ハルがえなかちゃんの専属カメラマンになった。
夏休み限定とはいっても撮影するという名目で二人きりで街に出ていくのを想像するだけで胃がキリキリしてくる。
いままでもハルが他の女の子と一緒に遊びに行くことはあった。
でも相手がえなかちゃんだと気持ちが全然違う。
だってあんなにかわいくてスタイル良くて有名な子だよ?
うまく言えないけれど、ずっと胸の奥でザーザーと砂嵐が起きている感じ。
どうして恋愛って勉強みたいにうまく行かないんだろう。
答えが出ないからモヤモヤする。
今回の件についてえなかちゃんに訊いたら、動画さえ撮ってくれれば編集とかは全部やるから素人でも問題ないって言っていた。
偶然にも助けてもらったお礼とは言っていたけれど、意図的にハルを選んだ気がしてならなかった。
この前ごはん食べていたときも目で追っていたし、ラグーナの中を案内していたときも真っ先にハルの部屋の場所を知りたがっていた。
でもどうしてハルなの?
えなかちゃんには星司くんみたいなイケメンがお似合いだよ。
「ハルで本当に大丈夫かな?」
前のカメラマンのことはよくわからないけれど、ハルは手先が器用な方じゃないし、失礼なこと平気でするし、たくさん迷惑かけちゃうんじゃないか心配。
「心配してるのか?」
「えなかちゃんの方をね」
「なら飾音がやればいいじゃんか」
「えなかちゃんはハルにお願いしてるんでしょ?」
「どうして俺なんだよ?」
そんなの言わなくてもわかってよ。
ハルって本当鈍感。
昔からそう。
あれは中学生のとき、あるドラマのワンシーンが私たちの世代で流行った。
12月31日の23:50〜23:59の間に波打ち際の砂浜にお互いの名前となるように貝殻を置き、手をつないだまま年が明けるのを待ち、波に流されることなく違いの名前が残ったままでいると二人は結ばれるという言い伝え。
すでに付き合っている人はその年も別れることなく一緒にいられる。
そのドラマのヒロインは余命一ヶ月の宣告を受けていて、自身の誕生日である1月11日まで生きていられるかわからない状態だった。
余命のことを知っていたクラスメイトの彼は彼女の家に毎日お見舞いに行っていて、彼も彼女に想いを寄せていた。
そんな二人は一緒に浜辺に行き、貝殻を置いて手をつないだまま新しい年を迎えていた。
彼が告白し二人は無事結ばれたが、翌年の誕生日、ヒロインは天国に旅立った。
役者が人気若手女優と男性アイドルだったこともあってドラマは大ヒットし、一時期みんなそのシーンを真似した。
クラスの女子たちとそれについて話していたとき、彼氏のいる友達は一緒にやると言っていて、もう一人の友達も片想い中の男子を誘ってみるみたい。
私は勇気を出してハルを誘ったらオッケーしてくれた。
嬉しくて飛び跳ねそうな気持ちを抑えながらも当日の夜を迎える。
先客がすでに貝殻を集めていたため名前分の貝殻がなかったので、代わりに石を集め、『ともはる』となるように置いた。
ハルも私の横に『かざね』となるよう石を並べる。
波が砂浜を行ったり来たりしている。
手をつないだまま年が明けるのを待った。
1月1日午前零時。
ドキドキと破裂しそうな心臓を抑えながらスマホのライトで照らすと、『ともはる』もその横の『かざね』も置いたままの状態だった。
嬉しすぎてつないでいた彼の左手をぎゅっと握る。
周囲の人たちはそれをSNSに投稿していて、その日の浜辺は貝殻と石だらけ。
あの日、彼からの告白を少しだけ期待した自分がいた。
正直言葉なんてなんでもよかったの。
「付き合ってください」なんて綺麗な展開望んでないしハルはそんなタイプじゃない。
「俺と付き合えよ」とか、「おまえを幸せにできるのは俺しかいない」みたいな上からの偉そうな感じでもすごく嬉しいのに、気づいたらつないだ手は離れていた。
あのときはすごく寂しい気持ちだったけれど私は諦めない。
仮にえなかちゃんと親しくなっても私はずっとハルだけを見てきたし、これからもそうだから。
◇
えなかは飾音の向かいの部屋に住むことになった。
