正午を過ぎ、ギルドは最も混雑する時間帯を迎えていた。冒険者たちが次々と入れ替わり、依頼の受注や報告、情報交換に訪れる。汗と埃と時には血の臭いが混じる空間で、ゾルガは一瞬も休むことなく対応を続けていた。
「次の方どうぞ」
ゾルガの前に立ったのは、かつて魔王軍に所属していたという悪魔族のライラ。引退後は冒険者として生計を立てている彼女は、その美しさと優雅さでギルドでも人気だった。
「ゾルガ、お疲れ様。この魔法書の鑑定依頼の結果は出た?」
「ええ、お待たせしました。魔法局からの報告では、この本は古代ドラゴン語で書かれた炎系呪文の初級教科書だそうよ。危険な呪文は含まれていないので、所持許可は下りました」
ライラは満足そうに頷いた。「ありがとう。これで研究が進むわ」
ライラが立ち去ると、次はシャーウッド三兄弟と呼ばれる人間の冒険者グループがやってきた。彼らはいつも騒がしく、特に末っ子のトムはゾルガに対して露骨な好意を示していた。
「やぁ、ゾルガさん!今日も青いお肌が美しいね!」トムは大きな声で言った。
「トムさん、いつもの挨拶ありがとう」ゾルガは慣れた対応で微笑んだ。「今日はどんな依頼をお探しですか?」
「俺たちには体力仕事が向いてるって言うだろ?力仕事の依頼はあるかい?」
ゾルガは依頼板を確認し、「ちょうど下水道の浄化作業の依頼が入っていますよ。毒蛇の巣を一掃する必要があるみたいです」
「おお!それだ!俺たちにとっては朝飯前さ!」長兄のハリーが胸を叩いた。
依頼書に必要事項を記入し、彼らを送り出すと、ゾルガは一息つこうとした。しかしその時、ギルドの扉が開き、一人の男が入ってきた。
金髪に緑の瞳、人間の冒険者レオンだ。
ギルド内の空気が一瞬凍りついたように感じた。彼は人間でありながら、魔王の国で活動することを選んだ珍しい冒険者だった。力の強さだけでなく、知性と教養も備えていることで有名で、魔物たちへの理解も深い。
「こんにちは、ゾルガさん」
レオンの声は静かだが、どこか心に響くものがあった。
「レオンさん、いらっしゃい」ゾルガは平静を装いながら応対した。「依頼の報告ですか?それとも新しい依頼を?」
「報告です。辺境の塔に巣食っていた古代ゴーレムを無事に停止させました」
彼は報告書を差し出した。その手が一瞬、ゾルガの青い指先に触れる。小さな接触だが、ゾルガは自分の心臓が早く鼓動するのを感じた。
「素晴らしい成果ですね。依頼主からの特別な感謝状も届いています」
報告書を確認しながら、ゾルガは彼の実力を改めて認識した。古代ゴーレムは強力な魔法生命体で、普通の冒険者なら小隊を組んでも太刀打ちできない。それを彼一人で成し遂げたのだ。
「報酬は金貨15枚と、魔法結晶3つです」
「ありがとう」レオンは報酬を受け取りながら言った。「実は…もう一つ相談があるんだ」
「なんでしょう?」
「明日の晩、時間があれば、一緒に食事でもどうかと思って」
ギルド内の会話が一斉に止まった。魔物と人間の交流は増えたとはいえ、デートの誘いとなると別問題だった。特にゾルガのような受付嬢への誘いは、暗黙のタブーとも言えた。
ゾルガの青い頬が紫色に染まる。オーガ族の紅潮だ。
「え、それは…」
「無理強いはしない。考えておいてくれればいい」レオンは穏やかな笑顔を見せた。「夕方、また来るよ」
彼が立ち去った後、ギルド内は一気に騒がしくなった。冒険者たちがそれぞれの言語で議論を始め、中には「人間のくせに生意気だ」と言う者もいれば、「羨ましい」と呟く者もいた。
ゾルガは呆然としたまま、次の冒険者を呼ぶのに少し時間がかかった。
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昼休憩の時間、ゾルガは裏庭で昼食を取っていた。特製の肉サンドイッチと、魔物特有の栄養ドリンクが彼女の定番メニューだ。
「大変だったわね」
後ろから声がして振り返ると、同僚の妖精族アリエルが浮かんでいた。小さな体で光を放ちながら、彼女はゾルガの横に降り立った。
「あのレオンって人間、本当に勇気があるのね。あなたを誘うなんて」
「…私だって驚いたわ」ゾルガは少し困ったように答えた。「どうすればいいと思う?」
「行ってみたら?せっかくの機会じゃない」アリエルはウインクした。「あなた、彼のこと気になってるでしょ?」
「そんなことない…わけじゃないけど」ゾルガは認めた。「でも私、人間の習慣とかよく知らないし…」
「大丈夫よ、彼ならきっと理解してくれるわ」
昼食を終え、再び受付に戻る途中、ゾルガは考え込んでいた。彼女はオーガ族として、力と実務能力を買われてこの地位に就いた。しかし、女性としての自分はどうなのだろう。鏡を見るたびに、彼女は自分の青い肌と角を意識する。人間の男性から見れば、それは「異質」なものなのではないか。
だが、レオンの目には何が映っているのだろう。単なる好奇心か、それとも…
「ゾルガさん、依頼の報告です!」
考えを中断させられ、ゾルガは仕事モードに戻った。
「はい、どうぞ」
彼女の日常は、そんな小さな変化と出会いの連続だった。ギルドの受付嬢として、彼女は様々な種族の冒険者たちの物語の交差点に立っている。そして今、彼女自身の物語も、静かに動き始めていたのだ。