大学へ行った俺を待っていたのは、俺を殴る気満々の佐原ではなく、号泣をしている佐原だった。
「真紀ちゃんがダンジョンに行くことを僕に言ってくれなかったのは、僕が頼りないからかなあ!? 実際僕には何も出来ないけど、それでも真紀ちゃんの彼氏なのに。心配くらいさせてほしかったよ。でも悪いのは真紀ちゃんじゃなくて頼りない僕だから、真紀ちゃんを責めることなんて出来ないし……僕はどうしたら良かったんだよ。教えてよ、青史!?」
「そんなに泣くなって。きっと乾は大丈夫だからさ」
早口で泣き言を並べる佐原にたじたじとしながら、ありきたりな励ましの言葉をかける。
「でも看病に行きたいって言ったら断られたんだよ!? 酷い顔をしてるから、今僕には見られたくないって。なあ酷い顔ってどういうことだよ。真紀ちゃんはやつれてるってことなの!?」
「ショックは受けてるようだったな。ぐったりしてたし」
うっかり乾がショックを受けているだの、ぐったりしているだのと言ってしまったため、佐原がさらに取り乱し始めた。
「やっぱり直接真紀ちゃんの顔を見ないと安心できないよ。でも来ないでほしいって言われたのに看病に行ったら嫌われちゃうかな。だけど僕、真紀ちゃんのことが心配で心配で……」
「二人のことは俺には分からないって。自分で決めないと」
下手にアドバイスをして、それがきっかけで二人が別れたら責任なんか取れない。
こういうことは当事者同士で決めてもらわないと。
「僕が行っても何も出来ないけどさ、でも手を握ってあげることは出来る。だって病気のときって心細いだろ? 誰かに手を握ってもらえたら安心して眠れると思うんだ」
「乾は病気なわけじゃないが……まあ、心細くはあるかもな」
「そうだよね!? でも病気のときの顔を見られたくない乙女心も分かるんだよ。病院でもそういう女の人がいたから」
体調が悪いときには、血色が悪くなったりゲッソリしたりして、いつもと違う顔になってしまう。
乾はきっと、そういう顔を彼氏である佐原には見せたくないのだろう。
「どうしよう!? 僕はどうしたらいい!?」
「看病しに行くにしても行かないにしても、一旦落ち着け。こんな状態の佐原に来られても乾が困るだけだって。それに乾は今すぐに死ぬわけじゃない。ちょっと心が疲れてるだけだ」
「あっ……そっか。心が疲れてるときに誰かと会うのは、真紀ちゃんの負担になっちゃうかもしれないのか」
特にそういうつもりで言った言葉ではなかったのだが、俺の発言を聞いた佐原は、いつもの落ち着きを取り戻し始めた。
「ありがとう、青史。混乱して家に押しかけて、真紀ちゃんを苦しませるところだったよ」
「佐原が家に来たくらいで苦しむことはないとは思うが……佐原が冷静になってくれてよかった」
「いや、号泣する僕が家に来たら迷惑だったと思う。近所でウワサになりそうだし」
「ああ、それは……迷惑だったかもな」
まさか佐原が乾の家の前で号泣するつもりだとは思っていなかった。
佐原を止めておいて良かった。
佐原はカバンからティッシュを取り出して豪快に鼻をかんだ。
「……あれ。真紀ちゃんのことが心配で気にしてなかったけど、そういえば陽菜乃は?」
乾のことで頭がいっぱいだったらしい佐原は、俺たちの近くに舞浜がいないことにようやく気付いたらしい。
もうすぐ昼休みも終わるというのに、今さら過ぎる。
「ああ、うん。ちょっと、な」
「もしかして遊園地で何かあった?」
あった。
しかし佐原に言っても良いものだろうか。
「ちょっと気まずい関係になってるんだ、今の舞浜と俺」
具体的なことは言わなかったが、佐原は俺たちの間に何があったのかを察したようだった。
もともと佐原は舞浜が俺に惚れていることを知っていたらしいから、察して当然かもしれない。
「青史は陽菜乃のことが好きじゃなかったの?」
「好きだぞ。友人として、な」
「ああ、そういう感じなんだ。試しに付き合ってみるとかもナシな感じ?」
「俺は今、愛だの恋だのに興味が向いてないんだ。別の刺激的な世界の方に時間を使いたいんだよ」
色恋に興味が無いとまでは言わないが、デートに使う時間が惜しい。
デートをする時間があるなら、ダンジョンに潜りたい。
この前の退屈な遊園地で、その気持ちがハッキリとした。
「デートにダンジョンに潜るような刺激が無いっていうのは分かるよ。でもその代わりに多幸感があるでしょ?」
「俺はオキシトシンを出すよりも、刺激的なことをしてアドレナリンをドバドバ出したいお年頃なんだよ」
「うーん、そっかあ。青史はアドレナリン派かあ」
佐原は納得したようなしていないような、曖昧な返事をした。
ダンジョンの魅力は、ダンジョンに潜っていない人にはイマイチ伝わらないのかもしれない。
「ダンジョンが出現してから、価値観の変わった人が増えたのは事実だよ。薬物使用者が減ったなんてデータもあるらしいからね。薬物よりも刺激的なものが出現したから」
「それは良いことなんじゃないか?」
「薬物使用者が減ったこと自体はね。だけど、それはつまり、ダンジョンは薬物よりも刺激的で依存性があるってことなんだと僕は思う。そして薬物と同じく、だんだん量と頻度が増えちゃうんだと思う」
確かにそれは否定できない。
ダンジョン探索があまりにも楽しいから、最近の俺は、次はどこのダンジョンに潜ろうかとそればかり考えている。
「探索者のことは否定しないよ。でもダンジョン探索以外のすべてを捨てたりはしないでね。そうやっておかしくなっていく人はたくさんいるんだから」
「心配してくれてありがとな。でも大丈夫だ。俺はダンジョン探索以外にも、別の趣味があるから」
「趣味なんかあったんだ? 良かった。世界の価値観がおかしくなっちゃったけど、青史は狂わないでね」
「佐原は心配性だな。乾はこの先、大変かもな」
ダンジョンに潜るたびに佐原がこんな調子では、佐原をなだめるのが大変そうだ。
……乾はもう、ダンジョンに潜らないかもしれないが。
それならそれで、佐原と仲良く普通のデートを楽しんだ方が、乾にとっては幸せなのかもしれない。
乾は遊園地デートも楽しんでいたようだったから。
乾が自分からまたダンジョンに潜りたいと言い出さない限り、乾をダンジョン探索に誘うのはやめておこう。
乾は佐原たちと同じ「あちら側」のようだから。