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第31話 鳥取の蟹、過去の影と新たな注目


ジメジメした日が続き、時期に梅雨が到来しそうな頃。佐藤宗次こと佐久間宗太郎は、妻・鮎子を宿に残し、一人で鳥取の街へ繰り出してた。

享保年間の旅で博多を拠点に評を広め、江戸の暗殺未遂を偽名で逃れた宗太郎は、山口で弟子・太郎を失い、広島で鮎子と結婚。島根の出雲そばを味わった後、鳥取に到着した。

黒崎藤十郎の陰謀は遠ざかり、沙羅の協力で暗殺計画が中止されたが、旅の緊張は続いている。鮎子との穏やかな日々の中、宗太郎は一人で街を歩き、自身の心を確かめたくなった。



鳥取の繁華街は活気に満ち、魚介の香りと商人の声が響き合う。宗太郎は路地裏に佇む小さな料理屋「海鮮蔵」に目を留めた。古びた看板に「蟹料理」と記され、店内からはカニの香ばしい匂いが漂う。宗太郎は暖簾をくぐり、カウンターに座った。



店主の三郎が迎えた。



「いらっしゃい。珍しい旅の風態だな。蟹を食うか? 今日の松葉ガニは新鮮だぞ。」



宗太郎は頷き、注文した。



「三郎殿、松葉ガニの刺身と焼き物をお願いする。」



三郎は慣れた手つきでカニを捌き、調理を始めた。宗太郎は店内の賑わいを見渡し、旅の疲れを忘れるように深呼吸した。




程なくして、松葉ガニの刺身と焼き物が運ばれてきた。

松葉ガニの刺身は、白い身が透き通るように輝き、醤油とわさびが添えられる。

松葉ガニの焼き物は、殻ごと炭火で炙られ、香ばしさが立ち上る。



宗太郎はまず刺身を手に取り、香りを嗅いだ。カニの甘い香りが、わさびの刺激と混じり合い、口に入れると濃厚な旨味が広がった。次に焼き物を味わうと、殻から溢れる汁と炭火の香りが、鳥取の海の力を感じさせた。宗太郎は筆を取り、評を書き始めた。



松葉ガニ、鳥取の海の誇り。刺身は甘みが舌に溶け、わさびが海の風を呼ぶ。焼き物は炭火の香りが殻に宿り、鳥取の力強さを刻む。旅の途中で出会った味は、俺の心を満たす。



評を書き終え、宗太郎は源太郎に見せた。三郎は目を細め、笑顔で頷いた。



「宗次殿、いい評だ。うちの蟹をそう褒めてもらえるとはな。旅の記録に残してくれてありがたい。」



宗太郎は感謝し、店を出た。繁華街の喧騒の中、旅の思い出が胸に広がった。




その時、背後から声がかけられた。



「佐藤宗次殿ですか? 俺は新聞記者・五左衛門。そなたの旅の評が話題で、取材を頼みたい。」



30歳の五左衛門は、眼鏡をかけた細身の男で、熱心な表情を浮かべていた。宗太郎は一瞬警戒したが、五左衛門の真剣さに応じた。



「五左衛門殿、取材なら構わん。どこで話そうか?」



二人は近くの茶屋へ移り、座を構えた。五左衛門はノートを取り出し、質問を始めた。



「宗次殿、九州から中国地方を旅し、各地の味を評してきたと聞く。どんなきっかけで始めたのか?」



宗太郎は遠くを見つめ、静かに語った。



「俺は博多で生まれ、食を通じて人の心を繋ぎたかった。だが、江戸で暗殺されかけた。享保年間、権力者の争いに巻き込まれ、命を狙われた。偽名を使い、旅を続けてきた。弟子・太郎もその旅で失った…。それでも、味を評し、生きる意味を見出してきた。」



五左衛門は驚きつつ、熱心に書き取った。



「暗殺未遂…それは大変な過去だ。太郎殿のことも…心から同情する。そなたの評が多くの人に希望を与えているよ。」



宗太郎は頷き、過去の傷を振り返った。



「太郎の死は俺の心に残るが、妻・鮎子と旅を続けて、前に進む。味は俺の生きる証だ。」



五左衛門は取材を終え、感謝を述べた。



「宗次殿、貴重な話をありがとう。近日中に新聞に載せる。そなたの旅がもっと広まるよ。」



宗太郎は五左衛門に別れを告げ、宿へ戻った。鮎子に取材のことを話し、彼女は心配そうに尋ねた。



「宗次さん、暗殺のことが新聞に…大丈夫?」



宗太郎は鮎子の手を握り、優しく答えた。



「鮎子、過去は隠さず話した。俺はそなたと共にある。心配するな。」




数日後、鳥取の街に新聞が配られた。見出しには「旅の評名人・佐藤宗次の壮絶な過去と美食の旅」とあり、江戸での暗殺未遂や太郎の死、鮎子との結婚が記されていた。市民たちは驚きと尊敬の目で宗太郎を見始めた。



一方、下関にいる沙羅のもとにも新聞が届いた。彼女は記事を読み、宗太郎が無事に旅を続けていることを知り、安堵の表情を浮かべた。



「宗太郎…そなたが生きて、幸せそうで良かった。私の罪はまだ償えていないが、そなたの旅が続くなら…。」



沙羅は新聞を手に、複雑な思いを抱えながらも、宗太郎への感謝を胸に秘めた。鳥取の繁華街で、宗太郎の評と過去が新たな波紋を広げ、第二章は注目と希望の局面へ進む。



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