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第21話 帰宅

 足利さんは昔から稽古に夢中になると寝食を忘れてしまうタイプだそうで、小次郎はどうせこんなことになるだろうと思って、食事の準備をしていた。


 なんてよく気がつく子なんだ。


 晩御飯は鰯の煮付け、ほうれん草の胡麻和え、豚汁、冷奴、ご飯。それから野沢菜など漬物数種類。足利さんが日本酒を冷やで飲み出したので、僕も一緒に飲んだ。いや、そんなことより。料理がどれも美味しい。甘めの味付けが、稽古で疲れた体に染み渡った。


 「食事が終わったら、小次郎の手入れをするならな。あまり酔っ払うんじゃないぞ」


 足利さんはそう言いながら、すでに自分が赤くなっている。大丈夫だろうか。


 「そんなことより、早く妖刀探しに行きたい! アキラ、研ぎが終わったら行くぞ!」


 武蔵はご飯を口いっぱいに頬張りながら、しゃべっている。口から飛び散った米を拾って、また口に押し込む。行儀が悪い。


 「じじい、今晩はアキラと出かけていいじゃろ? なあ、いいじゃろう?」


 箸で足利さんの腕をつついた。いや、本当に行儀の悪いやつだな。


 「え〜? でもなあ、まだ佐々木くんは斬り方さえよくわかってないしなあ。もし、斬り合いになったらどうする?」


 えっ、と思った。以前、戦うことになんてまずならないと言っていたのに、言うことが変わっている。


 「大丈夫じゃ。わしがついておるし、わしの言う通りにしておれば、斬り合いになどならん。もごもご」


 武蔵はしゃべりながらも、次々に口の中にご飯を放り込んでいく。


 「う〜ん」


 足利さんは酒の入ったコップを手にしたまま、腕組みをした。


 「本当は実戦を想定して、木刀で打ち合いなんかもしたいんだがのう。この感じではわしの体がもちそうもないし……」


 えっ、戦うことにはならないって言いましたよね? 実戦ってなんだよ。僕はヒヤッとしてなんとなく小次郎を見た。武蔵と対照的に、きちんと正座しておかずを小さくちぎって口に運んでいた小次郎は、視線に気がついて目を上げた。なんですか?と言いたげなキョトンとした顔をしている。それがまたかわいい。


 「佐々木くん。誰か知り合いで剣道なりなんなり、木刀での打ち合いとか組み打ちとか、実戦的なことを教えてくれる人がおらんか? 本来ならわしが教えるべきところなのだが、今日一日でわかったと思うけど、こんな体なのでなあ」


 こんな体とか言いながら、酒を飲んでいる。それはともかく、確かに今日一日付き合って、足利さんは年相応の体力で、決して無理はできないということはよくわかった。


 「あ、それならあります」


 心当たりはあった。従兄弟の宗一郎くんだ。2つ年上で、僕の伯母さんの息子。小さい頃から剣道をやっていて、大学時代は居合もやっていた。模造刀を持っていて、見せてもらったこともある。もう社会人になって、今も樺山市内に住んでいる。年1、2回ほど一緒に食事に行く程度だが、仲は悪くない。頼めば教えてくれるだろう。と言う話をした。


 「おお、それはいい。斬ったり研いだりはまだまだ教えられるが、実際に打ち合ったりするのは、もっと若い人に教えてもらった方がいいだろうからなあ」


 足利さんはニコニコ笑ってうなずいた。


 食事の後、僕はまた死ぬほどダメ出しされながら、小次郎を風呂に入れた。この前とは違い、今回は沸かした風呂だ。汗だくになる。のぼせて倒れそうになった。そして、相変わらず何がダメなのか、さっぱりわからない。なぜ好みの女の子の裸を目の前にしているのに、こんな苦行みたいなことをしないといけないんだ。ただ、この日は足利さんも少しお酒が入っていたせいか「まあ、こんな感じでいいか」と言って、思ったより早く許してくれた。


 その夜、僕は武蔵を持ち帰った。武蔵がどうしても妖刀探しに行きたいというので、僕が明日以降、連れ回すことになったのだ。確かに足利さんはあの体調では、夜遅くにあちこち出かけるのは危険だ。また出先で倒れるかもしれない。先日、僕が見つけたように誰かが助けてくれればいいけど、誰にも見つけられなければ、死んでしまう可能性がある。


