朝の光が窓から差し込む前、ゾルガの目はすでに開いていた。額の二本の角が微かに脈動する。それは彼女の体内時計が教えてくれる目覚めの合図だった。
「ふぅ…今日も一日が始まるわね」
ベッドから起き上がり、窓を開けると、魔王の国の首都・ダークレイムが朝もやに包まれていた。赤と黒の建物が立ち並ぶ独特の景観は、外の世界から来た者には不気味に映るかもしれないが、ゾルガにとっては愛すべき故郷の風景だった。
鏡の前に立ち、自分の姿を確認する。青い肌はオーガ族の証。茶色の髪を丁寧にとかし、白いシャツにギルドの制服を合わせる。筋肉質な体つきは彼女の誇りだったが、同時に豊かな胸と引き締まったヒップラインは、冒険者たちの視線を集める要因でもあった。
「見られるのは慣れたけど、触られるのはご遠慮願いたいものね」
そう呟きながら、彼女は今日も受付嬢としての顔を作る。笑顔の練習を何度か繰り返し、満足したように頷いた。
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「おはようございます、ゾルガさん!」
ギルドの裏口から入ると、すでに清掃を始めていた小柄なゴブリンのマルコが元気よく挨拶した。
「おはよう、マルコ。今日も早いのね」
「はい!昨日は冒険者たちが大騒ぎして、床にスライムの体液が飛び散ってたんですよ。乾くと取れなくなるので、早めに来たんです」
「あらそう。ありがとう。今日のお茶は私が入れておくわね」
ゾルガはさっそく事務所に向かい、スタッフ用のお茶の準備を始めた。魔物族が多いこの国では、人間の冒険者が想像するような「モンスター」が普通に暮らしている。ゾルガ自身もオーガ族として生まれ、その力強さと几帳面さを買われてギルドの受付に抜擢された経緯があった。
お湯が沸き始める頃、背後から声がした。
「おはよう、ゾルガ。今日は依頼が山積みよ」
振り返ると、ギルドマスターのイルザが立っていた。彼女は年老いた吸血鬼で、数百年の経験を持つベテラン。赤い瞳と白い肌は彼女の特徴だが、威厳のある姿は魔物たちからも一目置かれていた。
「おはようございます、マスター。依頼の内容は?」
「辺境の村で人間の農家が作物を荒らされてるらしいの。原因はおそらく野生のトロルね。それと、首都の下水道に毒蛇の巣があるという報告も」
「了解しました。ランクはどちらもC級でいいですか?」
「そうね。それと…」イルザは声を潜めた。「今日は『あの人間』が来るわよ」
ゾルガの顔色が一瞬変わった。「あの人間」とは、最近評判の冒険者・レオンのことだ。人間の剣士だが、魔物に対する偏見がなく、むしろ好意的なことで知られている。そして、彼のゾルガへの視線は、単なる仕事の相手以上のものを感じさせた。
「…分かりました」
静かに答えると、ゾルガは受付カウンターへと向かった。扉に鍵を開け、カウンターの上を整理し、依頼書を分類する。全てが彼女の定めた位置にあることを確認して、初めて安心した。
もうすぐ開店時間。彼女は深呼吸して、今日も魔王の国の首都・ダークレイムのギルド「闇夜の爪痕」の顔として、受付嬢の仕事に臨む準備をした。
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「いらっしゃいませ、冒険者ギルド『闇夜の爪痕』へようこそ」
扉が開き、最初の冒険者が入ってきた時、ゾルガの声は完璧な明るさと適度な丁寧さで響いた。それはまるで毎日練習しているかのような、プロの受付嬢の声だった。
入ってきたのは、トカゲ族のザックとその仲間たちだ。彼らは定期的に訪れる常連で、主に依頼の報告と報酬の受け取りに来ていた。
「おう、ゾルガ!今日も美しいな!」ザックは相変わらずの軽口を叩いた。
「ザックさん、おはようございます。南の森の偵察任務、お疲れ様でした」ゾルガは微笑みながら、彼らの報告書を受け取った。
報告書に目を通しながら、彼女は内容を確認する。危険な魔獣の出没地域をマッピングする任務で、彼らの調査によれば南西部に新たな巣が形成されつつあるようだった。
「ふむ、これは重要な情報ね。報酬は規定通り、銀貨30枚と情報価値分の追加報酬、銀貨10枚をお支払いします」
ゾルガが金庫から報酬を取り出すと、ザックの目が輝いた。
「おっ!追加報酬まであるなんて、今日は飲み明かすぜ!」
「...あまり羽目を外しすぎないように。また明日も依頼が待ってますからね」
彼らを見送りながら、ゾルガはため息をついた。こうして彼女の一日は始まる。人間、魔物、時には妖精族まで、様々な冒険者が訪れ、依頼を受け、報告し、時には傷を癒し、時には喧嘩を仲裁する。
そして今日は、「あの人間」も来るのだ。ゾルガは胸の高鳴りを感じながら、次の冒険者を迎える準備をした。彼女の日常は、異世界の狭間で繰り広げられる小さな物語の連続だったのだ。