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第3話

 ――くねくね。


 見た姿をそのまま名前に反映したかの如き『怪異』は、場所や時間、季節や条件を問わず、なんの前触れもなく現れると言う。


 また、これを遠目で見る分にはなんら問題無いが、双眼鏡やカメラなどの道具を介す場合も含めて、それを間近で見てしまい、尚且つそれが何であるか理解してしまうと、精神に異常をきたしてしまうのだとか。


「――で、“カミゾノ”はそう言ったお化けや幽霊に妖怪、それらによって巻き起こされる怪奇現象。一緒くたに『怪異』と呼ばれる事象を解決する霊媒師なのデス。


 と、ヴェルは語る。


「それでもって、私は彼のマネージャーであり雇い主……って感じですかネ」


 話を一区切り。ヴェルは田園の向こうへ視線を移した。淡い夕日が、彼の彫刻の様な横顔を美しく浮き彫りにしている。


 一時的とは言え、不気味な笑みを絶やした彼の表情は実に端整なものだった。さながら映画のワンシーンみたいだと思う。


 ……見惚れている場合じゃない。


「そ、それよりさっきの話ですけど……」


 もちろん母の件は気にはなるが、一連の話を聞いた私は真っ先に彼の身が心配になっていた。精神に異常。同じ動き。全て目前で見ていた事例と一致している。


 彼の常軌を逸脱した奇妙な動きは熱中症なんかじゃ無かったんだと――。


「あの、カミゾノさんって人は大丈夫なんですか? 明らかに様子が変に……」

「カミゾノなら心配いりまセン。まだ大丈夫でショウ、ナハっ。」


 その態度はどこか軽薄だった。私は二人の関係性を知らないし、元より初対面である。しかし信頼とは呼べぬ冷たい空気感が彼の表情に纏わりついている気がした。たぶん顔の造形的にそういう表情に見えてしまうのだろうけど。


 一先ずはヴェルの言う通り、あの人は大丈夫だとして……私は……? 


「あのぅ……。実は私も見たんです……けどぉ……」

「不思議ですネー? まぁ、それを含めて調査に来たのですけど」

「調査……? 何を――」


「エイ」


 拍子抜けするような掛け声が響いた瞬間――。


「――――!?」


 私の視界から黒味が消えた。


 矢庭に射し込んだ夕暮れが水晶体を刺激する頃、私はようやく自分が何をされたのかを理解した。サングラスを外されたのだ。


 それも突然、何の断りもなく。


「――――え」


 自分でも拍子抜けする声が喉元を通り過ぎていく。


 いつもなら、すぐさま顔を隠していただろう。伸び切った前髪で目元を隠すように俯いていただろう。あるいは脊髄反射の如く背を向けていたはずなのに――できなかった。


 血の色よりも濃い紅の瞳が、私を捉えて離さなかったから。


「ふむ、奇麗な瞳ですネ」

「……あ、え……?」


 途端、形容し難い感覚が全身を駆け巡っていく。


 何とも言えぬ気持ち悪さ、気味の悪さ。上手く言葉で表すことが出来ないが、とにかく強い違和感が警鐘を鳴らしている。


 まるで人の皮を被った化け物を目の当たりにしたかのような、彼が人間で有る事を私の本能が否定しているかのような……。


「私の? 眼が……綺麗……?」


 しかし、何より優先して出てきたのは不安の吐露。疑念の呟き。猜疑の自問。綺麗――生まれて初めて言われた言葉が私の思考を停止させていたのだ。


「ええ、とてモ。さながら月の様に淡い色をしている……」


 果たして誉めているつもりなのかは分からないが、曖昧に微笑んだヴェルの表情からは嫌悪の欠片すら感じない。


 むしろこんな私を迎え入れるような、そんな温かな雰囲気さえ纏っている気さえ……そこで私は我に返った。


「あ、あの……! 返して……ッ!」

「大丈夫。こんな物はもう必要ありませーン」


 瞬間、彼の手によって無造作に放り投げられたサングラスが宙を舞う。


 咄嗟に目で追うも、山影に沈み行く太陽の光条によって視界は直ぐに遮られ、やがて――ぽちゃん。重力に沿って田園の何処かへ落下したであろうサングラスの音が返ってくる。


 当然、矢庭に込み上げてくるのは憤慨に似た混乱だった。


「な……っ、なんばすっとですか!」

「まーまー、そう怒らないでくだサイ。後で新しいのをあげますヨ」

「そがん問題じゃなかとですけど!?」


 ヴェルは唇をⅤの字にしならせる。そして不気味な程に弧を描いた彼の目線は――なぜか私の肩越しへと向けられていた。


「さぁ、来ましたタ」


 刹那、ヴェルは曖昧だった笑みを明瞭にする。まるで見た者を狂わせるかのような、猟奇的な笑み。それでいて恐ろしいくらいに鋭い眼差しは、相変わらず私の肩越しへと向けられたままだった。


