朝靄の残る筆の家。小鳥のさえずりがそっと庭を揺らし、キッチンからは焼きたてパンの、香ばしい湯気が廊下まで広がっていた。
「おーい、ミィ! 盛り付けプレートに星が多すぎるってばい!」
早口のルナが、厨房とホールをつなぐ小窓から叫ぶ。
「でもねでもね、今日は“星の日”なの! 昨夜の夜空があまりに綺麗だったから、みんなにもおすそ分けしたくて!」
ミィは瞳を輝かせ、星形にくり抜いたにんじんを高らかに掲げる。彼女の両手には、自作の小さな天の川があしらわれた皿がずしりと重い。
「理由が詩人か!」
思わずツッコミを入れるフィナに、ミィは元気よくウインクを返した。
「モモ〜! スプーン、逆に置いとるばい! お客さん、どっちがすくいやすいと思うね!?」
「ええと……ええと……“手が短いほう”?」
モモは頭をひねりながらも、持ち替えずにそのまま口に運んでしまい、ルナが思わず茶碗を抱え込んだ。
一歩奥に入ると、ミランダが落ち着いた手つきで三品の調理を並行進行中だった。
「今日の主菜は“香草鶏のパン包み焼き”よ。ティア、魔力オーブンの調整をお願いね」
「すでに設定は完了しています。あとはリュウさんが焦がさなければ完璧です」
「焦がす焦がさないの問題じゃないだろ……昨日は“ちょっと”炙っただけのはずなのに」
「“ちょっと”ね……“火竜の吐息レベル”でしたけど」
明日お互いのやり取りに微笑みながら、リュウはオーブンに目を光らせた。
開店と同時に、常連客たちの足音が響き渡る。
「ここの野菜スープ、飲むと若返った気がするわ」
「盛り付けがかわいくて、娘が毎朝通いたがるのよ。おかげで財布が軽いけど」
「筆の家の朝ごはんは、うちの家族より家族らしいんよね」
ルナは胸を張り、満面の笑みで案内する。
「はいはい、空いてる席は奥ばい! 今朝のおすすめは香草が効いたパン包み焼き〜!」
ティアは機械じかけのように正確な計算でレジを打ち、フィナが静かに伝票を手渡す。
ミィはカウンター越しに、トマトで作った小さな花飾りをそっと乗せる。子ども客が歓声を上げ、隣席の大人たちも思わず顔をほころばせた。
背後の厨房では、ミランダが香草とハーブの香りを確かめ、リュウが筆を握りしめながらも、顔には安堵の柔らかな光が浮かんている。
営業終了後。
調理器具や食器を丁寧に片付け、洗い場に並ぶ洗い物が最後の湯気を上げるころ、リュウは白紙の原稿帳を広げた。
「筆の家の西側に、三つの新しい部屋が完成した。
一つはミィの星の間、窓にはステンドグラスで夜空が描かれ、壁にはきらめく星型のルーンが刻まれている。
一つはセリスの静謐の間、音を吸う魔力壁紙に包まれ、そこだけ時がゆっくり流れるような空間。
一つはラミナの甘香の間、棚一杯にハーブとスパイスが飾られ、扉を開けるたびにふわりと心地よい匂いが漂う。
すべては、住む者の色で染まる、あたらしい家族の居場所。」
「完成〜!」
ルナが両手を叩き、喜びを全身で表現する。
「さすがリュウばい。ミィが入った瞬間、“星がしゃべった〜!”って大はしゃぎだったけん」
「なにそれ、マジで怖っ」
「夢の話か魔力の話か、判断が難しいなぁ」
その夜、すべてが静まり返った後。
ミランダはそっと二階の窓を開け、涼しい夜風を胸に吸い込んだ。屋根の向こうに見える満月は、まるで新しい部屋をやさしく見守っているようだ。
「……本当に、にぎやかになったわね」
背後で扉が開き、リュウが紅茶と温かなあんドーナツを抱えて現れた。
「でも、まだ増えると思うよ。ここは、そういう家だから」
「あんドーナツに関しては、また物語書きそうな勢いなんだけど……」
ミランダは苦笑しながら、そっと手を伸ばしてカップを受け取った。
「また一人、また一部屋。それでも、筆の家は窮屈にならなかった。むしろ、心はどんどん広がっていった。」
のれんがふわりと揺れ、明かりが窓辺をくつろいだ色に染める。
新しい朝を迎える準備は、もう整っている。
筆の家の物語は、まだまだ終わらない。