セクション1:遅刻と空中衝突
「ぴぴぴぴぴぴっ……!」
――目覚ましの電子音が部屋中に鳴り響く。
「……ううん、あと五日……お願い、あと三年眠らせて……」
寝ぼけて未来単位で甘える少女、山里ありすは、目をこすりながら時計を見ると、即座に飛び起きた。
「うわっ、遅刻するじゃん!」
制服を引っつかんで身につけ、鞄を抱えたままキッチンへダッシュ。
「朝ごはんどうする?」
「これだけでいい!」
トースト一枚を口にくわえて、階段を転がり落ちる勢いで駆け下りる。
「ありすちゃん、パンくわえて走るのって、どこのアニメヒロインよ……」
母のぼやきを背中に受けながら、庭へ飛び出す。
「おいで、シューティングスター!」
合図と共に、温室に立てかけてあった竹箒が空を裂いて舞い上がる。
ありすはそれに飛び乗ると、叫んだ。
「行けーっ、シューティングスター!」
箒は秒速で加速し、家と学校を一直線に突っ切る最短ルートを滑空していく。
「もぐもぐ……」
竹箒の上でトーストを平然と咀嚼する少女。時速512kmを超えているとは到底思えない落ち着きっぷり。
「このまま屋上に着地っと……ラノベだったらそろそろ転校生と曲がり角でぶつかるタイミングだけど……曲がり角ないし……」
しかし。
突然、屋上の空間に「何か」が現れた。
それは、ありすの進路にぴったりと被さるように、まるで出現したかのように――現れた。
「ええええっ!?」
――ドンッ!!
減速が間に合わず、ありすはそれと正面衝突。宙を舞って、ゴロンと屋上の床に転がる。
「いったたた……」
目の前に倒れているのは、黒いローブをまとった金髪の美少女だった。
見慣れない制服、見慣れない顔。
そして、足元には、ありすの箒と……もう一本、見知らぬ竹箒が転がっていた。
(まさか――彼女も空を飛んでいた!?)
まさかの展開に、ありすの脳内には、ビビッと何かが走った。
そう。まるで、何かが始まる前触れのように――。
(……次の展開、めっちゃラノベっぽくなってきたんだけど!?)
セクション2:はじめましての空中衝突と出会い
――ドスン!
「いったたた……」
竹箒〈シューティングスター〉から宙を舞ったありすは、予想外の着地点へと墜落した。幸いにも高さは50cmほどで、床も衝撃を吸収するような柔らかさ……というか、明らかに人だった。
「ひ、ひえっ!? だ、大丈夫っ!? っていうか、生きてる!?」
慌てて身を引くと、下敷きになっていたのは黒いローブを羽織った金髪の――それはそれは見目麗しい、美少女だった。
「いたた……えっと……はい、だいじょうぶです……」
ローブの裾を整えながらゆっくり起き上がる彼女。顔は整いすぎていて、まるでCGで生成されたみたいに完璧だった。
(な、なにこの子……超美人……でも、なんで……)
ありすが顔をしかめて足元を見ると、自分の〈シューティングスター〉の隣に、そっくりな竹箒がもう一本――。
「え、もしかして……あなたも、飛んでた?」
「はい……ちょっと屋上の空気を見ておこうかと思ったら、突然誰かが正面から突っ込んできて……」
「そ、それはこっちの台詞だよ~!」
思わず苦笑いが漏れる。
「でも、無事でよかった……。私、3年B組の山里ありす。……あなたは?」
「私は今日から転校してきました、カミーラ・ドルベークと申します。どうぞよろしくお願いします、ありすさん」
「えっ……?」
「えっ……?」
ふたり、まったく同時に同じように驚いた。
ありすは、先日、由美から見せられた「魔女カミーラ・ドルベーク」の顔写真を思い出していた。長い金髪、すらりとした鼻筋、涼やかな瞳――似ている。名前も一致している。
(まさか、指名手配中のA級魔女本人!?)
でも……目の前の彼女は、そんな悪名とは無縁の、澄んだ瞳をしていた。
「……ありすさん? 私の顔に、何かついてますか?」
「……ううん、な、なんでもないよ!」
慌てて顔を背けながら、心の中でぐるぐる思考が回る。
(魔法使いが見た目を変えるのなんて普通のこと。年齢偽装なんて余裕。……けど、でも、この人……どうしてこんなに純真そうなの!?)
