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第16話 凶器

 夕方にどっとリリースが来たので、それを出席原稿として会社に送ると、関係者と食事に行くと喜多デスクに伝えて、「くしハチ」に向かった。地下鉄の駅から少し離れたところ、ギリギリ住宅街というところに、赤い提灯が出ている。繁華街から離れているので、知っている人しか来ない隠れた名店だった。


 「おう、お疲れ」


 店に到着すると、葛城さんはカウンターで先に飲み始めていた。白木のカウンターの上には半分くらい空いた生ビールのジョッキと、きゅうりの浅漬けが乗った皿が置かれている。


 初老の店主がやっている、小さな店だ。店内は焼き鳥屋というよりも寿司屋を想起させる白木造りで、カウンター6席、2人掛けのテーブル席が一つ。広すぎると目が届かないので、これくらいの規模がいいと大将は話していた。


 「大将、テーブル席に行くわ」


 そういうと、葛城さんはジョッキと椅子の背もたれにかけていたスーツを手に、僕を促してテーブル席へ移動した。僕は浅漬けの皿を手についていきながら「僕も生中ください。あと、焼き鳥盛り合わせで」と注文した。


 すぐにカウンターの向こうから、キンキンのビールで満たされたジョッキをつかんだ大将の腕がにゅっと伸びてくる。ここは大将一人でやっているので、テーブル席は自分で受け取りに行かなければいけない。席に戻り、ジョッキをカチンと打ち合わせて乾杯した。


 葛城さんには僕と同じくらいの年齢の一人息子がいて、就職して東京に行った。父親としては警察官になったほしかったのだそうだが、望みも虚しくIT系の業界に入った。あまり仲が良くないようで、それでも父親としては息子が元気に仕事をしているのか気になるようで、愚痴ともボヤキともつかない話をひとしきり聞いた。


 「そういや、杉山くんは今頃、スクープを書いているんじゃないのかなあ」


 葛城さんはニヒヒと笑って、話題を変えた。


 「でしょうね。もう明日の朝、怒られる覚悟はできていますよ」


 肩を落として返事をする。これは本心。これだけニュースを書かれそうな気配があって覚悟してないのは、何も分からない新人くらいのものだろう。


 「今朝、なんか変わったことが、あったんじゃないの?」


 葛城さんは、僕が注文した焼き鳥の盛り合わせから砂ずりを取り上げると、歯を立てて肉片を一つ、齧りとった。


 「そう言えば、着々と進んでいるって言っていましたね」


 朝駆けの様子を思い返しながら、言う。


 あれは、捜査が何らかの形で少し進み始めたことを意味していたのだろう。だけど、それが何なのか分からない。


 「じゃあ、目星が付いたのかな?」


 葛城さんは砂ずりをもぐもぐと咀嚼しながら、人ごとのように言った。


 「どうなんでしょう。目星が付いたって、どうやって付けるんでしょうね?」


 さっぱり分からない。これまでに手に入っている情報をまとめてみても、どこから手をつけていいのか、皆目分からない。僕は焼き鳥から目を上げて、カウンターの向こうの大将を何となく見た。


 白いカウンター、小さな初老の大将。


 デジャヴがあった。どこかで見た光景だ。大将が手にした包丁が鈍く光る。ああ、そうだ。足利さんの家に似ているんだ。


 そこまで思い至った時、ある衝撃が僕の頭を貫いた。


 犯人は妖刀じゃ


 武蔵の言葉が脳裏に蘇る。


 「あ、もしかして……!」


 一瞬、時が止まった。マジか。それが本当なら、いろいろと噛み合ってくるぞ。盛り合わせの中から、ぼんじりを取り上げる。大きくひと口かぶりつくと、口の中に甘い脂がジュワッと広がった。


 「どうしたんだ、佐々木くん」


 葛城さんはニヤニヤしている。僕はぼんじりともぐもぐと噛み締めると、ふうっと鼻から大きく、息を付いた。


 「凶器がわかったんじゃないですか? 特殊な凶器なんですよ。特定の人しか使わないような。で、その持ち主をリストアップできたんじゃないですか?」


 僕はぼんじりをくちゃくちゃ噛みながら、行儀が悪いと思いつつも一気にまくし立てた。そうだ。そうに違いない。


 「ほほう。そんな凶器、あるのかな?」


 葛城さんは砂ずりを食べ終え、続いて皮の串を摘み上げた。味付けは塩。ここの皮はとても美味しいので、タレよりも塩が合う。


 「例えばですね、日本刀とかですよ」


 興奮を必死に押し殺しながらそう言うと、葛城さんの目がギラリと光った。僕はそれを見過ごさなかった。


 「真剣って、確か登録制度があるんですよね? ならば、市内在住で日本刀を所持している人がわかるはずです」


 「ほうほう」


 「で、一人ずつ当たっていけば、いずれホシに当たるって塩梅じゃないですか」


 「ほうほう」


 葛城さんは楽しそうにうなずいている。


 そうだ。そうに違いない。だから「着々と進んでいる」と言ったんだ。


 「どうですか、僕の推理は」


 ぼんじりを飲み下して、身を乗り出した。葛城さんは笑みを絶やさずに、皮をゆっくりと噛み締めている。


 「どうって言われてもな。面白いんじゃないの? しーさんに聞いてみろよ」


 こらえきれないくらい笑っている。その証拠に、肩が上下に揺れていた。


 四ノ宮さんに聞いてみろということは、聞く価値があるということだ。聞く価値があるということは、外れてはいないということだろう。


 僕は今、ニュースをつかもうとしている。


 気がつけば、心臓がバクバクと音を立てていた。いやあ、落ち着け。ハズレかもしれない。ジョッキをつかんで、少しぬるくなったビールをグイッと飲み干す。


 「佐々木くんは、いい記者になったなあ。うちの息子に見せてやりたいよ」


 葛城さんはそう言って、次の串に手を伸ばした。もう確信に近いものがあった。携帯電話の時計を見る。午後9時前。まだ全然、大丈夫だ。南川さんに連絡して、どこかで裏を取ってもらおう。凶器は日本刀。ほぼ、間違いない。杉山さんが朝、当てていたのはこのネタかもしれない。同着にできる。もしかしたらスクープになるかもしれない。


 「葛城さん、ちょっと電話してきていいですか?」


 震える手で、テーブルに置いた携帯電話をつかむ。僕は葛城さんの笑顔を見ると、ろくに返事も聞かずに店を飛び出した。

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