―暗黒に覆われた朝―
澄み切った青空を切り裂くように、1本の箒が街を横断していた。
箒の名前はエリーゼ。その上に乗るのは、金髪の美少女――カミラ・ドルベーク。その胸には、ふわふわの黒猫が丸まっていた。
「ねぇ、ラスカルさん。今日もいい天気ですね」
「……寝かせろ……」
ラスカルは、カミラの腕の中で不機嫌にしっぽを揺らす。
しかしその数秒後、空の色が唐突に変わった。
パチン。
まるで照明スイッチが落とされたかのように、空が闇に染まった。
「――え?」
カミラは飛行を止めてホバリングし、周囲を見渡した。
空には太陽も雲もなく、ただ漆黒の闇が広がっていた。
「これは……夜?」
「違うな。これは結界だ」
ぐるる、とラスカルが目を覚まし、鋭い眼差しで周囲を見た。
「結界……?」カミラは息を呑む。
「この手の闇は、“外界遮断型”。被害を広げないためじゃない。“外部の目”を完全に遮るための、封鎖型の結界だ。つまり――」
「中で何かが起ころうとしている……ってことですね?」
「察しがいい」
その頃、地上――通学中のありすと由美は、空の異変に気づき、足を止めて空を仰いでいた。
「ねぇ、あれって……」
「結界よ」由美が即答する。
「ええっ!? やっぱりそうなの?」
「うん。でも、あれは防御じゃなくて、“監禁”タイプ」
「うわあ……なんか、始まっちゃった感あるね」
そんな2人の背後から、スーツ姿の青年――滝一哉が走り寄ってきた。
「由美さん! 山里さん!」
「滝さん、来るの遅い!」由美が振り返る。
「す、すみません!この空、一体……?」
「結界よ。かなり大規模。おそらく街全体を丸ごと封じてるわ」
「くっ……これが結界……。実物を見るのは初めてですが……すごい圧力ですね……」
滝の額に汗がにじむ。彼はキャリア採用の官僚で、実戦経験は乏しい。
「私もこんな規模の結界は初めて見た……。これ、かなりヤバいよ」
ありすは眉を寄せ、手のひらを空へと掲げる。
「空気の流れが止まってる……まるで真空みたい」
「これ、魔力か妖力か、それとも両方か……。犯人は只者じゃないわ」
3人が警戒を強める中――
再び空の上、カミラはしっかりとラスカルを抱きしめながら、箒の軌道を変えようとしていた。
「ラスカルさん、どうします? いったん帰ります?」
「バカ言うな。これは“挨拶”だ。こっちが見逃しても、相手が逃がすとは限らん」
「……ですね。わかりました。――エリーゼ、加速!」
ズガァァッ!
風を裂いて、カミラの箒は闇の中心――“何か”が起ころうとしている場所へと突き進んでいく。
「ありすちゃん!由美さん!」 3人の目の前にカミラが上空から箒で舞い降りてきた。
「カミラちゃん!」
「ありすちゃん!由美さん!街全体が結界に覆われています!」
「とんでもない魔力の持ち主だね。由美さん。心当たりありますか?」
「登録されてる魔法使いでは一人しか知りません」
「誰?」
由美は問いかけるありすを指差す。
「えっ?」
「登録されてる魔法使い・魔法少女でこんなことできるのはありすちゃんだけです。」
「…私。ちゃいまんがな…」
ありすは顔の前で手の平を左右にパタパタ振る。
「判ってます……。未登録の魔法使いでしょうね。」
「ところでこちらの方は?」
カミラは由美達といた見知らぬ男の事を尋ねる。
「私の同僚の滝一哉さんです。」
「ども滝一哉です。山里さんの監視員をやってます。よろしく……」
「これはご丁寧にありがとうございます。由美さんと同じクラスになりましたカミーラ・ドルベークです。私も魔法少女です。よろしくお願いします」
「そんな悠長な挨拶をしてる場合か!」
カミラの腕の中のラスカルが口を挟む。
「えっ?」
「えっえ~っ?!」
滝一哉と由美が同時に声を上げる。
「猫がー!猫がしゃべった!!??」
「あっ。すいません。ご紹介が遅れました。こちらは使い魔のラスカルさんです」
「カミラが世話になってる。使い魔のラスカルだ。よろしくな。」
「猫なのにラスカルって……」
「そう思うだろう。ありす嬢。言ってやってくれよ」
「そう言えばありすちゃんは使い魔いないの?」
「いるけど今日は連れてない。」
「そんな悠長な会話してる場合じゃないだろう!」
ラスカルが飽きれ気味に怒鳴る。
ズズズ…ズズ…ズーン。
ビリビリと振動と低音の轟音が遠くから響いてくる。
「地震か?」
滝一哉はそう口にしつつ、遠くのほうから音がしてる事にその考えを自分で打ち消した。
「……あ、あれ」
由美が遠くを指差す。
高層ビルの谷間に茶色の直方体の物質が見える。
「巨人…?」