名前と顔だけでは断定できない。今この場で問い詰めるなんてナンセンスすぎる。第一、そんな無粋なことしたら、せっかくの美人転校生エピソードが台無しだ。
「職員室って……どこかしら?」
「えっと……うん。良かったら案内するよ、カミラさん」
「ありがとうございます、ありすさん。……できれば、呼び方は“カミラ”だけでお願いしても?」
「もちろん! じゃあ私のことも、“ありす”って呼んでね」
「ふふっ。じゃあ……ありす。もうひとつ、お願いがあるの」
「うん? なに?」
カミラは、ためらいがちに指先を絡めながら、言った。
「……お友達になってくれませんか?」
「……え、それだけ?」
「だって、転校生ってすぐに仲良くできるかわからないし……日本の学校は初めてで、勝手がわからなくて……」
「あははっ、そんなことかと思った!」
ありすはぱっと笑顔になって、彼女の手をぎゅっと握る。
「もう友達でしょ! あんな風に空中でぶつかった仲なんだし!」
「ありす……うれしいです!」
感激したカミラは、勢いよく抱きついてきた。
「わわっ!? ちょっと、顔近っ!」
金髪がふわりと広がり、ほんのり花のような香りがした。思わず心拍数が上がる。
(え、なにこの子……ちょっと天然っぽくて、すっごく可愛い……)
「じゃあ行こっか、職員室。初日から遅刻って印象よくないし!」
「はい、案内してくださると助かります」
そう言って、ふたりは連れ立って屋上から階段を降りていった。
ありすの心には、まだ“カミーラ・ドルベーク”という名前に引っかかるものがあった。
けれど。
――彼女の笑顔と手のぬくもりを、疑うには、あまりにも温かすぎた。
(……とりあえず、“友達”として様子を見てみよう)
ありすはそう心に決めながら、カミラの手をもう少ししっかりと握りなおした。
セクション3:転校生カミーラの教室デビュー
「おはよう、ありすちゃん」
登校してきたありすが席に着くなり、隣の席の由美が声をかけてきた。
「おはよう、由美ちゃん」
「ねぇねぇ、さっき校門の方から誰かが言ってたよ。ありすちゃん、今日は40分遅れで家を出たって」
「えへへ……ちょっと寝坊してさ」
「で? 時速500キロで校舎上空をかっ飛んでいった箒姿の魔法少女を見たってウワサも聞いたんだけど、それもありすちゃん?」
「つ、つい……。まあ、急いでたし」
由美はニヤニヤと笑いながら、ありすの机に肘をついてのぞきこむ。
「で、さ。ありすちゃん、なんか隠してるでしょ?」
「え、な、何が?」
「今朝からずっと何か起きそうな顔してたよね? ほら、なんか“イベント始まりますよー”って感じ」
「そ、そんなこと……」
ありすが言いかけたところで、ホームルーム開始のチャイムが鳴った。
「ほら、席戻って。すぐわかるから」
「え、なにそれ!? めっちゃ気になるんだけどー!」
由美が渋々自分の席に戻ると、すぐに教室のドアが開いた。
「起立」
委員長の号令で、クラス全員が立ち上がる。
「礼、着席」
坂本先生が教壇に立ち、柔らかい声で生徒たちに語りかける。
「みなさん、今日からこのクラスに新しいお友達が加わります。入ってきてください」
ドアの向こうから現れたのは、金髪ロングの美少女。スラリとした体型に控えめな笑顔。
「わあああああっ……」
教室内がざわめいた。男子も女子も、彼女の登場に目を奪われている。
「えっと……カミーラ・ドルベークです。日本の学校は初めてなので、いろいろ教えてもらえるとうれしいです。よろしくお願いします」
一礼する彼女に、教室全体が拍手とどよめきで包まれた。
その時。
「ぬわんだとーーーーーーーー!」
ドンッ! と立ち上がったのは由美だった。
「工藤さん?」
「い、いえ、なんでもないです」
慌てて腰を下ろした由美を見て、ありすは頭を抱える。
(ああ、言っておけばよかった……)
その瞬間、ありすの頭にポンッと丸めたメモが飛んできた。
『どういうこと!? ありすちゃんのバカ!』
メモを読みながら青ざめるありす。由美の視線が痛い。
「……説明面倒くさそう」
急いでメモを取り出し、必死に返信を書く。
『カミラちゃんはカミーラじゃないよ』
由美に投げ返すと、すぐに新たなメモが飛んできた。
中には、消しゴムが芯として詰められていた。
『なんでよー!』
『後で説明するから』
『何で最初から言ってくれないのよ』
『複雑になるからだよ』
『どおして?』
メモは次々と飛び交い、ついに十八往復目。
「山里さん、工藤さん」
坂本先生の手が飛んできたメモをキャッチして広げる。
