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第19話 はい、はい

 縁側に座る。やっと座らせてもらえた。よく考えたら庭に出てから立ちっぱなしだ。今、何時だろう。ぐるっと見回すが、見えるところに時計がない。縁側に置いた僕のボディバッグから携帯電話を取り出して確認すると、午後2時過ぎだった。思ったほど時間は経っていない。


 ふと気がつくと、小次郎がお盆に湯呑みを乗せてやってくるところだった。


 「お疲れさまです」


 僕の隣に座って「地べたですみません」と言いながら、湯呑みを置いた。


 「ありがとう。いただきます」


 入っていたのは、冷たい緑茶だった。すっきりする。気持ちいい。思わず「ああ、うまい」と声が出てしまった。


 そんな僕を見て小次郎は少し驚いた顔をして、それからウフフと小さく笑った。


 「いや、本当。ここに来てから飲まず食わずだったから、本当においしくて」


 なんだか照れ臭い。僕はわざとらしくアハハと笑って、かゆくもないのに頭をかいた。小次郎は目尻を下げてニコニコと笑っている。まんまるのほっぺたが柔らかそうだ。


 「あの、実は、おむすびをこしらえてあります。持ってきましょうか?」


 小次郎は僕が飲み干した湯呑みを受け取りながら、おずおずと聞いた。


 「え、本当に? すみません、ご馳走になっちゃって。いただきます」


 口ではそう言っているが、前回、焼きうどんを食べさせてもらっていたから、今回もご馳走になる気満々だった。小次郎は「少々お待ちください」と言って立ち上がり、しばらくするとまたお盆を手に戻ってきた。握りこぶしよりひと回り大きいおにぎりが2つ、白い和風の皿に乗っている。海苔は巻いておらず、黄色いたくわんが2切れ、添えられていた。


 「うん、うまい!」


 思った以上の空腹だったようで、ひと口ほお張ると米の甘みが一気に押し寄せてきて、つばがどっとわいてきた。


 いやあ、うまいな。空腹は最高の調味料っていうけど、本当だなあ。


 「小次郎ちゃん、上手だね」


 珍しく2人きりになれた。早く仲良くなりたくて、声をかけた。


 「いえ、お米がいいので……」


 小次郎は少し赤くなって、照れた。


 「ここの食事は、いつも小次郎ちゃんが作るの?」


 「いいえ。普段はおじいちゃんが作ります。きょうは稽古だったので、たまたま私が」


 小次郎は顔の前で、小さく手を振った。


 武蔵と違って「小次郎ちゃん」と呼んでも、嫌がらない。


 僕はそっと小次郎を観察した。


 見れば見るほど、僕好みのぽっちゃりだ。だらしない太り方ではなく、程よく全体的にふっくらとしていて、実に柔らかそう。着物を着ているので、より全身の丸っこいラインが強調されているのもたまらない。


 顔もよかった。見るたびにかわいらしさを増しているような気がする。大きくはないが、ほんわかした印象を与える垂れ目、少し上を向いた小さな鼻、ぽってりとした、きれいなピンク色のくちびる。噛めば噛むほど味が出るというけど、この子の場合は見れば見るほど癒される顔をしている。


 本当に元剣豪なのか? 佐々木小次郎といえば、背が高くてイケメンというイメージがあったのだけど、全く違う。突然、話題を変えたら驚くのではないかと思ったが、聞きたいことがいっぱいあった。


 「小次郎ちゃんも、妖刀なんだよね?」


 思った通り、小次郎は少し驚いた顔をした。


 「え、はい。はい、そうです」


 ちょっとしどろもどろになる。


 「元は、佐々木小次郎なんでしょ?」


 「はい、はい。そうです」


 この子、返事を2度する癖があるようだ。


 「佐々木小次郎って、もっと背が高い色男というイメージがあったんだけど、どうしてその……ふくよかな女性になったの?」


 小次郎は目をぱちくりとさせた。しばらく間があく。これ、聞いたらいけないことだったのかな? でも、すごく気になる。


 「あ、あの……。それが、自分でもよくわからないんです……。すみません……。気がついたらこんなふうになっていて……」


 小次郎は、照れながら自分のほおや腹回りを触り始めた。どうやらぽっちゃりだという自覚はあるらしい。


 「もともとは、僕が持っていたイメージみたいな人だったの?」


 「は、はい。そうです。色男かどうかは分かりません。でも、背は高かったです……たぶん」


 「え、じゃあ、中身は男性なの?」


 小次郎は「え……」と言葉に詰まった。僕を見て、恥ずかしそうにうつむく。


 「え……えっと……その……」


 指先をいじりながら、困った顔をした。


 「ああ、ごめん。なんか、聞いたらいけないことだったかな?」


 「あ、いえ! そんなことありません!」


 急にパッと顔を上げる。


 「あ、あの、中身というか、前世の記憶があるんです。男だった頃の。でも、妖刀になってからは、ずっと女子なので……。その、なんというか、今は女子なので……」


 また恥ずかしそうに目を伏せて、指先をいじり始めてしまった。なんだ、こいつ。めちゃくちゃかわいいじゃないか。


 「それって、どんな感じなの? トランスジェンダーみたいな感じなのかな?」


 小次郎はトランスジェンダーってわかるかな? 武蔵は知っていそうだけど。思った通り、小次郎は「はい、はい?」と言って、不思議そうな顔をした。


 「あ、その。なんというか、体は女性だけど、精神は男性っていうことだよ」


 「ああ、はい、はい」


 小次郎は軽く手を握って、自分の口元に当てた。しばらくうーんと言って考えている。


 「いえ、妖刀になってからは、ずっと女子なんです。ただ、男だった記憶があるというだけで。前世では家事が何もできない役立たずだったみたいなんですけど、今は家事ならなんでもこなせる、お役立ち女子です」


 少し緊張が解けてきたのか、小次郎は熱弁した。


 「小次郎ちゃんは妖刀になって、もう何年くらいになるの?」


 「え!」


 そこ、驚くところか? 小次郎はびっくりした顔をしている。そして、目をさまよわせながら「ええっと」と両手の指を折って数え始めた。


 「たぶん500年くらいです」


 真面目な顔をして言う。


 いや、違うだろ。


 小次郎に会って、僕は佐々木小次郎のことを少し調べた。巌流島の決闘で武蔵に負けて死んだのは、1612年。つまり、まだ400年くらいしか経っていない。妖刀ということ自体が嘘のメンヘラなのか、それともただのポンコツなのか。いや、そんな抜けたところも、なんだか、かわいいな。


 僕がニヤニヤしていると、褌一丁に作務衣を引っ掛けた足利さんが戻ってきた。


 「小次郎、切るぞ。準備をしてくれ」


 「はい」


 このじいさん、飯を食わなくて大丈夫なのか。足利さんに促されて、小次郎は庭へと出ていく。縁側の下から、高さ60センチほどの筒状の台と巻藁を取り出した。巻藁は長さ1メートル強、直径は15センチほどあるだろうか。


 「佐々木くんよ、今からこれを切るぞ。先にわしがやるから、見ておきなさい」


 足利さんは褌を翻して庭へと降りて、サンダルをつっかけた。


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