 「忙しいから、満足いくほど時間は取れないかもしれないぞ」


 僕は武蔵に、念押しした。それでも武蔵は外に出られることがよほどうれしいのか「うん、わかった!」とご機嫌だった。


 とりあえずその夜は遅かったし、会社に電話すると例によって翌朝は朝駆けに行けとのことだったので、武蔵を連れて僕が住んでいるアパートへ真っ直ぐ帰った。刀状態の武蔵を持ち歩けるように、足利さんのところでちょうどいいサイズの剣袋けんたいというバッグを借りてきた。


 アパートの部屋に入り、電気をつける。古いながらも掃除が行き届いた足利邸と違い、築50年ほどのアパートは悪い意味で古めかしい。天井は低く、壁はしみだらけ。手前が6畳の台所で、奥に6畳の和室があり、その向こうに狭いベランダがある。高台にある上に2階なので、展望がいいことだけが救いだった。


 「狭い家だな」


 武蔵は開口一番、文句を言った。僕はそれを無視してトイレはあそこ、お風呂はあっちねと説明する。布団は2組もない。武蔵に貸すとして、僕は冬用の毛布をかぶって直接、畳の上に寝よう。


 武蔵が風呂に入らないといったので、僕だけ入った。上がると、勝手にテレビをつけてニュース番組を見ていた。


 「武蔵はお風呂、入らないの」


 「いらん。わしは小次郎みたいに風呂好きではないのじゃ」


 テレビから目を離さないままだったが、僕がそばまで行くと目を上げた。


 「武蔵も刀になる前は男だったんでしょ?」


 「そうじゃ。それがどうかしたのか?」


 僕は布団の上に寝そべっている武蔵の隣に座った。


 「女の子に生まれ変わって、違和感ないの?」


 「ああ」


 武蔵は何やら納得した表情を浮かべた。


 「そうじゃな、最初は確かに違和感はあったな。だけど、すぐ慣れた。妖刀になった時から女子おなごじゃったからな。男だった頃の記憶があるだけで、生まれてからずっと女子の感覚で生きておるぞ」


 少し悪戯っぽく笑って、僕を見上げる。


 「なんじゃ、アキラは女子に興味があるのか?」


 「それってどういう意味?」


 若い男なんだから、女に興味がないわけないじゃないか。何を聞きたいのか、よくわからなかった。


 「女子になりたいのか?」


 ああ、そういうことね。


 「うーん。興味ないと断言できないけど、でも、今はまだいいや」


 あいまいな返事をしながら、あした早速、宗一郎こと宗ちゃんのところに行こうと考えていた。戦うことになるのはできれば避けたかったが、何も知らないまま戦闘に巻き込まれるのはもっと避けたかった。善は急げだ。


 「それはそうと、アキラは仕事は何をやっておるのじゃ? 忙しいと言っていたが、そんなに忙しいのか?」


 武蔵が僕の腕をつつくので、ハッと我に返った。


 「ああ、新聞記者をやってるんだ」


 「なるほど。それで忙しいのか。知っているぞ。小説で読んだことがあるからな」


 武蔵はポンと手を打った。


 「小説って、何?」


 「なんだっけ。ほら、あれだ、あれ。クライマー〇・ハイ」


 それなら僕も読んだ。


 「うーん、惜しいな。あれは結構、マイルドだよ。本当はもっとハード」


 「そうなのか?」


 武蔵は目を見開いた。


 「アキラは仕事は好きか?」


 「うーん、どうだろう。ちょっと前までは本当に嫌だった。でも、つい最近、ちょっとうまくいってさ。それで、もう少し続けてもいいかなとは思ってる」


 あのスクープに関わっていなければ、僕はすぐにでも小次郎のために会社を辞めていただろう。だけど今は、後ろ髪引かれる思いがあった。


 武蔵はやれやれと言いたげに首を振った。


 「アキラ、あんまり忙しくしていると、全てを教わる前にじじいが死んでしまうぞ。悪いことは言わない。もう一度、もっと高額の宝くじを買え。そして仕事を辞めるか休職するかして、まずはじじいから全てを学べ」


 僕は畳の上にゴロンと横になった。


 そうだなあ。確かに、足利さんはいつ死んでもおかしくない。もちろん、そうなってほしくないけど、今日の様子を見ているとそう思わざるを得ない。教わることはものすごく多そうだし、一度、休職すると言うのも手かもしれない。


 ああ、たまらなく眠い。


 「武蔵、寝る前にテレビ消してね」


 武蔵はまたニュースに集中し始めたのか、ああと気のない返事をした。携帯電話のアラームを確認して目を閉じる。眠気に抵抗できない。あっという間に、僕は夢の中に落ちていった。

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