佐藤宗次こと佐久間宗太郎は、妻・鮎子と共に広島に滞在し、四国への旅を前に休息を取っていた。享保年間の旅で博多を拠点に評を広め、江戸での暗殺未遂を偽名で逃れた宗太郎は、山口で弟子・太郎を失い、広島で17歳の鮎子と結婚した。島根の出雲そば、鳥取の松葉ガニ、岡山の吉備団子を味わい、旅を続けてきた。鳥取での新聞取材で過去が明らかになり、市民の注目を集める中、宗太郎と鮎子は四国へ向かうため広島に戻り、鮎子の父・辰五郎と再会した。黒崎藤十郎の陰謀は遠ざかり、沙羅の安堵も伝わったが、旅の先にはまだ未知の道が広がっている。広島での家族時間の中で、宗太郎と鮎子は新たな食探しを始め、思いがけない出会いに心を動かされた。
広島の朝、瀬戸内海の潮風が街に優しく吹き抜ける。宗太郎と鮎子は辰五郎の家で朝食を終え、旅の準備を待つ間、街へ出かけることにした。辰五郎は船の準備に数日かかると告げ、二人に自由な時間を与えた。
「宗次殿、鮎子、船は漁師が調整中で、3~4日はかかる。街で食探しでもして、旅の疲れを癒せ。安全に気をつけろよ。」
宗太郎は辰五郎に頭を下げ、鮎子と手を握った。
「辰五郎殿、ありがとう。広島の新たな味を探しにいく。そなたの家で休息できて、俺たちは幸せだ。」
鮎子は父に微笑み、宗太郎と一緒に家を出た。
「父さん、ありがとう。宗次さんと一緒に街を歩くの、楽しみだよ。新しい味が見つかるかな。」
二人は市場や路地を歩き、広島の活気を楽しんだ。市場では魚介の香りが漂い、商人たちが威勢よく声を張り上げる。宗太郎は鮎子の手を握りながら、旅の思い出を語った。
「鮎子、広島に戻ってきて、そなたの育った場所がまた新鮮に感じる。島根のそばや鳥取の蟹を思い出すが、広島の海の味もまだ探したいな。」
鮎子は宗太郎の言葉に頷き、目を輝かせた。
「うん、宗次さん! 広島って牡蠣が有名だけど、他にも美味しいものがあるよね。一緒に探して、旅の記録にしよう。」
二人は市場を抜け、路地裏の小さな店を覗きながら歩いた。宗太郎は鮎子の純粋な笑顔に心を温め、旅の疲れが癒されるのを感じた。鮎子は宗太郎の隣で、子供の頃の思い出を語り始めた。
「宗次さん、昔、父さんとこの道を歩いて、屋台の焼き物を食べたんだ。甘い匂いがして、すごく幸せだった。そなたと一緒なら、またそんな気持ちになれるよ。」
宗太郎は鮎子の手を優しく握り返し、微笑んだ。
「 鮎子、そなたの思い出が俺にも伝わる。子供の頃の味を共に探すのも、旅の楽しみだ。そなたと共にある時間が、俺の人生を豊かにする。」
二人は路地を進み、市場の喧騒から少し離れた静かな場所にたどり着いた。そこには古い木造の建物が立ち並び、風に揺れる木々が穏やかな雰囲気を醸し出していた。宗太郎と鮎子は手をつなぎ、のんびり歩きながら新たな発見を待った。
その時、背後から見知らぬ声がかけられた。
「すみません、佐藤宗次さんですか?」
宗太郎と鮎子は振り返り、声の主を見た。そこには30歳ほどの外国人が立っていた。金髪に青い目を持ち、旅の服を着た彼は、少しぎこちない日本語で笑顔を見せた。宗太郎は一瞬警戒したが、その穏やかな態度に安心感を覚えた。
「俺は佐藤宗次だ。そなた、誰だ? 日本語が上手いな。」
外国人は頭を下げ、自己紹介した。
「初めまして、俺はヨハンと言います。オランダから来た商人です。大阪でそなたの新聞記事を読んで、広島まで会いに来たんです。旅の評人としての評判を聞き、興味が湧いてね。」
鮎子は驚いて宗太郎に囁いた。
「宗次さん、外国の人から? 新聞がそんな遠くまで…すごいね。」
宗太郎はヨハンの言葉に興味を持ち、頷いた。
「ヨハン殿、大阪で新聞を読んだとはな。俺の旅がそんなに広まるとは思わなかった。江戸での暗殺や太郎の死も書かれたが…そなたはどう思った?」
ヨハンは真剣な目で答えた。
「宗次さん、記事を読んで驚きました。暗殺未遂や弟子の喪失、そんな過酷な過去を乗り越えて、味を評し続ける姿に感動したんです。オランダでも、旅の記録は貴重なものとされます。そなたの評を、ぜひ私の国に持ち帰りたい。」
宗太郎はヨハンの熱意に心を動かされ、過去を振り返った。
「 ヨハン殿、感謝する。江戸で命を狙われ、太郎を失った痛みは今も残る。だが、鮎子と結婚し、旅を続けてきた。味は俺の生きる証だ。そなたが興味を持ってくれるなら、嬉しいよ。」
鮎子はヨハンに微笑み、宗太郎の手を握った。
「ヨハンさん、宗次さんの評は私にとっても大切。広島で結婚して、一緒に旅してきたんだ。そなたがそんなに褒めてくれるなんて、誇らしいよ。」