 嫌な予感がして、振り返った途端――。


 絶句する。


「な、なな……」


 夜が、途方の無い暗闇が私を覗き込んでいた。視界中に広がる黒色が、今にも私を飲み込まんと目と鼻の先で蠢いていたのだ。


 息を飲んだ私は冷静に一歩、二歩、後退り、視界へ飛び込んできた何者かの全貌を確認した。


「…………なにこれ」


 色々な当惑を通り越し、先ず出てきたのは率直な感想だった。


 その『怪異』は――己の存在を主張するかの如く、突起して丸みを帯びた頭頂、陥没した黒い顔面を私へ突き出すようにして、無風の中をクネクネと揺れていた。遠目で見た時よりも、思いのほか小さな煙のような姿だと思った。


「な、なにか御用事……ですかね?」


 なぜ自分でも声を掛けたか分からない。もちろん返事は無い。靄や霧。煙や雲。そんな抽象的で曖昧模糊な存在にも見えるそれは、私が右向けばその身を翻してスライドし、左を向けば同じような動きで私の眼中へ嫌でも納まろうとしてくるぞ。


 妙な居心地の悪さに困っていると、ヴェルが関心した様子で声を掛けてくる。


「素晴らしィ。本当になんとも無さそうですネ?」

「何ともないというか……普通に邪魔で不気味なんですけど……」

「恐らくは体質。稀に居るのでス、貴女のように超超鈍感なタイプが」


 ヴェルは『これ』が何であるか認識した場合、精神に異常をきたすと言っていた。しかし、その『くねくね』とやら、名の通り私の周りを『くねくね』と動くだけで、一向に先程の彼の様な症状が私に体表化する事は無かった。


 全く実害がない。そうなると次第に私の恐怖心も和らいでいくもので、改めて私は『くねくね』を凝視する。


「……本当にこれがお化けなんですか?」

「お化けや幽霊に妖怪。霊的な存在は多種多様、色々な姿形をした奴がいるのですヨ」


 ヴェルの言う通り、お化けの類なのは分かる。じゃなきゃ説明がつかない形状なのは明らかで、触ろうとしても指先はすり抜けていく。


「そもそも霊感なんて無いのに、こんなにハッキリ……」


「こいつは特別デス。貴女にも分かるよう説明すると、霊にも強さのランクがあって、強い存在ほど霊感だとか関係なく視えたりするのでス。中でも『くねくね』みたいに固有の名前が付いた『妖怪』や『怪異』なんかは別格と言っていいでショウ」


 当然だが私には霊感が無い。こんな異形はもちろん、幽霊の「ゆ」の字だって見たこともなければ、感じたことも経験した事も無い。だからこそ、生まれて初めて見たお化けとやらがこんな形貌じゃ何とも拍子抜けだった。というか現に私の肩は空かされていた。


 そして、くねくねと――気付けば夜の帳が落ち始めている。


 もちろん田園周りには街灯なんて有る訳が無く、そんな夕闇の中を薄っすらと発光しながらくねくねと踊り続けるそれは、見方を変えれば幻想的にも…………いや、見えないな。


「…………いつまで続くんですかこれ?」

「無駄だろうけど貴女を憑り殺すまデ? 本能だけで動いているようなモノですシ」


 ヴェルの洒落になってない物言いに身震いした、その時。


 ザバァッ――――と、派手な音がした。


 浸かっていたお風呂から勢いよく立ち上がったような音。咄嗟に音のした方へ目を細めると、黒い影が、ベチャリ、ベチャリと、不快な足音を立てながら近くの田園から這い上がってくるのが見えた。


『くねくね』の薄弱な光源に照らされた“ソレ”を見た私は――。


「はっ――――は、半魚人ばいっ!」

「誰が半魚人だ」


 思いきや、その半魚人は冷淡に人語を発していた。周囲の大気を細かく振動させるような低い声には聞き覚えがある。というか、『くねくね』を相手に水田上でプロレス技を掛けていた彼だ。


