「どうした!?」
「死……人間のご遺体が……」
乾のもとまで走って行くと、乾はある一点を指差して震えていた。
「モンスターに殺された探索者か!?」
「分かりません。ご遺体を見たのは初めてで……怖くて近づけなくて……うえっ」
それだけを言うと、乾はその場で吐いてしまった。
乾の介抱をその場にいた女子に任せ、乾の指差していた先を確認しに行く。
「これか」
岩場の陰には男の身体が倒れていた。
パッと見ただけで、男が生きていないことが分かる。
「これは……モンスターにやられたわけじゃなさそうだ。きちんと調べないと確定は出来ないが、喉を刃物で切り裂かれている」
「ダンジョン内で仲間割れでもしたのかしら」
俺が素人ながら検死をしていると、後ろからやって来た美影が死体を覗き込んだ。
「仲間割れ……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「死因も専門家に見せないと詳しいことは分からないわね。あたしたちに分かるのは、刃物で切り裂かれたような傷があることだけ」
「美影は平気なんだな」
嘔吐してしまった乾との差に驚いていると、美影がムスッとした。
「あたしはダンジョンに潜る際は覚悟を決めているの。大学のサークルで潜っているとはいえ、ダンジョンは死ぬ危険のある場所だもの。いつだって死ぬ覚悟、死なれる覚悟をしておかないと」
「肝が据わりすぎてるのも問題だな」
「可愛げが無いとはよく言われるわ」
「そこが美影の魅力とも言えるが。だが、平然とし過ぎてるから面食らいはするな」
「平然とし過ぎているのはお互い様でしょう?」
……と、こんな会話をしている場合ではなかった。
「緊急事態だ。ダンジョン探索は中止しよう。入り口に戻るぞ」
「いいえ。ここからなら、入り口に戻るよりもボスモンスターを倒してダンジョンをクリアした方が早いと思うわ。かなり歩いたからそろそろボスモンスターと会えるはずだもの」
美影がダンジョン内の距離を考えた発言をした。
しかし、そういうわけにもいかないのだ。
「ダンジョンを攻略するのはダメなんだ」
「どうして?」
「……詳しくは話せない。だが、ダンジョンをクリアすると不都合が起こる」
このままダンジョンを消してしまうと、男の死体も消える。
死体が消えてしまったのでは、検死なんて出来るわけもない。
「不都合って何なの?」
「それは言えないんだ。ごめん」
「言えない、で納得は出来ないわよ?」
「……ごめん」
そう言って俺が頭を下げると、美影はやれやれと大きな溜息を吐いた。
「まあ予想は出来るわ。彼を殺した犯人がまだダンジョン内にいるかもしれないから、ダンジョンを消したらその犯人と地上で鉢合わせる可能性があると言いたいんでしょう?」
「あっ」
「あっ、って何よ。まさかその可能性に気付いていなかったの?」
気付いていなかった。
だが、美影の言う通りだ。
なおさらダンジョンをクリアするわけにはいかない。
「じゃああたしは、歩けなくなっているメンバーに肩を貸してくるわ」
「助かるよ」
俺は探索者サークルのみんなに向かって声を張り上げた。
「おーい、誰かこの人を運ぶのを手伝ってくれ!」
しかしみんなの反応は、俺の予想していたものとは違った。
「え……遺体を運ぶつもりなのか……?」
「動かさない方がいいんじゃないかな……腐敗してるみたいだし……」
「僕もそう思います。その……触りたくないですし……」
きっとこれが普通の反応なのだろう。
そして残念ながら俺一人で死体を運ぶことは難しい。
すでに死後硬直をしているため、死体を背負うことが出来ないのだから。
「……分かった。じゃあ一旦ダンジョンの外に出て警察に通報しよう」
俺たちは男の死体をダンジョン内に残し、入り口へと戻ることにした。
* * *
ダンジョンの外に出て電波が繋がったところで警察に通報をした。
このダンジョンは森の中にあるため、警察の到着まではしばらく時間がかかるだろう。
「落ち着いたか?」
「お気遣いありがとうございます」
乾の顔を覗き込むと、まだ本調子ではないのだろうが、先程と比べるとかなりマシな顔色になっていた。
「憔悴してるところ悪いんだが、回復を頼みたくて。頼んでも平気かな」
ぐったりしているサークルメンバーに肩を貸しながら歩いているときに、俺も美影が切った蔦で脚を切ってしまったらしい。