「“ありすちゃん帰りカミーラちゃんを誘ってお茶しましょ-由美”……。ホームルーム中に回す内容ではないですね」
「す、すみません……」
「二人とも、廊下に立ってなさい」
「はーい」
見事にハモった返事をして、ありすと由美は嬉しそうに廊下へ。
「怒られちゃったね」
「ま、当然かな」
二人並んで背中を壁につけて立つ。
「ところで、どこ行く? メイド喫茶?」
「コスプレ喫茶も捨てがたい」
「……あんな遠くまで行けないでしょ」
「飛んでいけばすぐだよ」
「飛んで行くって……なにそれ」
「箒もあるし」
「私もカミラちゃんも飛べないってば」
「由美ちゃんは私とタンデムすればいいし、カミラちゃんは飛べるよ」
由美が一瞬、言葉を失った。
「……そういうことなのね」
「そうだよ」
ありすは少しだけ笑って、視線を前に戻した。
(由美ちゃんなら、きっとすぐに察すると思ってた)
セクション4:先生の鉄槌と、まさかの弁明タイム
「――貴女方、反省した?」
ホームルームが終わるやいなや、教室のドアが開き、担任の坂本優子先生がきびきびと廊下に現れた。肩までの黒髪にメガネ姿、怒らせると誰よりも怖い(でもちょっと天然な)大人の女性。
「はい。すみませんでしたっ!」
ありすと由美は即座にぴしっと立ち直って、ほぼ完璧に揃った声で深々と頭を下げた。
「分かったならもういいわ。……もう二度とやらないようにね」
「はーい!」
今度もハモる。というか、もはや狙ってる?と思われそうな完璧なユニゾン。
先生はちょっと目を細めると、苦笑しながら腕を組んだ。
「ほんと、仲がいいのね、あなたたち。まぁ、新しいお友達と仲良くしようっていう気持ちは素晴らしいけど……メモの応酬はね。あれはちょっと、度が過ぎてたわよ?」
「すみません……」
「でも先生、スマホでやりとりしてたら……きっと没収してたでしょ?」
ありすがちょっとだけいたずらっぽく上目づかいに聞いてくる。
「そりゃ、授業中のスマホ使用は当然アウトよ。教師としてはね」
「だからですよっ。あれはあくまで!最もアナログで最も安全な連絡手段だったんですっ」
由美が堂々と胸を張って言い切る。いや、メモの応酬が18往復してたのは、もはや戦争だったけど。
「……もういい。席に戻って、ちゃんと授業の準備をしなさい」
先生がため息をつきながらも、どこかあきれ顔で教室を指さす。
「はーいっ!」
またハモった。
坂本先生はこめかみを押さえながら、「次、同じことやったら日直百回ね」とぼそっと言い残して、教室へと戻っていった。
「やばっ、百回はイヤだな……」ありすがつぶやく。
「でも、今日のメモの精度、なかなかだったでしょ?」由美が得意げに笑う。
「そもそも、授業中に紙飛行機みたいに飛ばすの、どうなのよ……」
2人は顔を見合わせて、こっそりと笑い合った。そこにあるのは、先生に叱られても消えない、確かな友情だった。
セクション5:転校生という名の嵐と、仮装と友情のはじまり
教室に戻ったありすと由美の視線は、すぐさま一点に集中した。
「お生まれはどこですの?」
「日本の印象は、いかがですの?」
「趣味は何ですの? 好きなアニメは?」
そこには――四方からの質問攻めにあい、やや困惑気味に笑っている金髪の転校生・カミーラの姿があった。
「……すごい人気だね、カミラちゃん」
ありすが小声で呟くと、
「金髪の美少女転校生、まあ、当然の反応でしょ」
と、由美がいつものクールめなテンションで返す。
「これじゃ私たちがおせっかい焼かなくても大丈夫そうだね」
「どうでしょう? 今はまだ“珍しいもの”として注目されてるに過ぎない、とも言えますわ」
声の主は、いつの間にか隣に立っていた宮の森里美。完璧な笑顔に少しだけ意味深な影が落ちていた。
「おはよう、里美ちゃん!」
「おはようございます、宮の森さん」
ありすと由美がそれぞれ挨拶すると、里美は微笑みながらもふと鋭く言った。
「意外ね、ありすさんまで彼女に注目してるなんて。貴女はてっきり、そういうものに無関心なタイプかと」
「失礼な。私は普通に“新しい友達”として興味を持っただけだよ?」
「ふふ、そう。それならいいの」
そう答えた里美の顔がふっと明るくなる。
「そうだ、里美ちゃん。土曜日のハロウィンパーティー、招待してくれてありがとう。行くね」
「――ほんとうに!? ほんとうに来てくれるの!? きゃー! うれしーい!」
思わず飛び上がってしまいそうなほどに喜ぶ里美に、ありすが少し照れながら微笑む。
「こちらこそ誘ってくれてありがとう。今から楽しみだよ」
「じゃあ、私も参加してもいいかな?」
