「はぁ……」
「なにしょぼくれたため息ついてんだい!」
「あいたっ!?」
閉店後、一仕事終えた疲労から溜息を吐いた瞬間、急に背後から背中を強く叩かれる。相手は確認するまでもない。この場でこんな真似をしてくる人物は一人だけ。そう、僕が働く飲食店のオーナー兼コックの女将さんだ。
「ちょっともう女将さん、痛いじゃないですか」
振り返って苦情を言う。そんな僕に、こちらより身長が頭一つ分高く、筋肉質な身体つきの女将さんが、呆れる様な顔で此方を見下ろし言葉を続けた。
「全く……男の癖に情けないねぇ。そんなに気になるんなら、さっさと会いに行けばいいだろ」
「なっ!?ち、違いますよ!今日は忙しかったからちょっと疲れただけです!別にレイミーさんの事を考えていた訳じゃありません!」
「ふーん。あたしはレイミーだなんて一言も言ってないけね」
「う……」
女将さんがニヤニヤとした表情で僕を見て来る。確かに名前は出してないけど、言ったも同然じゃないか。彼女は意地悪だ。
「まあ冗談はさておき、本当に一度会いに行ってみたらどうだい?身分の事なんか考えずにぶつかる。それが青春ってもんだとあたしは思うけどねぇ」
「べ、別に身分とか……」
女将さんが他人事だと思ってか、簡単に言って来る。確かに身分は違う。だけどそれ以上に、僕と彼女は違うのだ。レイミーが貴族だとか、そういう次元とは全く別の次元で。
――だから僕とレイミーは絶対に結ばれる事はない。
だけど……
それでも……
僕は彼女の事が……
「まあ無理強いはしないさ。けどね……人生は一度しかないんだよ。気持ちを伝える事ぐらいしたって、罰は当たらないんじゃないかい?」
「……」
「ああそうだ!」
女将さんが急に大声を出した。そして急に店の奥に入って行ったかと思うと、少しして笑顔で戻って来る。
戻って来た彼女のその手には、見覚えのある手拭いが……
「女将さん、それって……」
「ああ、レイミーの私物だよ。あの子、店を辞める時に忘れて行ったみたいでね。明日は休みだ。悪いんだけど、明日あの子の所にこれを届けておくれ」
「お、俺が?」
「あたしは忙しいんだ!頼んだよ!」
女将さんが無理やり手拭いを僕の手に握らせて来る。
「あ、あの……」
「残りはもうあたし一人でやっとくから、あんたはもう帰んな」
女将さんはそう言うと、さっさと店の奥へ引っ込んでしまった。
「……ありがとうございます」
僕は小さく礼を言う。
レイミーに会いに行く口実を作ってくれた、女将さんの気遣に対して。
もちろん自分の気持ちを打ち明ける様な真似はしない。ただ友人として、忘れ物を届けに会いに行くだけだ。
それでも……
彼女の顔を久しぶりに見れる。そう思うだけで、胸が高鳴ってしょうがなかった。
翌日、僕はレイミーの屋敷を尋ね。
そして――
不審者として捕まった。
いや、別に何かしでかした訳じゃないよ。ただ直前でしり込みしてしまって、屋敷の近くでてうろうろしてたら……まあ何と言うか、不審者として捕まってしまったという訳で。
うん、それだけ。だから、えーっと……大丈夫だよね? 貴族の屋敷の周りで不審な行動してたからって、何かの罪になったりは……しないよね?