茶色の直方体は人の形をしていた。
「あれは……ゴーレム?」
目を見開いて、ありすが指さしたその先。遠くの高層ビルの谷間に、巨大な茶色の物体がゆっくりと進んでいた。
「そのとおり。ストーンゴーレムね。しかも、常識外れのサイズだわ」
カミラが真剣な表情で言う。彼女の腕の中では、黒猫――使い魔のラスカルが小さく唸っている。
「……五十メートルはあるな」
「そんなの……もはや怪獣ですね」
カミラが呆れ気味につぶやいた。
「怪獣映画、見たことあるの?」ありすが問いかける。
「もちろん。日本の“トクサツ”は世界的に有名ですから」
そのゴーレムは、破壊の限りを尽くして前進していた。街路樹を薙ぎ払い、自動車を踏み潰し、ビルの外壁を削りながら、ゆっくりと、しかし確実に進んでくる。
「ん? あのゴーレムの……頭の上に……誰か乗ってない?」
由美が目を細めて空を見上げる。
「え? 見えるの?」
「うん、黒っぽい人影。たぶん操ってるヤツだ」
「ってことは、未登録の魔法使いってことね……」
由美がポケットから端末を取り出し、どこかと通信をしてる。カミラも表情を引き締めた。
「シューティングスター!」
ありすが呼ぶと、地面に赤い魔法陣が出現し、そこから木が芽吹くように一本の竹箒が現れた。
「お願い、シューティングスター」
その声に反応して、竹箒はまるで意思を持ったかのように宙に浮き、水平に構える。
ありすはそれにまたがるのではなく、横向きに座るようにして乗る。
「行くよ、シューティングスター!」
瞬間、竹箒はものすごい勢いで空へと舞い上がった。
「エリーゼ! ラスカルさん、行きましょう!」
カミラも箒に飛び乗ると、ありすの後を追って一気に上昇した。
ふたりの箒は十分な高度に達したところで水平飛行に移り、巨人――ゴーレムの頭部へ向けて滑空していく。
「……あれがゴーレムの操者か」
黒衣の人影が、まるで王のようにゴーレムの頭頂に立っている。その姿はまだ遠く、顔までは確認できない。
「なんにせよ、あの人物が中心だ」
「友好的な相手には思えないわね」
風を切りながら、ありすとカミラは無言で頷きあう。
やがて、ふたりの箒はホバリング状態に入り、巨人の頭上十数メートルの距離で静止する。
「行こう、カミラちゃん」
「はい。警戒を怠らずに」
彼女たちの眼差しは、まっすぐにゴーレムの操者に向けられていた。
「あら?」 ありすはその見知った顔に驚く。
「なんなの!?」 カミラはその人物に驚愕した。
すらりとした長身に、長い金髪、サファイアのように輝く青い瞳。鮮やかな赤い唇に、豊満なバストを持ちつつも引き締まったスタイル。その美貌はまるで見る者を惑わすかのような妖艶さを放っていた。
ありすは慌ててポケットから携帯を取り出し、以前由美から送られていた画像と照らし合わせる。
「……この顔、間違いない」
それは、由美が“国際指名手配中”と話していた、カミーラ・ドルベーク本人だった。
「カミラちゃんがもう一人……?」
「貴女は一体、誰ですかっ?」 カミラが強い口調で叫ぶ。
「カーミラ・ドルベーク」と、女は妖しい笑みを浮かべて名乗った。
「ふざけないでください!」
「失礼ね、ふざけてなんかいないわ。私も“カミラ・ドルベーク”なのよ」
「同じ名前だとでも言いたいの?でもその顔は何?私の……未来の顔じゃない!」
「魔法で顔を変えてるわけでもないし、整形でもないわ」
「なら何者!? 目的は何なの!?」
「世界の破滅――ということにしておこうかしら」
「な、なんですって!?」
あまりにもさらっと言われ、カミラは怒りを爆発させる。
ありすは一歩引いて、携帯を耳にあてた。
「由美ちゃん。判ったよ。ゴーレムを操ってるのは、国際指名手配のカミーラ・ドルベーク。本人は同姓同名と言ってるけど、顔も一致してるし」
『マジで……ありすちゃん、ぶっ飛ばしていいよ』
「……了解」
そのやり取りの直後、ゴーレムの左の拳が大きく振るわれ、ありすとカミラをなぎ払おうとした。
2人は瞬時に反応し、箒で左右に回避する。
「ぶっ飛ばしていいって言われても……」 ありすは呟きながらゴーレムの右拳を箒でひらりと避けた。
一方、カミラは箒の上にサーフィンのような姿勢で立ち、すぐさま魔法攻撃を開始する。
「炎よ、矢となりて敵を貫け──ファイア・スピア!」
手から放たれた炎の矢は、ゴーレムの胸部に命中したものの、火花のように弾けて消えるだけだった。
「……ゴーレムには効かなくても」
次の瞬間、矢の方向が変わり、ゴーレムの頭部に立つもう一人のカミーラへと放たれた。