道中のモンスターはすでに倒していたため、簡単に入り口に戻れるかと思ったが、サークルメンバーの多くが取り乱していて、入り口まで戻るだけのことがなかなか大変だった。
この様子だと死体が消える件が無かったとしても、ボスモンスターのところへ行くのは無理だっただろう。
とにかく。俺の傷は大した怪我ではないが、ダンジョン生物による怪我ゆえの未知の症状が怖い。
「はい、回復できますよ。むしろ何かをしてる方が気が紛れるので、回復したいまであります」
「ありがとう。助かる」
乾が慣れた様子で俺の怪我を回復してくれた。
すると俺たちの様子を見ていた別のメンバーも乾に回復を頼み始めた。
やはり俺以外のメンバーも、地上に出るまでに普段はしないような怪我をしていたらしい。
「あっ、美影先輩も怪我してるじゃないですか。回復しましょうか?」
美影が怪我をしていることに気付いた乾が、美影に近付きつつ回復を申し出た。
しかし美影は他のメンバーとは違い、乾の回復を受けようとはしなかった。
「あたしは遠慮するわ」
「でも、かなり痛そうですよ? 包帯が赤くなってます」
「悪いけれど、回復術師の回復は信用できないの」
もっと他に言いようがあるだろうに、美影はバッサリとそう言った。
俺はこれまでのダンジョン探索で美影のこのスタンスを知っていたが、新入生の乾は回復を断られたことに困惑をしている。
その上信用できないとまで言われたため、ショックを受けてもいるようだ。
「えっ……どうしてですか?」
「人間の細胞の再生力には限界があるの。回復術師が、細胞を無理やり再生させているのなら、寿命が縮む可能性があるわ。だからあたしは病院へ行くつもり」
「そう、ですか」
乾はしゅんとした様子で俺の近くに戻ってきた。しゅんとした中に若干の怒りも混ざっている。
それも当然のことだろう。
美影の考え自体は正直珍しいものでもないが、それを回復術師にハッキリと告げる人は少ない。
「美影先輩、ちょっと感じ悪いですよね」
「まだ世界に特殊能力が現れてたった十年だ。能力に関しては解明されてないことも多い。特に回復術師の能力は、未知の部分が大きい。ああいう考え方も当然ある」
「それはそうですけど……」
それでも美影のあの言い方は酷いと言いたいのだろう。
それに関しては俺も同意だ。
乾はサークルの仲間なのだから、美影はもっと穏便な言い方をするべきだった。
とはいえ美影の発言自体は特別おかしなものでもない。
昨年までは美影も回復術師の治療を受けていたのだが、だんだん回復魔法における不明点が怖くなってきたのだろう。
「回復術師に治療をしてもらった人間が将来どうなるのかは、まだ分からない。回復魔法がこの世界に現れてたった十年しか経ってないからな」
「……だから回復術師を募集してる企業が少ないんですね」
「もうそんなことを調べてるのか? 乾はまだ新入生だろ?」
「調べてる人は調べてますよ。こんな世の中ですから、将来に対する不安がありますし」
早々と企業分析をしている乾に驚くと、乾は驚くことではないと肩をすくめた。
「そうなのか……回復術師の話に戻るが、企業は社会人探索者サークルと比べて慎重だからな。回復を受けた人間に将来何かしらの傷害が出たときに、賠償金を払いたくないんだろ」
「せっかく世界中にダンジョンが出現したのに、嫌になるほど現実的な話ですね」
いくらダンジョンが出現したとは言っても、俺たちが暮らしているのはファンタジー世界ではなく現代日本だ。
会社はリスクの少ない方に舵を取るものだ。
「乾も卒業したら、会社に入らず社会人探索者サークルに所属するのはどうだ?」
「それは両親が猛反対しますよ。私にとって大学時代は、自由に生きられるモラトリアムなんです。ダンジョンに潜れるのは大学の間だけなんですよ」
そう言って乾は空を見上げた。
「ダンジョンが現れて、魔法が使えるようになって、劇的に何かが変わると思ったのに。世界は、昔読んだファンタジー小説のようにはならないんですね。竜だって空を飛んでないですし。想像してたよりもずっとつまらない未来がここにはあります」
「同じことを、空飛ぶ車が走る未来を想像してた人も思っただろうよ」
「本当ですね。代わり映えのしない世界を、私たちは生きていくしかないんでしょうね」
「……そうだな」
俺も乾を習って空を見上げた。空にはただ雲が流れているだけだった。