由美が手を挙げると、里美は満面の笑みで応じた。
「もちろんですとも、工藤さん。歓迎いたしますわ」
ありすは一瞬タイミングを見て、切り出した。
「里美ちゃん。カミラちゃんも誘ってみてもいいかな?」
「もちろん。大歓迎ですわ。けど、まだ直接お話もしていないのに……来てくださるかしら?」
「だから、お誘いするんだよ」
由美がコクリとうなずく。
「ナイス判断。これで歓迎のきっかけができるしね」
カミラは未だ、クラスメイトたちに囲まれていて、なかなか話しかける隙がなかった。
「……まぁ、今は無理そうだし、授業始まりそうだし」
「うん。続きはまた休み時間にでもね」
3人はそのまま席に戻った。騒がしい教室の中、カミラの笑顔は変わらず無邪気で――それがかえって、ほんの少しだけ、胸の奥に引っかかるものを残していた。
セクション6:歓迎の言葉と、かけがえのない誘い
次の休み時間、ようやく教室が落ち着きを取り戻した頃、ありすたちは意を決してカミラに声をかけた。
「カミラちゃん」
その呼びかけに、カミラはぴくりと反応し、静かに振り返った。
「ごめんなさい、ありすさん……」
「え? どうしたの?」
カミラは、申し訳なさそうに微笑みながら視線を逸らす。
「先ほど先生に叱られていたのは……私が原因だったのではと思いまして。転校初日でご迷惑をおかけしたかと…」
ありすは思わず吹き出しそうになったが、必死にこらえた。
「ううん、違うよ。全然カミラちゃんのせいじゃないの」
すると、すっと横から由美が入ってくる。
「むしろ私のせい。ありすちゃんと内緒話しててね。バレちゃった」
カミラがぱちぱちと瞬きをした。
「ええと……あなたは?」
「私は工藤由美。ありすちゃんの友達で……まあ、ツッコミ役みたいなもの?」
「由美ちゃんって、そういう自覚あったんだ……」
ありすが苦笑しながら突っ込むと、さらにもうひとりの声が割り込んできた。
「私は宮の森里美よ。よろしくね、カミラさん。2人の仲が良すぎて、ちょっと妬けちゃうくらい」
「さすがに妬くのは早くない?」
ありすと由美は顔を見合わせて、照れくさそうに笑い合った。
「ふふっ。皆さん仲が良いのですね。こうしてお話できて、嬉しいです」
カミラがほっとした表情で微笑むと、場の空気はさらに和らいだ。
「そうだ、カミラちゃん。今日の放課後、なにか予定ある?」
「いえ、特にありませんが……」
「だったら、一緒にお茶でもしない? 色々話したいしさ」
「喜んで! ありすさんと一緒なら、どこへでも!」
カミラは嬉しそうに頷いた。即答すぎて、こちらが照れてしまいそうなほどだ。
「な、なんてこと……私も同席したかったのに……」
ぽつりと呟いたのは里美だった。どこか遠い目をしている。
「今日はピアノのレッスンなのよ。なんでよりによって今日なのかしら……いっそ、休もうかしら」
「それはそれでお母様に怒られるやつだよ、里美ちゃん」
ありすは困ったように笑う。
「でも、土曜日もあるしね?」
「そうでしたわ……!」
「土曜日?」
カミラがきょとんとする。
「あ、そうそう! 土曜日に里美ちゃんのお家でハロウィンパーティーがあるの。私と由美ちゃんも招待されてて、よかったらカミラちゃんもどう?」
「えっ、私も……いいんですか?」
里美はすかさず一歩前に出ると、手をそっと差し出す。
「もちろんですわ。大歓迎ですの。ありすちゃんと工藤さんだけでなく、クラスの皆さんほとんどが来てくださる予定なのです。カミーラさんも、ぜひ」
「ありがとうございます……。でも、そんな……私のためにそこまでしていただかなくても……」
「……ふふふ、それがですね」
と、里美が満面の笑みを浮かべて宣言する。
「このパーティー、ハロウィンパーティー兼――カミーラ・ドルベークさんの歓迎会にいたしますわ!」
「おおっ、それはいいアイディア!」
由美が拍手しながら賛同する。
「里美ちゃん、ナイスすぎる!」
ありすも手を打って喜ぶ。
「でしょう!? そう思っていただけると嬉しいですわ!」
3人はその場で手を取り合って、ぐるぐる回り始めた。まるで少女漫画の1ページのように、はしゃぎ回る彼女たちに――
「ええっ……あの……そんな、私のために……?」
カミラはぽかんと口を開け、完全にその熱量に呑まれていた。
「だって、もう友達だもん!」
ありすのその言葉に、ようやくカミラの表情が緩んだ。
「はい……ありがとうございます」
そのとき、チャイムが鳴り響く。
休み時間が終わる合図。少女たちの日常は、また次の時間へと進んでいく。