三日も経たないうちにえなかと飾音は意気投合していた。
蒸し暑い夏の夜にかいた汗を流すため、シャワーを浴びに一階に降りると、リビングでお菓子をつまみながらガールズトークをしていた。
彼氏との理想のデートとか将来の旦那はどんなのが良いとか、おすすめのコスメとか。
今度制服を着て一緒に撮影しようと話していて、どの曲にするとか踊りの練習はいつにするとか話が尽きない。
こう見ているとただの女子高生。
人は有名になったり地位や権力を得ると人が変わると言うが、彼女からはそんな姿はまったく想像できなかった。
風呂から上がるとすでに話題が変わっていた。
もうすぐ行われる夏祭りについて話す二人は今度街に浴衣を買いに行くそうだ。
「飾音ちゃん細いからなんでも似合いそう」
「私、もなちゃんほどスタイル良くないから着るものによっては幼くなっちゃうの」
「もなちゃんって?」
「もとみや えなかだから、もなか。それをさらに省略してもなちゃん」
いや、そんなドヤ顔されてもなんて返せばいいんだ。
あだ名ってそんなものなのだろうけれど、なんとも安直というかテキトーというか。
この短期間でもうそんな仲になったのかと思いながらも、えなか本人はこのあだ名を気に入っているようだ。
「ってか服着なさいよ。もなちゃんもいるのよ」
「着てるじゃんか」
「上半身裸じゃない」
顔を真っ赤にしながら注意してくる飾音。
向かいに座るえなかも目をパチパチさせながら何度もチラ見してくる。彼女の頬も赤い。
「いいだろ家なんだし」
「ここは実家じゃないの」
「実家に来てたときよく見てたじゃん」
「あれはまだ小さいころでしょ。いまはもう高校生なの」
何をそんなムキになっている?
この暑さで服を着るなんて意味がわからない。
男の特権を存分に活用させてくれ。
「二人とも暑いなら扇風機つければいいじゃん」
「本当バカ」
なんで怒ってんだよ。
この場にいても飾音の血圧が下がらないので、冷蔵庫からドリンクを取り出し部屋に戻ろうとする。
「ってかハル、明日ヒマでしょ?」
勝手に決めつけるなと声を大にして言いたかったが、残念ながら何も予定はなかった。
「私明日予定あるから、星司くんと一緒にもなちゃんに島を案内してくれない?星司くんには私から言っておくから」
この島では新しい住人が来たときは挨拶回りをする風習がある。
と言ってもすべての人は無理があるので、島内会長やお店の人たちなど限られた人たちのみ。
翌朝、星司は来られなかった。
まさかの夏風邪だ。
昨日の夜、裸のまま朝までゲームをしていたら風邪を引いたらしい。
仕方ないので俺一人でえなかに島を案内することになった。
島内会長、居酒屋を経営する夫婦、農家を営む家族、海沿いにある喫茶店の店主などに挨拶に行った。
この島の住人はみんな知り合いのため情報が流れるのが早い。
◯◯さんの息子と◯◯さんの娘が最近別れたとか、◯◯さん家の扇風機が壊れて困っているとか。
ちなみ島内会長の初恋の人に関しては島民全員が知っている。
星司の家族がここに来たときもみんなに挨拶に行ってすぐに仲良くなった。
一通り回ると、最後の場所に嫌々向かう。
「おう、ハルじゃねぇか」
店の横にある手作りのハンモックの上でタバコを吸いながら海を眺める姿は全然カッコよくなかった。なぜなら俺はこの人がダメな大人だということを知っているから。
フェリーの近くにある民宿兼コンビニ『
41歳、独身。長年綾子に恋心を抱いていながら接し方がわからず想いばかり
飾音と同じように俺のことを『ハル』と呼ぶいつもヒマそうにタバコを吸いながらスマホをいじっているやる気のないおっさんだ。
たまにドラマやCMの撮影で泊まりにくるテレビ関係者がいるときだけやけに張り切るような現金な人で有名人や美人に弱い。
最近は島内会でも奥湊の別名である『ハート島』を全面的に押していて、ハート型をしたスイーツやお土産を作って集客に必死になっている。
自然の景色と落ち着いた雰囲気が良いと外国人も来るようになり少し賑やかになったが、それでもこの人からはやる気のやの字も感じられない。それもそうだろう。