ヨハンは二人の絆に感心し、笑顔で続けた。
「素晴らしい夫婦ですね。鮎子さん、宗次さんの支えが旅を支えているのが伝わります。記事では、そなたたちの愛も書かれていました。オランダで、その物語を広めたいです。」
宗太郎はヨハンの提案に考え込み、答えた。
「ヨハン殿、俺の評をオランダに広めるのは光栄だ。だが、旅の記録はまだ続く。四国へ渡る予定で、今治を目指している。そなたに何か伝えられるなら、喜んで話すよ。」
ヨハンは目を輝かせ、ノートを取り出した。
「それは素晴らしい! 今治への旅もぜひ聞かせてください。宗次さんの味への情熱、オランダの人々に伝えたい。少し時間をもらえますか?」
宗太郎と鮎子はヨハンに座る場所を提案し、近くの木陰に腰を下ろした。ヨハンは質問を始め、宗太郎は旅の思い出を語った。
「博多で始めた旅は、食を通じて人の心を繋ぐものだった。江戸で暗殺されかけた時、命を捨ててまで続けようと思った。太郎を失った山口では絶望したが、広島で鮎子と出会い、希望が戻った。島根のそば、鳥取の蟹、岡山の団子…それぞれが俺の人生の一部だ。」
ヨハンは熱心に書き取り、感嘆の声を上げた。
「宗次さん、そなたの話は生き生きとしています。暗殺の危機や弟子の死を乗り越え、愛と味で再生した物語…オランダでも感動されるでしょう。鮎子さんの存在も大きいですね。」
鮎子は照れながらも、宗太郎の腕に寄り添った。
「ヨハンさん、宗次さんが頑張ってくれたから、私も旅を続けられた。子供の話もしてて…これから家族が増えたら、また新しい味が見つかるかな。」
ヨハンは驚きと喜びで目を丸くした。
「子供! それは素晴らしい展開です。家族の旅が、そなたたちの評にどんな影響を与えるか、楽しみです。ぜひその話も聞かせてください。」
宗太郎は鮎子の言葉に微笑み、ヨハンに語りかけた。
「 ヨハン殿、鮎子が賛成してくれた。17歳で若いが、俺の子供なら産みたいと言ってくれた。旅の危険はあるが、そなたと子を守る覚悟だ。今治へ渡る前に、広島で休息し、家族の時間を大切にしている。」
ヨハンはノートに書き込みながら、感心した。
「宗次さん、鮎子さん、そなたたちの愛と勇気は本当に特別です。子供が生まれたら、ぜひその味も教えてください。オランダで、そなたたちの物語を広めます。」
三人は木陰で語り合い、旅の未来や食文化について熱く討論した。宗太郎はヨハンに日本各地の味の特徴を伝え、鮎子は広島の思い出を加えた。ヨハンはオランダの食文化についても話し、二人の視野を広げた。時間が経つにつれ、宗太郎と鮎子はヨハンに親近感を抱き始めた。
夕方、ヨハンは別れを告げた。
「宗次さん、鮎子さん、今日は貴重な時間をありがとう。記事を仕上げたら、また会いに来ます。今治への旅、成功を祈ります。」
宗太郎はヨハンに頭を下げ、感謝した。
「ヨハン殿、ありがとう。この先、俺の評がオランダに届くなら、嬉しいよ。旅が続く限り、味を追い続ける。安全に気をつけてな。」
鮎子も礼を言い、ヨハンを見送った。
「ヨハンさん、ありがとう。宗次さんの評、遠くまで広めてね。また会えたら嬉しいよ。」
ヨハンは笑顔で手を振って去り、宗太郎と鮎子は手をつないで辰五郎の家へ戻った。帰り道、鮎子はヨハンとの出会いに興奮を隠せなかった。
「宗次さん、外国の人が会いに来てくれるなんて…新聞の力、すごいね。大阪まで広まるなんて、信じられないよ。」
宗太郎は鮎子の肩を抱き、穏やかに答えた。
「 鮎子、そなたの言う通りだ。俺の旅がこんなに遠くまで届くとは思わなかった。ヨハン殿との出会いが、俺に新たな励みを与えてくれた。そなたと共に見た味が、世界に広がる日が来るかもしれないな。」
鮎子は宗太郎の胸に寄り添い、微笑んだ。
「うん、宗次さん。私もそなたと一緒なら、どんな遠くにも行ける。子供ができたら、ヨハンさんに会わせたいね。」
二人は辰五郎の家に着き、夕食の準備を手伝った。辰五郎は船の進捗を伝え、漁師が調整中であることを報告した。宗太郎と鮎子は家族三人で食卓を囲み、ヨハンとの出会いや旅の話を共有した。辰五郎は驚きながらも、娘と娘婿の活躍に誇りを感じていた。
夜、宗太郎と鮎子は布団で寄り添い、広島の夜を過ごした。宗太郎は鮎子の寝息を聞きながら、ヨハンとの出会いがもたらす未来を考えた。鮎子は宗太郎の腕の中で、子供の夢を胸に秘め、穏やかな眠りに落ちた。船の準備が整うまで、広島での時間は二人の絆をさらに深め、四国への旅への準備を静かに進めた。