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第23話 現場

 記者クラブに到着すると、ロッカーに武蔵を締まって、朝刊をチェックした。今朝は何もスクープされていない。ホッとひと安心して、とりあえず昨夜に発生した事件ものの記事を処理した。ちょっと早いかなと思いつつ、デスクに連絡する。きょうの当番は南川さんだった。四ノ宮さんがご機嫌だったことを報告して、早々に所轄回りに出たいと申し出てお許しを得た。


 事件の捜査はあちこちで行われ、県警本部だけではなく、支部にあたる所轄署も参加している。捜査本部=県警本部はもちろん口が堅い。だが、所轄はそこまでピリピリしておらず、行けば思わぬ噂話を聞けることがある。だから事件記者は、こまめに所轄を回る。もちろん、何もネタをつかめない日の方が圧倒的に多いが、人脈を作るという意味でも大切な仕事なのだ。


 同時に「所轄に行ってきます」というのは警察担当記者にとって、切り札ともいうべきサボりの理由にもなる。どこに行っていたのかいちいち報告する必要はないし、デスクもそこまで調べない。全国紙の記者などは、よく「所轄に行ってきます」と言って車で出て行って、公園の駐車場などで昼寝をしている。


 だが、きょうの僕は違う。やることがいっぱいあった。


 まず、開店直後の大型家電量販店に行き、三脚ケースを買った。武蔵を入れている剣袋は、日本刀を扱っている人には刀を入れている袋だとわかる。「三脚です」という言い訳が通用しない場面に出くわすかもしれない。カモフラージュするために、本物の三脚ケースに入れ直した。


 「なんじゃ、これは。なんだかふわふわして、気持ちがいいな」


 嫌がるかなと思ったが、武蔵は三脚ケースが気に入ったようだった。それから、宗ちゃんにメールした。教えを乞うなら、早い方がよかった。


 『久しぶり。ちょっと教えてほしいことがあるんだ。いつ会える?』


 宗ちゃんは小学校の教師だ。この時間は授業中だから返信はないと思っていたが、すぐに返事が来た。


 『久しぶり。いつでもいいよ。今日も昼から夕方までなら空いているよ』


 あれ? 


 『仕事、休みなの?』


 またすぐに返信があった。


 『事情があって。会った時に話すよ』


 まあ、いいか。昼から会えるのなら、もうすぐに行こう。午後2時過ぎに行くと伝えると、住所が送られてきた。引っ越したという。中心部から随分と離れたところだ。


 メールのやり取りをしながら、地下鉄に乗った。樺山市内には東西線、南北線と2本の地下鉄がある。事件の舞台になったのは2度とも東西線だった。1度目は西側から数えて3駅目にある西堀江から、その隣の西大川までの間で。2度目は2駅目の浪江から西堀江の間で起きた。いずれも市の中心部からは離れていて、閑静で高級な住宅地だ。割と最近できたタワーマンションがいくつも建っていて、僕が住んでいる桑山と比べると随分とオシャレな感じがする。市外から引っ越してくる人が多い地域でもあった。


 樺山西駅から地下鉄に乗り、西へと向かう。ホームには民間の警備員がいた。事件直後は警察官が立っていたのだが、いつまでも警備に人を出せるほど、県警も人員豊富というわけではない。どうせアルバイトの警備員だろう。なにか起きたときに対処できるとは思えなかった。


 通勤ラッシュが一段落した時間で、車内は割と閑散としていた。パートに出かける女性や大学生っぽい若者がパラパラと乗っているだけで、空いていた。武蔵を抱えて、座る。


 「これが事件の舞台になった地下鉄か」


 武蔵が話しかけてくる。返事をしたいところだが、三脚ケースと話しているなんて、変な人だ。僕が黙っていると、武蔵は勝手にしゃべり続けた。


 「なんでみんな携帯電話をのぞき込んでいるんだ? 今、この瞬間に辻斬りが現れたらどうするんだ? 不用心だろう」


 確かにその通りだ。今回、2度とも大量殺人事件になった理由の一つに、被害者たちがスマホの画面を見ていて、事件が発生したことに気付くのが遅れたからではないかと言われている。というのも、逃げのびた人たちが「スマホから目を上げたら」と口をそろえているからだ。


 「狭いな。これではひと振りで3人くらい仕留められそうだ」


 武蔵のいう通り、樺山市営地下鉄の車両は小さい。横幅も高さも小さく、通勤通学時にすぐに満員になるのが弱点だった。建設時に資金が潤沢でなく、車両を小さくしてトンネルも小さくして、工費を節約しようとしたからだと言われている。


 少し長めの刀を持っていれば、振り回しただけで、対抗面に座っている乗客を一気に切り殺せそうだった。


 「緊急停車ボタンを押して逃げたんじゃろ? アキラ、そのボタンが見たいぞ。移動してくれ」


 あれこれうるさい。やれやれと思いながら立ち上がると、車両の端へ向かった。ドアのそば、座席の下に蓋があり、開けると緊急停車ボタンがある。武蔵はボタンと言ったが、正確にはレバーだ。取材で見せてもらった。操作するには結構、力が必要だった。老人や子供では引けないかもしれない。


