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第20話 試斬

 足利さんはそう言うと、サンダルをつっかけて庭へと出ていった。小次郎は筒状の台を立てると、その上に巻藁を乗せる。


 「これは台竹だいちくという。名前の通り、竹でできている。いずれ作り方を教えてやろう」


 足利さんはそう言いながら、作務衣の前を合わせて、紐で止めた。下は褌一丁のまんまだ。しわが刻まれた足は、昔は筋肉隆々で引き締まっていたのだろう。今では皮膚がたるんで老いは隠せないが、それでも90歳を超えた老人にしては、たくましいふくらはぎをしていた。


 「小次郎」


 「はい、はい」


 小次郎は足利さんに歩み寄ると、スッと消えた。次の瞬間、足利さんの手の中に、見るからに先ほどの模造刀よりも長い日本刀が現れる。


 「もう武蔵は見たじゃろう。これが小次郎だ。わしが研いでいるから、斬れ味は抜群だぞ」


 足利さんは小次郎を上段に構えると、ヒュンヒュンと2、3度、振り下ろした。空を切る、気持ちのいい音がする。


 いや、そんなことより。僕は小次郎が武蔵と同じく刀になってしまったことに、驚いていた。ちょっと言葉が出ない。さっきまでここで話をしていたかわいい女の子が、刀になってしまったなんて。まだ信じられない。やはり狸に化かされているのか? ポカンとしてしまう。


 「佐々木くんは、このへんで見ておきなさい」


 足利さんは僕の動揺を知ってか知らずか、台竹の斜め前方あたりを指し示した。立ち上がって、そっちへと移動する。なんだか足が地面についていない感じがする。夢のようだ。


 「さて、今からお見せするのは、わし流の燕返しだ。わしの体でできる精一杯の燕返しなので、そう思って見ておいてくれ」


 足利さんはそう言うと、台竹に乗せた巻藁に体を向けた。刀を中段に構える。と、こっちの心の準備ができる前に、いきなり踏み込んで刀を振るった。


 パパッ、パッ


 袈裟斬りで巻藁を真っ二つにすると、上の部分が落ちてくる前に水平に斬った。さらに台竹に残った部分を、袈裟で切り落とした。ここまでひと息。ひと息で3回、切ったことになる。


 「ふう〜」


 足利さんは息をつくと、作務衣の裾で小次郎を拭いた。そしてまた脂汗を浮かべて、ンンッと咳払いをした。少し足元がよろける。


 手の中の刀がフワッと幻のように揺れたかと思うと、小次郎が現れた。


 「おじいちゃん!」


 小さく叫んで、ふらつく足利さんの腕に手を添える。僕も駆け寄った。


 「ん……。大丈夫じゃ。しかし、この程度で息が詰まるとはのう」


 足利さんは力なく微笑んだ。休めばいいのに「では、次は佐々木くんがやってみようか」と言う。僕が何か言う前に「え、でも……」と小次郎が言った。


 「いいから、いいから。こんなのいつものことだし。それに今夜、わしが死んでしまったら、どうするんだ。一度もわしの前で切らなかったとなると、死んでも死にきれんわ」


 足利さんは小次郎の肩をポンポンと叩き、僕の方を向いて僕の肩もポンポンと叩いた。


 小次郎はシュンとしながら、もう一度、刀に変身する。足利さんみたいに受け止められなくて、地面にパタリと落ちた。それを拾い上げる。


 模造刀より随分と長く、重かった。中段に構えてみる。先ほどの模造刀より、切っ先がすごく遠くにあるように見えた。足利さんは縁側の下から新しい巻藁を取り出してくると、台竹に乗せた。そして、僕を手招きする。


 「いいか。基本的に小次郎に任せておけばいい。刀の動きに逆らうな。腕の力で振り回したくなるが、そうすると切れない。刀が勝手に切ってくれるくらいの気持ちで、振るんだ」


 巻藁のそばまで行くと、手を伸ばして触れるか触れないかくらいの位置に立った。


 「間合いはこれくらい。小次郎は長いが、思っている以上に間合いは狭い。遠いと真っ二つにできないからな」


 手招きして、僕を巻藁の前に立たせる。手を伸ばして、距離を測った。本当だ。想像以上に近い。こんなに長い刀なのに、こんなに近くで振って大丈夫なのか?