だが、その炎の矢も、目の前に見えない壁に弾かれるようにして消滅した。
「……だよね。魔法防御も完璧か」
ありすは携帯をしまいながら、再び背後の攻撃に反応するも、左ストレートを紙一重で回避できず、バランスを崩して箒から振り落とされた。
「きゃああっ!」
地面に落下していく……かと思われたが、10メートルほど落ちた空中でありすはふわりと止まる。
「なーんちゃって。ちょっと油断しただけ」
自力で飛行して上昇し、再びゴーレムの肩の高さまで戻る。
「ありすちゃん……箒を使わず飛べるなんて……」 カミラはありすの潜在能力に驚きを隠せない。
「やはり、あの子は危険……」 上空から見下ろすカーミラは、意味深な笑みを浮かべていた。
ありすは、再びカミラの隣へと滑るように接近していった。
「カミラちゃん、あいつ──魔法の攻撃はほとんど効いてないみたい」
空中でホバリングしながら、ありすがカミラに声をかけた。
「そうですね……。強力な防御シールドを張っているようですわ。ということは、物理的な攻撃に切り替えるしかないですわね」
カミラが炎の矢を放ちつつも、虚しく掻き消える光を睨みつける。
「ストーンゴーレムですわ。並の衝撃じゃ壊れない……」
「ミサイルとかなら効くんじゃ……」
「ミサイルって?」
カミラが首を傾げると、ありすがふっと指さした先に、三つの輝点が現れる。遠方から高速で接近してくる飛行体。
「飛行機……?この国の軍隊なの?」
「自衛隊のF-15Jだよ」
「えっ、でも、結界内に外部から侵入するのは不可能なはずでは……?」
「外からはね。でも、最初からこの街に駐屯してたなら話は別だよ。このあたり、空自の基地があるからね」
「なるほど……結界内にあったということですわね。それなら納得できますわ」
「じゃ、ちょっと挨拶してくる!」
そう言うが早いか、ありすは空中を滑るように移動し、編隊を組む三機の戦闘機の中央、F-15のキャノピーの上にふわりと着地した。
『やっほー、おひさー!谷本一尉!』
音速で飛ぶ機体の外にいるにもかかわらず、ありすの声は機内にクリアに届く。彼女はキャノピー越しに親しげに手を振る。
「ありす!てめー、またお前が関わってるのか!」
機内から男の怒鳴り声が響く。ありすの顔には全く悪びれる様子はない。
『ひどいなー、この街を守ろうとしてるのに……』
「どうでもいいが、キャノピーの上に立つな!」
『何?視界はふさいでないよ?』
「バカ者ーっ!パンティーが見えてるぞ!」
『えっ!?きゃあーっ!エッチーっ!』
あわててありすはキャノピーから飛び退き、機体の背中側へスライドするように移動。
そのやり取りに、右側の戦闘機から無線が入る。
『谷本一尉。こんなところでラブコメ展開とは……』
「うるさい!斉藤、そんなんじゃない!」
無線越しに斉藤三尉の声が軽く響く中、ありすはようやく本題へ戻る。
『それはそうと、ゴーレムね。魔法で動くロボットみたいなもん。魔法防御がかかってて、魔法の攻撃にはほぼ無敵。しかも物理耐久も高いよ』
「魔法には無敵で、物理も効きにくい?つまり中途半端な攻撃じゃまるで歯が立たんってことか」
『うん、そういうこと』
谷本一尉は息を吐く。
「……ありす。つまりお前は役立たずってわけか」
『ぐっ……そうだけど、なんかむかつく言い方!』
「ふむ。残念だが核は積んでいない」
『ちょっ!核なんて使わなくていいから!通常のミサイルで充分だから!!』
「つまらん……。斉藤!浜村!聞こえたな?ゴーレムを対地ミサイルでぶち壊すぞ!」
「了解!」
三機のF-15Jが鋭く応え、編隊はそのままゴーレムへ向けて速度を上げていった──
「んっ?あれは……誰だ?」
右後方のF-15Jのコクピットで谷本一尉が視線を鋭くする。後方の空に、軽やかに浮かぶ魔法箒の影がひとつ。
『お友達のカミラちゃん。魔法使いだよ』
ありすが通信に割り込んでくる。
「……あの娘もか。魔法少女だらけでわけがわからんな」
左後方を警戒していた斉藤三尉が、やや緊張気味に報告する。
「谷本一尉、左後方から無人の箒がついてきています!」
「なんだと?」
『あ、それ、私の箒。放っといていいよ』
「どんだけ自由なんだよ、君は……」
谷本は嘆息しながらも、前方のゴーレムに視線を戻す。
「全機、突入態勢だ!斉藤、浜村、ついてこい!」
「了解!」
3機のF-15Jが三角陣形を維持したまま、ゴーレムに向かって突撃する。戦闘機の腹部から放たれた対地ミサイルが、空気を切り裂き一直線に巨大な目標へと向かっていく。
次の瞬間──
ドォンッ!
