一方ゾザデット帝国グラード侯爵家貴賓室。
人払いを済ませアウグスト・レリアレード侯爵と二人きりのその部屋で、当主であるエルニッシ・グラードは額に冷や汗を浮かべていた。
「…‥そういう訳で我が娘エルファスとラギルード令息との婚約は解消させていただく。有責はそちらだが、もちろん違約金や補償など一切求めない。それにグラード侯爵には第一皇女殿下派閥の筆頭としてこれからも内政には協力いただく立場、つまらぬ禍根は残したくない」
「……いや、婚約解消については当然であろう。むしろご厚情に感謝しかない。……まさかラギルードがそのような愚かなふるまいを……さぞエルファス嬢は辛い思いを……誠に申し訳ない。この通りだ」
頭を下げるエルニッシ侯爵。
気が弱い一面もあるがこの男は有能だ。
アウグストは美緒から聞いた情報を当然自分でも調べていた。
(やはり……エルニッシではないな。だが彼の名を使っているものが居るはずだ。残念ながら美緒さまのもたらした情報、事実だった)
違法な人身売買。
この国では非常に重い罪過だ。
ここ数年宰相であるアウグストは当然承知していたし対策も打っていた。
だが人身売買組織を捕らえても末端ばかり。
しかもご丁寧につながりは完全に絶った後だった。
(…いる。確実に帝国の中枢、しかも相当の権力を持つものが蠢いている)
アウグストは出された紅茶を口にし息を吐き出す。
「…アウグスト」
「なんだ」
「……別件は良いのか?」
「っ!?……ふう。お前は本当に優秀だな。どこまで掴んでいる」
当然話はしていない。
疑惑の本丸、その当人。
しかし今の問いかけで大きく話は変わってくる。
「…誠に愚かなことだ。我が息子はつい先日、違法に購入した獣人の女性に乱暴を働いていた」
「なっ!?……いつのことだ」
「10日前だ。もちろん問い詰めた。頑として口は割らなかったがな……我が家はこれでも侯爵家。当然他の爵位の目は侵入している。その筋からおかしな手紙が届いたのだ」
「手紙?」
「違法購入の領収書と……私を模した息子直筆のサインだ。侯爵印もあった。……本物だ」
領主の名をかたる取引。
最悪の場合死罪になる重罪だ。
「私は信じていた。……確かにラギルードはエルファス嬢にふさわしくない。何よりそなたの娘、エルファス嬢は聡明で美しい優秀な女性だ。あいつはいつも言っていた『いつか認めさせる。だから努力するんだ』とな。……だが息子は間違えた。欲望に走った。……本当にすまない」
静寂が貴賓室を包む。
だがアウグストは違和感を覚えた。
「…エルニッシ。お前のところの執事長、確かグラリアド公爵の奥方の従姉弟だったよな」
「……あ、ああ。……それが……っ!?ま、まさか?!」
「考えてもみろ。お前は優秀だ。……いくら息子とはいえ、侯爵家の印。……ありかは知らせてはいないであろう?」
「……もちろんだ。あれは爵位と変わらぬ。知っているのは私と執事長のみ…ま、まさか?」
か細い糸がつながる。
アウグストは疑惑が確信に変わった。
「…荒れるぞ。最悪今の皇帝体制、吹き飛ぶやもしれぬ」
「……私に協力できるだろうか……しかし…」
「ん?」
「契約はどうなる?あれは外せんはずだ。執事長であるコルステイは私と直接契約を結んでいる。私の意には逆らえぬはずだが……」
まさに根幹。
しかしアウグストはため息をつく。
「先日の第一皇女殿下の急病騒ぎ、覚えているか」
「当然だ。何でも冒険者パーティーが薬を用意したと聞いている。回復されて何よりだ」
「それは表向きだ。……第一皇女、ミュライーナ殿下は悍ましい呪いに囚われていた。食事に紛れ込まされてな。……そして救ったのはゲームマスター美緒さまだ」
「っ!?なっ!??」
ゾザデット帝国第一皇女ミュライーナ。
才女と名高い彼女は実は深いところまで人身売買組織の情報を自力で得ていた。
そしておそらく首謀者である、叔父にあたるグラリアド公爵の手により命を狙われた。
現在彼女は療養中。
しかし実は安全な他国、神聖ルギアナード帝国で匿ってもらっている最中だった。
今居城ソルジード宮殿にいるミュライーナは影武者だ。
「皇女殿下は優秀な方だ。実は以前人身売買組織についてかなり深い情報をお持ちだった。そして私との打ち合わせの中で、徐々に体調を崩されていった」
