」


 「おお、いいね。大塚さんによろしくな」


 大塚さんは樺山西署の副署長で、葛城さんの先輩にあたる。表向きには何気ない話をしているのだが、これは僕と葛城さんにしか分からない暗号なのだ。


 樺山西署管内に、葛城さんが行きつけの「くしハチ」という焼き鳥屋がある。そこで集合ーーという。


 こうやってメシを食いに連れて行ってくれても、葛城さんが露骨にネタをくれたことはない。本当に、社会人の先輩として僕の日頃の苦労をいたわってくれるだけなのだが、それでも警察関係者と食事をしているという事実は、僕にとっては何よりも仕事をしている実感があって、心が安らぐ瞬間だった。

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