轟音と共に爆炎が巻き上がり、ストーンゴーレムの胴体にひびが走る。やがてひびは広がり、岩の塊が地上に向かって崩れ落ちていく。
「やばっ!でかすぎる!」
ありすが反射的に手をかざす。光球が彼女の手から放たれ、巨大な岩塊を包む。
キィィン──パァン!
光に包まれた岩塊は一瞬で砂へと変わり、風に乗って吹き飛んだ。
他の破片もカミラの放った炎の矢で的確に撃ち砕かれる。
「おい、ありす!さっき魔法は効かないって言ってなかったか?」
『えへへ……ゴーレム本体は無敵だけど、崩れた破片はただの岩にもどるからね。魔法も効くよ』
「なるほどな。じゃあ、お前らの出番だ。落ちてくる破片、処理してくれ」
『了解。初めての共同作業ですね……うふっ』
「馬鹿者ォ!その“うふっ”ってのはなんだ、“うふっ”って!」
『いやー、つい雰囲気で。今は一緒に頑張るときでしょ?』
「……お前がふざけなければな」
『あら、“お前”だなんて……ぽっ』
「ぽっじゃない!ふざけんな!」
『じゃあ、“あなた”って呼んだほうがいい?』
「いい加減にしろーっ!」
谷本の怒声が無線に響くと、斉藤三尉が冷静に突っ込んだ。
『作戦中に夫婦漫才ですか?谷本一尉』
「うるせえっ!」
カミラはそのやり取りを聞きつつ、編隊後方でありすに尋ねた。
「ねえ、ありすちゃん。あの方、谷本さんって言った?……お付き合いしてるの?」
「うーん……それがさあ、まったくの朴念仁でさ、誘っても誘ってもぜーんぜん乗ってこないの!」
「まあ……それは災難ね」
その瞬間、谷本の声が全機に届く。
「各機、いくぞーっ!」
3機のF-15Jが散開し、ゴーレムに再度ミサイルを放つ。ミサイルは的確に命中し、巨体を真っ二つに裂いた。頭部と胴体が分かれ、重々しい音を立てて傾く。
「ありすちゃん、私は上を追います。下をお願い!」
「任せて!」
しかし──
「逃げられた……」
カミラが悔しげに呟く。ゴーレムの頭部にいた人影は既に姿を消していた。
「くっ……!」
狙いを変えて、彼女は炎の矢を放つ。上半身が火に包まれ、燃え尽きる。ありすも光球を放ち、下半身を砂に還していった。
二人は箒を降り、地上へと舞い降りた。戦闘機は上空を旋回しながら、やがて基地へ帰投していく。
「逃げられてしまいました……」
「まあまあ、どうせまた来るよ。悪党ってのはそういうもんよ」
「次に会ったら、絶対にぶっ殺してやる!」
「カ、カミラちゃん……なんか最初とキャラ変わってる気が……」
そのとき──
「おーいっ!」
軽快なクラクションと共に、オープンカーが駆け寄ってきた。助手席で手を振っているのは、ロケットランチャーM72 LAWを抱えた由美。
「ゴーレム、破壊完了です!」
「武器の入手に少し手間取りました!」
「由美さん、申し訳ありません。犯人は取り逃がしました……」
「いえいえ、大丈夫。獲物を残してくれてありがとう。次は私の番ですから」
カミラは拳を強く握りしめる。
「あの女は……絶対に許しません!」
街を覆っていた結界はすでに解け、空は穏やかな青空を取り戻していた。