「……まさか……呪いだと?……しかも普段の食事に紛れ込ませるなぞ聞いたことがない」
「ああ。この国の技術ではない。おそらく…いや、それはいい。……この部屋での話、まさか漏れまいな?」
「それは大丈夫だ」
アウグストは天を仰ぐ。
そして大きなため息をついた。
「契約だがな、外すスキル持ちがいた」
「っ!?」
「ミュライーナ皇女殿下の食事に呪いをのせ、多くの貴族の根幹、契約に手を出したもの……2年前グラリアド公爵の推薦で魔法庁の要職に就いたモナード女史だ」
「モナード女史?あり得ないだろ。彼女は誰よりも契約の重さを理解していた。それこそ自分の命までかけて。アウグストだって覚えているだろう?彼女が魔法庁に来た時のことを」
「ああ。まんまと騙されたよ。彼女はアンデット、しかも悪魔の眷属だった」
「まさ、か……」
「もともと死んでいるんだ。死ぬ契約など何の意味もない。だからあの女は自由に動けた。契約を重要視する我らをあざ笑いながらな」
話すたびに繋がってしまう悍ましいシナリオ。
アウグストは顔をしかめる。
「これはまだ皇帝も知らない話だ。気取られるなよ?モナード女史は美緒さまにより既に排除されている。いずれ違う動きがあるだろう。……いましばらく公爵は泳がせる。だが今すでにお前の所有する倉庫群、隠蔽された施設が見つかった」
「なっ?!」
「お前はスケープゴートにされる。気をつけろ。……最近取引の増えた他国の商会には特にだ。おそらくつながっている」
茫然とするエルニッシ。
無理もない。
本人の知らぬところで本人の名をかたり印までもが使われている。
きつい言い方をすれば侯爵としてその資格を失っていると言わざるを得ない。
「3年後お前の息子は捕まるらしい。ゲームマスターは超常の力がある。気を付けることだ」
「……忠告、感謝する」
「俺はお前を信じたい。……それでは失礼する」
席を立つアウグスト。
彼はグラード侯爵家を後にした。
※※※※※
「それで、そちらが…」
「うん。吸血鬼の真祖マキュベリア」
「よろしく頼む。なに、すでにわらわの魔力でここにいるものすべての認識に刷り込んでおる。おそらくわらわは『編入生マリア』という認識じゃろうの」
茫然となるジナール第2皇女殿下。
目の前に伝説がいる。
逆に余りの非常識に彼女の感覚がマヒしてしまう。
「ねえ、エル」
「ん?」
「そ、その…大丈夫なんですの?」
おもむろにジナールを抱きしめた。
「ひうっ」
「ふうむ。この娘、なかなか旨そうじゃ。ナナ、良いかの?」
そう言って可愛らしい口を開くマキュベリア。
白く美しい牙がきらりと光る。
突然頭をひっぱたくナナ。
余りの事にジナールは思考を放棄してしまう。
「ダメに決まっているでしょ?おとなしくするからっていう約束、もう忘れたの?」
「ふはは、冗談じゃ。なに、こうすれば緊張も解けよう。のう、ジナールよ」
「えっ?は、はい?!」
あー、やっぱりか。
流石に混乱しちゃうよね。
……話題を変えよう。
「ジナール、私がいない間って誰か来た?」
「えっ?あ?……コホン。……一度ラギルードが来ましたわね。もちろん追い返しましたけど」
「げっ。何の用だろ?」
「よりを戻したいのじゃなくて?あのお方、実はあなたの事大好きですから」
「はあ?そんなわけ……」
「……まあ、貴方ではわかりませんわね。……あの方、そこだけは評価できますわ」
「ふーん。でも私もう無理だよ?冷めちゃったし。それに私、学園中退しようかなって」
私の言葉にジナールが激しく反応する。
「は?今なんておっしゃいまして?……まさか辞めるとか言いませんよね?」
「えっ?……言ったけど?」
そして大きくため息をつく。
「エル」
「は、はい」
「そこに座りなさい」
「え?」
「いいからっ!!」
「う、うん」
そして始まるお説教。
何故かマキュベリアはその様子をニヤニヤして見ているが。
(はあ。私疲れたんだよね。結構魔力も使ったし……お説教長いな)
「聞いてるのっ?!」
「う、うん。聞いてるよ」
「まったく」
さらに続くお説教。
結局ナナは完全に論破され、卒業まで通うことを約束させられた。
「カカッ。最強も皇女には勝てぬか。良いものを見れた」
何故か満足げなマキュベリアに、かなりイラっとしていたのはここだけの内緒だ。