 目前で揺れるお化けよりもよっぽど化物っぽい装いだったので普通に叫んでしまったじゃないか。


「やぁカミゾノ。随分と満身創痍のようデスネー?」

「余計なお世話だ。で、本当にコイツが……例の小娘で間違いないな?」

「見た目で判断するな。そういう鉄則をお忘れですカ?」

「……まぁいい。先にあいつを片付けてくる」


 何の話をしているのか分からずに佇んでいると、彼は自身に付着した泥を手で払い落としながら私の元へ歩いてくる。


 怒らせた肩で風を切り、水気を含んだ革靴がズチャズチャと不快な足音を立てながら――こちらを睨みつけながら近寄ってくるのだ。


「な、な……なんですか?」

「邪魔」


 私の困惑を刹那に切り伏せた彼は、手を払いながら私に退くよう促した。どうやらその鋭さを放つ眼先は背後の『くねくね』に向けられていたらしい。


 私は一歩横へ。


「よぉ、おかげで稲作される所だったぜ」


 淡々としながらも圧を感じる声が響くと、心なしか『くねくね』の動きが加速する。その動きはまるで歩み寄る彼へ向けて精一杯の抵抗をしているかにも見えた。


 しかし抵抗も虚しく『くねくね』は頭頂部を鷲掴みにされ――。


「無駄だ。お前の“呪い”は一度受けた」

『――――――――ッ!』


 声にならない叫びを発する『くねくね』は彼に掴まれたまま、旅行バックへ強引に衣類を詰め込むような動作でクーラーボックスの中へ仕舞い込まれて行く。無数に張られたお札は“この事”の為にあったのか。


 バンッ。蓋が閉じられると、しばらくガタガタと揺れ動き――沈黙。


 私はというと、目前で起きている現象に理解が追い付かず、ただ口を開けて事の顛末を傍観する事しかできなかった。ますます現実が遠退いて行く気がしてならない。


 クーラーボックスの上へ腰を下ろした彼は嘆息する。


「……ったく、泥だらけじゃねえか。着替えはあるか?」

「ありませんネェ。そもそも『くねくね』何て予定外でしたカラ」

「……へ?」


 不意に零れ出た短い声が二人の会話を裂いた。私はてっきり『くねくね』を退治する為に、二人はこんな辺鄙な場所へ来たのだと思っていた。 


 そして私がその『くねくね』の被害に逢わぬよう、名前しか知らない母が二人を遣わせた。そう、思っていたのに――じゃあいったい何を退治しに来たというのか。


「どうかしましたカ?」

「あ、あの、お母さ……オウカさんはあなた達に、その、結局何の依頼を……?」 


「除霊だ」


 淡。と答えたのはカミゾノさんだった。クーラーボックスの上に座った彼は煙草の紫煙を漂わせている。辺りはすっかり暗くなっていた。そんな薄闇の中で、ポゥっと灯る煙草の先端が怪しく明滅している。


 最中、燻らせた煙が不意に揺れ動く。


「お前さんに憑りついた『悪霊』のな」

「………………はい?」


 その瞬間、場が凍り付いた。いや、凍ったのは私の表情だけで、カミゾノはさして興味も無さそうに煙草の煙を吹かし続け、薄ら笑みを浮かべたヴェルは視線を私に……また私の肩越しへと眼を向けている。


 私はカラッカラに乾いた声でつい笑ってしまった。


「はっ……。あはは……じょっ……冗談ですよね?」

「ナハナハッ! 冗談に聞こえまシタ?」


 不穏な物を感じた私は警戒するように顔を引きつらせ、咄嗟に身体を引く。さっき汗を拭ったばかりだと言うのに、妙な湿り気が全身に帯び始めていた。


 私は固唾を飲む。飲むしかない。


「私の後ろに……誰かいるんですか?」

「バッチリ。さっきからズゥーっと見えてましたヨ」


 怖いくらいの笑み。笑顔と言うテンプレートを張り付けたかのような表情。もはやヴェルの薄気味悪い笑顔も胡散臭さが勝ってきたが、やはり冗談に見えないのが彼である。


 意味が分からない。その一言で全ての思考を放棄してしまいたい。全て冗談でした。そんな言葉で片付けて今すぐ座り込んでしまいたい。


 でも――こんな片田舎まで遣いを寄越したあの人の真意が知りたくて、私はこの状況を嫌でも嚙み砕きつつ、詐欺師かも分からぬ目前の二人へ問い掛けるしかなかった。


「じゃあオウカさんは……私に憑いてる悪霊退治の依頼をお二人に……?」

「半分正解で半分不正解といったところでス。とにかく、単刀直入に用件を述べるのなら、我々はアナタを苦しめている『怪異』を解決しにきたのですヨ。アナタのママの依頼でネ」

「私を苦しめている『怪異』って……?」


 心当たりは無い。

 だから困惑するしかなかった。


 ――――彼らが言う、『怪異』。


 その言葉自体は酷く曖昧だが、悪霊とやらが人に憑りつけば凡そ何が起こるかの検討がつかない訳じゃない。


 素人目に見ても、私はこれまで大怪我や大病を患った事も無ければ、立て続けに不幸事に見舞われた事も無いのだ。そりゃぁ家庭環境と生い立ちは少し特殊化もしれないけど……。


 ヴェルは薄く微笑した。


「どうやら貴女はその『怪異』をコンプレックスとしか捉えてないようダ」


 全く的を得ていない彼の物言い。けれどもその一言は――私の心臓をギュッと掴んでいた。


「私達は貴女の『呪われた眼』の原因を祓いに来たのでス」 




 ……薄闇が夜へと変わる。


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