 「ふーん。この辺りからバッサバッサといったんじゃな。手際がいいな」


 武蔵は感心している。


 「鞘に入った状態で、周囲が見えるの?」


 三脚ケースを胸に抱えると、さっきから気になっていたことを声をひそめて聞いてみた。


 「ああ、見えるぞ」


 「どこに目があるの?」


 「ここじゃ」


 わからない。


 「ここって、どこだよ」


 「柄のところじゃな。目と言っても、人間のようなギョロギョロ動く目ではないぞ。虫の感覚器官みたいなものがあるんじゃ」


 なんだか気持ち悪いなあ。


 僕は武蔵と一緒に東西線を端から端まで、それから南北線も端から端まで乗った。どちらもなんの変哲もない。数週間前に大量殺人事件の舞台になったとは思えないくらい、静かで乗客はみんな無防備だった。


 「なんか感じた?」


 「いろいろ感じたけど、妖刀はいなかったなあ。そんなことより、腹が減ったぞ」


 宗ちゃんのマンションは東西線の最西端、海岸通り前駅を降りて、徒歩15分ほどだった。駅を降りると市営の巨大な展示場があり、その中に食事ができるところがある。介護用トイレに入って武蔵を鞘から抜くと、ポン!と変な音を立てて人間の姿になった。


 「何、今の音?」


 「特に意味はない。何か音が出た方が、アキラが喜ぶかと思ってなあ」


 武蔵はボサボサの髪を整えながら、エヘヘと悪戯っ子のように笑った。トイレを出ると、食堂街へと向かう。


 平日の昼間。周囲はこの辺りで働いているであろう会社員ばかりだ。何人か連れ立って、思い思いの店へと入っていく。彼らの目に僕らはどう映っているだろう。若手社員とその娘? 娘にしては大きくないか? しかも着物姿だし。


 外をうろうろ歩くなら、この着物もなんとかしないといけない。それは後から考えるとして、まずは昼飯だ。


 「妖刀って何を食べるの? なんでも食べられるの?」


 「人間が食べられるものなら、なんでも食べるぞ。わしは寿司や刺身が好きじゃ。肉も好きじゃぞ」


 武蔵は、あちこちのレストランを物珍しげに見ている。いや、そんな高そうなところには入らないぞ。


 「牛丼とか大丈夫?」


 「牛丼? 牛の丼か?」


 「食べたことない?」


 「ない。美味いのか?」


 武蔵は期待で目をキラキラさせていた。


 「ああ、美味しいよ。嫌いっていう人には会ったことがないなあ」


 「よし、じゃあ、そこに行こう!」


 僕は武蔵を連れて、吉野屋に入った。幸いなことにテーブル席がある。普段は一人なのでカウンターへ行く。テーブル席なんて使ったことがないので、新鮮だ。牛丼並と卵を2つ注文した。武蔵は椅子に座って足をぶらぶらさせて、テーブルの上のお品書きをしげしげとながめている。


 「あまり出かけたりしないの?」


 僕に質問されると思っていなかったのか、武蔵はびっくりした顔をしてこちらを見た。


 「あ、ああ、そうじゃな。じじいは滅多に出かけない。警備に行く時くらいじゃ」


 「そうなんだ。なぜ?」


 武蔵はよほど珍しいのか、キョロキョロと店内を見回している。


 「なぜって、わしらのことが世の中に知れ渡るのを、恐れているからじゃろ。たぶん」


 「妖刀の持ち主になったら、お金持ちになれるから?」


 「うん。簡単に言えば、そういうこと」


 観察が終わったのか、僕の方に目を向けた。


 「知っているやつからすれば、妖刀は喉から手が出るほどほしいからな。わしを使って、それはそれは大金持ちになったやつもおったわ。まあでも、金持ちになりすぎて、ろくな死に方はせんかったな。それ以前に、わしの手入れを怠るという大罪も犯したしな」


 サラッと聞き捨てならないことを言った。


 「手入れを怠ると、どうなるの?」


 武蔵は湯呑みを持ち上げて、冷たいお茶をグイッと飲んだ。


 「使い手を助けてやらんようになるな」


 「助けてやらないって?」


 「特典がなくなるということだ」


 そこまで話したところで、牛丼と生卵がやってきた。武蔵は丼を抱えて匂いをかぐと、目をキラキラさせて「いい匂いじゃな!」と顔をほころばせた。


 「こうやって生卵を入れて、七味をかけて食べると美味いんだ。アツアツだから、火傷するなよ」


 僕は卵を割って、丼に入れてやった。武蔵はそれを「うふー」と目を輝かせて見ている。こうしていると、小学生の女の子にしか見えない。本当に剣豪なのか?と思ってしまう。


 「いただきます!」


 武蔵は箸を取り上げると、丼を抱えるようにして中身をかき込んだ。


 「う、美味いっ! アキラ、これは本当に美味いぞ!」


 「だろう?」


 思わずニヤッとする。そりゃあ、吉野家の牛丼は美味いよ。他にも牛丼を食べさせるチェーン店はたくさんあるけど、僕はここが一番、美味いと信じている。武蔵はあっという間に食べ終えてしまった。まだ少し残っている僕の丼を、もの欲しそうな目でじーっと見ている。


 「食べる?」


 そのうちよだれを垂らすのではないかと思うほど見つめてくるので、丼を差し出した。


 「え! いいのか?」


 武蔵は実にうれしそうに微笑んで、僕から丼を受け取った。

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