 フェンシングの間合いはすごく広い。深く踏み込んで突くから、すごく遠くまで剣先が届く。それに比べると、日本刀の間合いはすごく近く感じた。


 「とりあえず、やってみなさい。力を抜いて切れば、子供でも切れる」


 足利さんはそう言うと、よっこいしょと言って縁側に座った。いつの前にか武蔵が戻ってきて、縁側に寝そべっている。


 よし、やるぞ。ふうと一つ、深呼吸する。


 力を抜けと言われたが、持っているのは真剣だ。振り回して、手からスッポリと抜け落ちてしまったら、自分を切ってしまうかもしれない。そう考えると、思わず手のひらに力がギュッと入った。


 巻藁に相対する。


 「まず、真ん中を切るんだ。ど真ん中を袈裟で切る感じだな」


 背後から足利さんの声がする。


 中段から、上段へ刀を上げた。もう一度、フーッと息をついた。手の内に汗がじわっとにじむ。落ち着け。そう言い聞かせても、ドクドクと心臓が落ち着かない音を立てている。


 巻藁の真ん中を見る。これを、スパッと。そう、スパッとだ。小次郎はよく切れる。僕が邪魔しなければいい。


 よし、行くぞ。


 踏み込んだ。刀を振る。


 ドンッ!


 重い手応えがあった。巻藁は真っ二つにならずにへし折れて、台竹から転がり落ちた。


 「あ〜あ」


 武蔵の呆れた声が聞こえる。


 足利さんみたいに、スパッという音がしなかった。手応え的にも失敗だろう。近寄って巻藁を見ると、8割方切れていたが、両断はできていなかった。


 「うん、これは力の入れすぎだな」


 足利さんも近寄ってきた。巻藁を持ち上げて、断面を見ている。


 「刀が入って、それからこじっただろう。刀に任せておけばいいのに。なまじ、自分で切ろうとするから失敗する。さあ、もう一度やろう」


 足利さんは、ちぎれかけた巻藁を器用に繋ぎ合わせて、台竹の上に積んだ。


 それから小一時間、巻藁を切っていた。2回目で真っ二つにはできたが、巻藁が台竹から落ちてしまい、足利さんみたいな三段斬り……燕返しにならない。


 「アキラは下手くそだな。才能ないわ。なあ、じじい」


 武蔵がニヤニヤしながら見ているのが、ムカつく。こう見えても一生懸命、力を抜こうとしているのだ。時々、うまく切れた感触はある。ほとんど手応えがない時だ。素人ながら、スパッと切れたなという感じがした。


 足利さんが僕から小次郎を受け取って、その刃を親指の腹で触っている。


 「さすがにこれだけ切ったら、もう研がないとな。よし、切るのはとりあえず終わり」


 その言葉を聞いていたかのように、小次郎が人間の姿に戻った。急に足利さんの隣にパッと出現するので、わかっていても驚く。


 「おじいちゃん、稽古もいいけど、ちょっとご飯を食べましょう。佐々木さんは昼過ぎに私のおにぎり食べたけど、おじいちゃんは何も食べてないでしょう」


 小次郎は少し怒った顔をして言った。


 「おお、そうだったな。忘れておった」


 足利さんは意に介していないように、ヘラヘラと笑いながら返事をする。


 「もう! いつも夢中になったら全部忘れちゃうんだから!」


 小次郎はほっぺたを膨らましながら、ほら、早くご飯作りましょうと足利さんの腕を引っ張って、台所の方に行ってしまった。

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