王都支店の店頭には、朝の陽射しにも負けないほどの熱気がみなぎっていた。行列の先頭に立つ冒険者や商人、庶民たちの目は、まるで宝物を前にした子どものように輝いている。
「うおおっ……これが噂の“魔導炊飯器”か……!」
「おお、釜の内側に刻まれた目盛り、水の線まで分かりやすくて親切すぎる!」
「この“白米ノ極”って書かれた魔法スクロール、名前が中二病っぽくて逆に信頼できる!」
試食コーナーでは、ミランダが鮮やかな手つきで炊きたてのササニシキをおにぎりに仕上げている。湯気が立ち上り、米粒一粒一粒が白く透き通って輝いていた。
「……うまっ……なにこの米……!」
一口食べた瞬間、目を見開く市井の者。
「冷めても、もちもち……! まるで魔法か何かみたいだ」
「いや、これは紛れもなく米そのものの力だよ!」
炊飯器は初日ですべて完売。残ったのは希望の列だけだった。裏手では、リュウとルナが肩を寄せ合い、山積みになっていた未出荷の炊飯器箱が一つ、また一つと空になっていくのを見守っていた。
「……やっと、積み上げた炊飯器の山が消えたね」
リュウは膝を折り、大きくため息をつく。
「喜ばしい……けど、ちょっと恐ろしかとばい」
リュウはがっくり膝をついた。
「……これって、つまり“ササニシキがバカ売れする”ってことだよね……?」
ティアが帳簿を差し出し、三日間の注文数を示す。
「現在、筆の家に寄せられた米のご注文は、前月比で三倍です」
「三倍ィィィィ!? 誰が作るの!? 田んぼは!? 俺の体力は――!?」
ルナは静かに肩をすくめた。
「また水田を増やすしかなかね……」
「もう十分増やしたでしょおぉぉぉぉ!!」
だが、ササニシキは待ってくれない。炊き上がりの甘みとふくよかな香りに、今度は王国軍が手を挙げた。
「これは遠征兵の士気を高める新たな兵糧になり得る」
「保存性と栄養価が高いうえ、炊飯器付きで自炊も可能だと……!」
つまり、このササニシキご飯革命は、政府の国家事業へと発展したのだ。次なる相手は、王国軍からのササニシキ大量発注である。
「これ、完全に国家事業やんかぁぁぁ!」
ハンモックで顔を埋めながら、リュウはうめいた。
「スローライフ、どんどん遠ざかっていく……俺、ちょっと枝豆に転職したい……」
横でルナがちょこんと腰掛け、枝豆をひと粒くわえる。
「でもリュウ、稲が風に揺れる景色、好きやろ?」
「うっ……嫌いじゃないけど……」
「米は人を養うたい。スローライフよりも、誰かを支えているってことかもしれんよ」
リュウは小さく頷いた。
「くぅぅぅ……でも、せめて休ませてぇぇぇぇ!」
こうして、筆の家は“炊ける世界”から、“育てる世界”へと本格的に突入する。ササニシキを軸にした新たな挑戦が、今まさに始まろうとしていた。
◆◆◆
「リュウ、もういい加減、限界やろ?」
ハンモックに体を預け、眠気まなこでうつらうつらしていたリュウの額を、ルナのその一言がずばり貫いた。
「……はぁ……もう水田20枚以上あるんだぜ? 俺、もはや農家どころか、農業公社の会長じゃん……」
顔を手で覆い、肩を震わせて呻く。
「スローライフしたいだけだったのに……なぜ俺は毎朝“稲の成長チェック”してるんだ……」
「それ、自分で筆で描いたからばい」
ルナの冷静なツッコミに、リュウはしばし言葉を失った。
「うっ、ぐぬぬ……否定できない……」
◆◆◆
ログハウスの会議室。木製の長テーブルを囲み、筆の家の重鎮たちが真剣な面持ちで資料を広げていた。
【議題】今後、増え続けるササニシキ需要にどう対応するか
ティアは静かに資料をめくり、各種統計を示す。増産トレンドは止まらず、注文数は日々更新されている。
「農地をさらに拡大する案、または外部契約農家と提携して生産を分散させる案があります」
ミランダは大きな茶碗を手に、豪快にお茶をすする。
「人だね。どれだけ水田増やしても、リュウが倒れるだけさ」
「異議なし! 異議なしです!!」
一同が声を揃え、賛同の拍手がわき起こる。
こうして決まったのは、筆の家農業部門の創設と、農業スタッフの大量募集であった。
◆◆◆
王都支店の掲示板には新たな募集ポスターが貼り出された。
『筆の家・農場スタッフ大募集!住み込み寮あり/三食ササニシキ付き/味噌汁完備/未経験歓迎』
その日のうちに、冒険者一行やスラム出身の若者、魔族の青年、元貴族の落ちこぼれまで、実に多彩な面々が集まり始めた。
「おにぎりで生き延びた命、今度は稲を育てる番っス!」
「俺……農業って地味だと思ってたけど、土に触れるのって……案外いいかも」
「うぉぉ、稲が光って見える!!」
リュウは、初々しく田植えに奮闘する新スタッフたちを見て、不意に胸が熱くなった。
「おれ……もう……働かなくていいんじゃない……?」
そう呟くと、ハンモックに身を沈め、ようやく目を閉じた。
◆◆◆
広大な田んぼで、農業部門のスタッフが真面目に稲刈りや水管理を行っている。かつてはリュウと数名で回していた水田は、今や数十人のチームで手入れされ、見事な黄金の絨毯を広げていた。炊飯器も街の暮らしにすっかり定着し、“筆の家”のササニシキブランドは「ごはんの代名詞」となっていた。
ある夕暮れ。
ルナがハンモックにそっと腰を下ろし、隣でのんびり空を眺めるリュウに微笑みかけた。
「ねえリュウ。これでやっと、スローライフ、戻ってきたね?」
「……うん。田んぼを眺めながら寝るのも、悪くないかもな」
リュウはふふと笑い、起き上がって空を仰いだ。
「よし、次は……“梅干し”作るか」
「……あんた、もうスローライフ向いとらんばい」
森の奥深く、風に揺れる稲穂の音と、遠くで炊きたてのごはんの香りが静かに広がっていった。
こうして、“米の革命”を起こした筆の家は、スローライフと農業の狭間で、新たな物語を紡ぎ続けるのだった。