コンビニと言っても品揃えは少なく棚はいつもスカスカで夜7時には閉まってしまう。
フェリー乗り場の近くに一台だけ自動販売機があるので、ほとんどの人はそっちでドリンクを買っている。
無駄に広い店内の奥には
オープン当初は様々な本も販売していたようだが、いまはネットで買えるしそもそも本を買う人が減っている。
それに週末になるとほとんどの人たちが街に遊びに出かけてしまうためここを訪れる人はほとんどいない。
この店はもともと観光客向けにカズさんの祖父がオープンさせ小さな船で島の周辺を案内する事業も行っていた。
その後カズさんの父親が引き継いだが、過剰仕入れや値引きをしすぎて赤字が続き一時的に閉めることになった。
父親が亡くなってから土地を売却するか迷ったそうだが、島では貴重な宿場のため、島民たちの支援もあってなんとか営業している状態だが、連日
俺だったらもう少し一生懸命働くけどな。
「相変わらず
「冷やかしなら帰れよ。俺はいま忙しいんだ」
嘘つけ。
いつもタバコ吸いながらユーチューブばっか見ているくせに。
本当に忙しい人はそんなこと言わない。
「で、何の様だ?」
気怠そうにそう言うカズさんにえなかを紹介する。
「新しく越してきた元宮 えなかです」
えなかの顔を見て何度か瞬きをした後、さっきまで怠そうにしていたカズさんの表情が変わる。
「ドッキリか?」
「本物です」
えなかはにっこりと優しく微笑んだ。
「カズさん、えなかのこと知ってんのか?」
「当たり前だ。埼玉のティファだろ?全投稿チェックしてる」
この人、暇人だから驚くほど時間あるもんな。
「この前のグルメロケ良かったよ。テレビ越しでも美味しさが伝わってきた」
素人から上から芸能人を評価する。
たまにこういう人見るけれど、まさかこんな身近にいるとは。
恥ずかしくて紹介するのが嫌になる。
「ありがとうございます。嬉しいです」
天使のように微笑む彼女に良い歳したおっさんが顔をニヤけながら照れた様子でいる。
気持ち悪くて見ていられない。
「戸塚 和典だ。生まれも育ちも奥湊。この島ことならなんでも訊いてくれ」
そう言うとキリッとした顔でえなかの手をつかみ握手する。
「カズさんきもいぞ」
「
「そんなのねぇから」
テキトーな理由をつけてえなかの手を触りたかっただけだろ。
だから飾音に引かれるんだ。
このテキトーで現金な人を紹介するかいつも迷うが、一応島民全員に挨拶しておかないと後でネチネチ言われそうだからそうした。
えなかにはカズさんのことを軽く話していた。
やる気というものがなく芸能人好きのダメなおっさんで、綾子のことが好きなのにアプローチできないシャイな人であることを。
「カズさん、綾子今度誕生日なの知ってるよな?」
「8月19日だろ?」
やっぱり覚えていた。
「誘ってないのか?」
「なにをどう誘えばいい?」
そんなことだろうと思った。
「食事でも行きませんか?ってストレートに誘えばいいじゃんか」
うまいこと言おうとして変な感じになるくらいなら直球勝負した方がお互い気持ちいい。
「でもな……」
「女の子はストレートに言われたら嬉しいです」
ナイスだえなか。
「そう言われてもな……」
「好きな気持ちを素直に伝えてもらったらこっちも意識しますし、何かしてあげたいって思います」
「そうなんだけどなかなかな……」
まったくこのおっさんは。
良い歳してもじもじすんなよ。
「当日サプライズで綾子にお祝いする予定だから良かったら来なよ」
「考えとく」
飾音やえなかのような若い子には露骨にカッコつけるくせして本命には全然アプローチできない。
毎年やってくる花見も夏祭りも年末年始も誘う機会はたくさんある。
去年、なんとか機会を作ろうとバレンタインのときに綾子の手作りチョコを渡したことがある。
そのときだってホワイトデーに何かすればよかったのに結局何にもしなかった。
チャンスはいっぱいあるのになにかと言い訳して距離を置く。
物事は踏み出さなきゃ何も変わらないと思うけれど。