公爵令嬢フレイヤは、王太子マリウスに婚約破棄されて、冒険者ギルドの受付嬢になった。
今日も彼女は笑顔を浮かべてペンを持ち、来客対応をしている。
この冒険者ギルドには制服などない。
フレイヤは淡く銀色に輝く生地をたっぷり使った青紫色のリボンと銀刺繍のレースがアクセントに使ってあるドレスを着ていた。
胸元を飾るのは、瞳と同じ色の宝石だ。
ハーフアップにした髪にも、瞳と同じ色の宝石が使われていた。
王国では特別な力を持った宝石を魔石と呼ぶ。
宝石よりも魔石のほうが高価だ。
フレイヤが身に着けている宝石は高貴で特別な輝きを放っていた。
受付嬢の給料で買えるような代物ではない。
だがフレイヤは冒険者ギルドの受付嬢で、冒険者ギルドの長い受付台の前に座っていた。
ペンを持つ優雅な手には、手首あたりまでの白いレースの手袋をはめている。
王妃教育履修済みのフレイヤにとって来客対応は、造作もないことだ。
「僕が悪かった! また婚約してくれ、フレイヤ!」
「お帰り下さい、マリウス王太子殿下」
フレイヤが接客した今朝1番の客は、飽きることなく復縁を迫る王太子殿下だった。
その姿を見て、強面の冒険者たちはコソコソと話す。
「今日も来てるぜ、王太子殿下」
「よく飽きねぇな」
「飽きるわけないじゃん、フレイヤちゃん可愛いし。むしろあの子との婚約を解消したのが信じられねぇよ」
冒険者たちは同意してウンウンと頷き合った。
フレイヤ・ボルケーノ公爵令嬢は、美貌にも恵まれて家柄も申し分はなく、なによりも知性溢れるタイプである。
21歳という年齢も、23歳の王太子とバランスがいい。
次期王妃にするならこの人ナンバーワンの座に君臨し続けること21年という王国の至宝だ。
美しくきらめく銀色の髪にアメジスト色の瞳、透けるように白い肌。
スレンダーな体は指先、足先まで優雅に動く。
この人ホントに生きてんの? と疑問を持たれるほど完璧な存在なのである。
だというのに、アンポンタンなマリウス王太子は、そんなフレイヤ公爵令嬢との婚約を解消してしまったのだ。
「違うんだっ! アレは魅了の魔法にかかって……」
「メリッサさまは聖女なのです。魅了などという邪悪な魔法は使いませんっ!」
言い訳がましいマリウスに、フレイヤはきっぱりと言い放った。
神殿の奥深くで育てられた蜂蜜色の髪を持つ聖女メリッサは現在18歳。
出会った当時は16歳の彼女に、あろうことかマリウスは一目惚れしてしまったのだ。
一目で恋に落ちた金髪碧眼の美形王子は、聖女の気持ちも、王太子としての立場も考慮せずにフレイヤとの婚約解消を申し出た。
フレイヤの父は怒り狂って婚約解消を受け入れ、フレイヤの爺やで執事のセバスチャンは号泣した。
「そうです。お嬢さまの言う通りです。お帰りください、王太子殿下」
フレイヤの後ろに立っているセバスチャンが、スンとした表情を浮かべて言った。
マリウスは執事を指さして興奮した様子で騒ぐ。
「君には関係ないだろう? ただの執事のくせにっ!」
「爺やに当たらないでくれますか? マリウス王太子殿下」
笑顔のフレイヤが冷静な声の底に怒りを込めて言う姿は、正直怖い。
だが懲りずにマリウスはフレイヤに迫る。
「そんな風に言わないでよ、フレイヤ。王宮に戻ってきてよ」
「わたくし、ギルドのお仕事で忙しいのです。王太子殿下のお仕事をお手伝いする暇など、ありませんの」
「そんなこと言わないで、フレイヤ~」
冒険者ギルドの受付の朝は、毎日このような大騒ぎから始まる。
この冒険者ギルドは近くに大きなダンジョンが複数ある上に、武器や食料といった物資の調達にも便利な場所にある。
エルフの森や魔物の森も隣接していて、冒険者向けの依頼は沢山あるため人気が高い。
だから受付前には冒険者がワラワラと順番待ちしている。
しかし誰も王太子に文句を言うことなく、騒ぎを見守っていた。
むしろ朝のちょっとしたお楽しみと化している。
「王太子殿下……暇なの?」
まだ幼さの残る新人冒険者がポカンとした表情を浮かべて呟くのを聞いて、強面の冒険者たちは苦笑いを浮かべた。
王城から宰相補佐が来て受付から引っぺがして帰るまでがお約束だ。
そこからが冒険者たちの真の受付開始となる。
「まぁ、見とけって。人生ってぇのは、いろいろあるんだ」
先輩冒険者は、まだ幼さの残る新人冒険者の背中をポンポンと軽く叩いた。