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第17話 宝くじ

 翌朝は午前4時に目が覚めた。身支度を整えると、朝駆けに行く前にコンビニに飛び込む。読々新聞の1面の肩に「凶器は日本刀か 樺山市連続大量殺人事件」と大きな見出しが躍っていた。そして、わが樺山新報の1面トップにも「凶器は日本刀か」の見出しが。


 やった。やったぞ。


 単独スクープではなかったが、昨日の朝の段階で完全に負けていた状態から、同着に追いついた。最終的に原稿を書いたのは南川さんだったけど、きっかけを持ち込んだのは僕だった。初めてつかんだスクープ。飛び上がりたくなるくらいうれしくて、そのまま近くの公園に行って声を出さずに叫んで、何度も飛び上がった。


 買ってきた読々新聞の原稿を、食い入るように読む。日本刀の所持者をリストアップして、捜査を進めていると書いてあった。杉山さんが書いたのだろう。どこで聞いてきたのかは知らないが、よく取材したものだ。武蔵から答えを聞いて、それをすっかり忘れていた僕とは大違い。商売がたきながら、さすがキャップである。


 四ノ宮宅前に着くと、篠崎が死んだような顔をして突っ立っていた。他にも全国紙の記者が何人か来ている。杉山さんは見当たらず、代わりに読々の若手の浅井という記者が来ていた。3人しかいなかった前日とは違い、ピリピリした空気が漂っている。


 間もなく四ノ宮さんが出てきた。


 「誰だ? 好き勝手なことを書いたやつは」


 周囲を取り囲む記者をジロリとにらむと、車に向かってスタスタと歩き出す。


 「日本刀って本当なんですか?」


 全国紙・毎朝新聞の中堅記者が単刀直入に尋ねた。県警の記者クラブにはたまに来るが、ここではあまり見ない顔だ。四ノ宮さんはそれを無視して、歩いていく。たまらず篠崎が「日本刀、追っかけても大丈夫ですか?」と恐る恐る聞いた。


 追いかけるというのは、他社の書いたスクープを同じ内容で書くことを言う。新聞記者にとっては、敗戦処理みたいなものだ。


 僕は、たまらない優越感に浸っていた。思わずニヤけてしまいそうだ。


 四ノ宮さんは車までたどり着くと、ドアを開けた。座席に潜り込む前にもう一度、取り囲んだ記者をジロリとにらむ。僕と目が合った。


 「佐々木、あれを書いたのは南川か?」


 普段はなんちゃんと呼んでいるくせに、あえて南川と呼んだ。


 「いえ、知りません」


 たぶん、そうだろう。だけど、その質問にそうだと答える権利は、僕にはない。


 「ふん」


 四ノ宮さんは少し怒った顔をして鼻を鳴らすと、車に乗り込んで走り去ってしまった。僕と篠崎、浅井は頭を下げたが、他の全国紙の記者は「チェッ」とか「あ〜あ」とか不満げな声を漏らした。


 「何だよ。全然、ダメじゃんかよ」


 先ほどの毎朝の記者は毒づきながらポケットに手を突っ込むと、煙草を取り出した。一本咥えて、火をつける。


 「で、新報さんよ。あれ、追っかけていいの?」


 薄笑いを浮かべながら、抜け抜けと聞いてきた。そんなもの、知るか。自分で裏を取れよ。とても不愉快だった。


 「知りません」


 ムッとして、そう吐き捨てた。


   ◇


 その日のデスクは畠山さんだった。南川さんと同期で、出世を争っている人物だ。やり手で実力で駆け上がった南川さんと違い、上司へのゴマスリがうまくて、のし上がっていった人だった。電話口で記者をめちゃくちゃ罵倒するので最初は驚いたが、それが彼のパフォーマンスであることに気がつくのに、それほど時間はかからなかった。


 厳しく記者を指導しているというポーズを取って、近くに座っている編集長ら偉い人々にアピールをしているのである。


 昼過ぎに出勤連絡をすると、まず「なぜ朝駆けの報告をしてこないのか」とガミガミ言われた。スクープされていたり、何かすぐに対処しなければいけないことがあるときには連絡をするのだが、特に何もない時は普通は連絡をしない。一発目の連絡は、デスクが出社してくるこの時間帯なのだ。


 「特に何もなかったので……」


 とりあえず言い訳をしてみた。


 「何もなかった? 何もなかったの? 佐々木、目、ついてる? 新聞、読んでる? 今日の1面、何だった? 言ってみ?」


 すごい勢いでまくし立てる。


 「凶器は日本刀です」


 「そうでしょ? それ、うちのニュースなんじゃないの? じゃあ、そのニュースに対してサツ《警察》がどういう反応したのか、すぐ連絡すべきじゃないの? 違う? 俺、間違ったこと言ってる? ねえ、言ってる?」


 畠山さんは図体が大きい。相撲取りのようにデカいが、ノミの心臓だった。小心者で、常に自分の正しさをアピールしていないと気が済まない人間だった。


 マジ、うぜえ。


 僕が会社を辞めたいと心底思っている理由の一つに、この人が上司だということがある。


 「いえ。連絡しなくてすみませんでした」


 釈然としないが、とりあえず謝る。


 「こんなん、なんちゃんが書いたニュースでしょ? 佐々木は何もやってないでしょ? じゃあ、せめて駒としてキリキリ働けよ、なあ。駒として、やるべきことはきちんとやれよ、なあ!」


 だんだんヒートアップしてきた。自分で怒りの言葉を吐いて、それでもっと怒りが増幅していく典型的なパターンだ。こうなると手がつけられない。僕は携帯電話をそっとベンチの上に置いた。県警のロビーにある、休憩所の一角だった。


 放っておいても大丈夫。しばらく一人で怒り狂ってしゃべっているから。この会社に2年強いて、僕はもうこの人と仲良くなろうとか、いいように思われようと思うことを諦めていた。


 ふと、ジャケットのポケットに手が触れた。厚みがある。ああ、そういえば昨日、スクラッチくじを買ったんだった。まだ開封すらしていなかったな。


 携帯電話のスピーカーからは、これだけ離れていても、畠山さんの怒声が聞こえていた。勝手に言っとけ。包んでいた紙袋をビリビリと破いてくじを取り出すと、財布から10円玉を取り出して、1枚目をこすった。


 まあ、そんなうまいこといかないよな。


 1つ目、2つ目と同じ絵柄が並んだ。そして、3つ目。大体、これが違う絵柄なんだ。期待なんかするもんか。


 鼻で笑いながらシュッとこすった。


 ん?


 目を凝らして、3分の1ほど削れた部分を見る。


 まさか、これは……。


 嘘だろう。手を細かく動かして、全部削り取る。おお、3つ絵柄が並んだ。そして、この絵柄は……。


 くじに書かれた説明書きを見て、思わず息を飲んだ。


 1等、100万円。


 嘘だろう?! え、嘘だろう?!


 誰かに見られているような気がして、周囲を見回す。県警庁舎のロビーは行き交う人でガヤガヤとにぎやかだった。すぐ横に置いた携帯電話からは、まだ馬鹿野郎の声が漏れ聞こえていた。ええい、うるさい。ボタンを押して通話を終了する。そしてもう一度、手にしたくじを目を凝らして、よく見た。


 1等の絵柄が、3つ並んでいる。


 間違いない。100万円当たっている。本当に? 初めてスクープ書いたのに続いて、宝くじまで当たってしまった。


 これは夢なのか? 生まれて初めて、リアルに自分のほおをつねってみる。痛い。夢じゃない。


 本当だ。本当のことが今、起きている。

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