佐原は授業が午前中だけだったため、昼食を食べてから帰宅した。
そのため俺は一人で午後の授業を受けることになった。
「あっ、舞浜!」
座席に舞浜の姿を見つけて手を振ると、遠慮がちにぺこりと頭を下げられた。
いつもなら大きく手を振ってくれるのだが、今は近付かない方が良いのだと瞬時に察した。
だから舞浜には近づかずに、俺は一人で講義を受けることにした。
「……めんどくさ」
つまらないくせに面倒くさいなんて、日常とはなんて退屈なものなのだろう。
平気な顔でこの日常を過ごしていた十年前の俺のことが信じられない。
そして当たり前のようにこの退屈な日常をやり過ごしている多くの学生たちのことも。
ダンジョンが出現しなかったら、俺も彼らと同じようにこの日常を過ごしていたのだろうか。
そしてその日常に満足をしていたのだろうか。
……今となっては、想像もつかない。
講義が終わったため、俺は大学内の図書館で新聞を読み漁ることにした。
及森の事件の記事を読んで情報を集めるためだ。
本当は兄貴に聞くのが一番詳細な情報を得られるのだろうが、兄貴は俺に事件のことを話したくないようだったから、自分で情報を集めるしかない。
及森の事件が報道された日をネットで検索してから、その日付の新聞を何種類も持って来て、該当記事を探す。
目的の記事はすぐに見つかった。
最初の三件の事件は、心臓を一突き。どの被害者も抵抗した際に出来る防御創がなかった。
一方で俺たちが死体を発見した四件目、五件目の被害者は喉を切り裂かれていた。
及森には、特に心臓を一突きにするポリシーは無いようだ。
最初の三件と後の二件で別人の犯行の可能性も考えられていたが、四件目の被害者の身体からも及森の指紋が検出されたため、現在はすべてが及森の犯行とされている。
なお昨日見つけたばかりの五件目の事件については、まだ詳細な情報が出ていないらしい。
「……大したことは書かれてないな」
俺は読み終わった新聞を片付けながら溜息を吐いた。
情報を集めれば少しは事件の輪郭が掴めるかもと思ったのだが、サッパリだった。
「これじゃあ及森を見つけるのは無理かもな」
そのとき、ポケットに入れていたスマートフォンが振動した。
画面を確認すると、佐原からの通話だった。
「どうしたんだよ。大学に忘れ物でもしたのか?」
図書館を出てすぐに通話ボタンを押す。
どうでもいい用事だと思って出た通話からは、佐原の取り乱した声が聞こえてきた。
『青史、助けてくれ!』
「落ち着けよ。助けてって何だ? 乾関係の話か?」
『兄さんが事件に巻き込まれたかもしれないんだ!』
佐原の兄?
医者をやっているという佐原の兄がどんな事件に……と思ったところでハッとした。
「まさか及森の連続医者殺人事件か!?」
『まだ分からない。でも兄さんの様子が明らかに変なんだ!』
「様子が変ってどういうことだ?」
『いくら話しかけても、僕の声に反応しないんだよ!』
ということは、佐原は今、様子のおかしな兄の近くにいるということなのだろう。
「今どこにいるんだ!? 俺もすぐ向かう!」
『兄さんと一緒に中央線の下り電車に乗ってるところだけど、兄さんがどこに向かってるのかは分からない。教えてくれないんだ』
「佐原はそのまま兄貴を追いかけてくれ。通話は繋いだままで」
すぐにバイクにまたがり大学を出る。
佐原の兄が本当に及森の事件に巻き込まれているのなら、行き先はおそらくどこかのダンジョンだ。
『警察に通報するのは無理だよね? だって兄さんはただ電車に乗ってるだけだし……』
「それだけじゃ相手にしてはくれないだろうな。警察も暇じゃない。とにかく俺が向かうから絶対に兄貴を見失うなよ」
……と言ったところで、とあることに気付いた。
もし及森に共犯がいるとして、ダンジョン前まで佐原がくっついて行ったら、その共犯者に危険視されて事件は未然に防がれるのではないだろうか。
…………。
俺はバイクを走らせながら佐原に告げた。
「もし兄貴が電車を降りたら、そこからは隠れつつ尾行をしてくれ」
『隠れつつ!? なんで!?』
「俺に考えがあるんだ。頼む。佐原の兄貴を救うためなんだ」
本当は佐原の兄を餌にして、及森とその共犯者に逃げられないようにするため。
事件を未然に防ぐことが出来たとしても、捕まる危険を察知した及森たちに逃げられたら最悪だ。
そんなことになるくらいなら、及森たちが佐原の兄という餌に食らいついている間に及森たちを追い詰めたい。
……もちろん佐原にそんなことは言わないが。
「俺はバイクでそっちに向かってる。佐原と佐原の兄貴がどこの駅にいるのか実況しててくれ」
関東近辺のダンジョンは、ある程度把握している。
降りる駅が分かれば、ダンジョンに先回りすることも可能だ。
それからしばらくして佐原の兄貴が降りた駅は、予想通り近くにダンジョンが出現した場所だった。
佐原に隠れながら兄貴を尾行してもらいつつ、俺は佐原の兄貴の行き先だろうダンジョンへと向かった。