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第22話 腕利き

 翌朝、僕は剣袋に武蔵を入れて、朝駆けに出かけた。


 「佐々木さん、それ何ですか?」


 四ノ宮刑事部長宅前で早速、篠崎に突っ込まれた。いつも以上に浮腫んだ顔をしている。昨夜、痛飲したに違いない。


 「ああ、三脚だよ」


 新聞記者は好奇心旺盛だ。当然、聞いてくるだろうと思って、言い訳は考えておいた。マイカーで朝駆けに来る全国紙の記者たちは、こういう仕事の備品は車の中に置いてきているが、僕は自転車で来ているので持ち運ばざるを得ない。ちなみにカメラはリュックの中だ。


 「撮影っスか?」


 「そうね。なんか季節の写真をストックしておこうと思って」


 地方紙にもカメラマンはいるが、全国紙ほどたくさんいるわけではない。だから、地方紙の記者はカメラマンを兼ねていることが多い。紙面を飾る何気ない風景の写真なども、記者が撮影していることが多いのだ。


 「暇でいいっスね」


 篠崎は鼻の穴を膨らませて、不機嫌そうに言った。


 「篠崎も息抜きしないと、煮詰まってしまうぞ」


 事件を追いかけている間、記者は事件の取材ばかりしがちだが、毎日のようにスクープが書けるわけではないし、捜査に劇的な進展があるわけでもない。何の変化もない取材を地道に続けないといけない期間が、必ずある。そういう時に事件以外の取材に行くと、最高の息抜きになる。篠崎は下っ端なので、事件に張り付かされている。ちょっとした撮影で事件から離れられる僕が、うらやましいのだろう。


 本当は撮影に行くわけではないのだけど。


 「佐々木、釣りにでも行くのか」


 この日の朝は僕と篠崎しかいなかったせいか、珍しく四ノ宮さんの方から話しかけてきた。どうやら武蔵を釣竿と思っているらしい。


 「いや、これ、三脚なんです。そろそろ季節の写真をストックしとかないといけないなと思って」


 「今の季節って何を撮るんだ?」


 四ノ宮さんは地面に視線を落としたままで僕の方を見ていないが、薄く笑った。


 「そろそろバラ園に行こうかな、と」


 樺山緑地内のバラ園は本格的で種類も多いことで知られており、5月の見頃になると遠くからも見物客が訪れる。もうすぐ見頃ですよという記事を毎年、書いていた。


 「部長、捜査の進展は」


 篠崎が話の腰を折った。四ノ宮さんは目を上げると、篠崎をジロリとにらんだ。元凄腕刑事の圧力に押されて、篠崎は少しギョッとした顔をした。


 「シノ、お前もバラ園に行って、きれいな花の写真でも撮ってこい。血生臭い事件ばかり追いかけていると、心が病んでしまうぞ」


 四ノ宮さんはそう言うと、フッとニヒルな感じに笑った。篠崎が何か言う前に迎えの車に乗り込むと、走り去る。その後ろ姿に、2人で深々と一礼した。


 「あれ、どういう意味なんスか?」


 篠崎は呆けた顔をして、僕に聞いた。


 「どういう意味って、どういう意味よ」


 「だからぁ」


 篠崎はアホだ。頭が悪い。よくこんなんで全国紙に入れたものだと思う。


 「進展があったのか、ないのかってことですよぉ」


 わからない自分が悪いのに、まるで僕のせいかのような不満げな顔をした。


 「さあな。自分で考えろよ」


 おそらく篠崎は、言われたことをそのまんま先輩記者かデスクに報告するだろう。そして、怒られるのだ。


 少し考えればわかる。事件なんか追いかけてないでバラ園に行ってこいというのは、しばらく何もないということだ。顔なじみの若造記者しかいなかったこともあるが、あのリラックスぶりを見ると、何かめどが立ったのだろう。捜査は順調に進んでいる。ただ、いきなり今日、急転して容疑者逮捕とか、そういう事態はないということなのだ。


 四ノ宮さんを観察して、そこまで推測できないと、記者なんかやっていられない。他社の先輩に「どういう意味ですか」なんて聞いているうちは、まだひよっこだ。


 憮然とした顔をしている篠崎をその場に置いて、僕は自転車に向かう。少し走って川沿いの公園に入って停めると、近くの自動販売機で缶コーヒーを買ってベンチに腰掛けた。公園の外はこれから会社に行く人、学校に行く子供たちが自転車や徒歩でせわしなく行き交っている。だけど、公園の中は静かだ。ここで朝駆けの内容を整理するのが、日課だった。だが、今日はその前にやることがある。カバーの上から、武蔵に触れた。


 「あのおっさん、腕利きじゃ」


 武蔵の声が聞こえた。


 「わかるんだ」


 おっさんとは、四ノ宮さんのことだろう。


 「わしを馬鹿にしておるのか? 匂いだけで十分にわかるわい。で、どんな剣豪なのじゃ? 人の姿で会いたかったのう」


 「いや、それは無理だなあ。こんな早朝に小さな女の子がうろうろしているのは、普通じゃないからね」


 苦笑いする。


 「で、これからどうするのじゃ? 何かやることがあるのか? 特になければ早速、事件現場に行きたいんだが」


 武蔵は矢継ぎ早にしゃべった。


 樺山新報は夕刊がない。夕刊があれば、いわゆる夕刊時間帯と呼ばれる午後1時頃までは突然の事件発生に備えて記者室に詰めていなければいけないが、夕刊がなければその必要はない。朝駆けの報告が終われば、あとは「ネタを探してきます」とか適当なことを言って外出しても構わない。「ネタを探してきます」は記者の殺し文句で、これを言われると上司は何も言えない。ただ、何もネタを持って帰ってこないと、あとで「どこで油を売っていたんだ」と叱られるんだけど。


 「少しやることがあるけど、それが終わったら、事件現場に行こう」


 僕は缶コーヒーをグイと飲み干すと、立ち上がった。朝日に照らされた剣袋を見る。見れば見るほど、三脚を入れる袋には見えない。どこかでカモフラージュできるバッグか何かを買わないと。そんなことを考えながら、僕はまた自転車へと向かった。

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