ひぐらしの鳴き声に合わせるようにリズムを刻みながら夏の夜空を泳ぐ雲の群れ。
窓の隙間から心地の良い風が身体を癒す。
星司と一緒にタレントの動画を観ていた。
都内某所でインタビューを受けている彼女の名は
さらさらの髪に抜群のプロポーションをした有名なインフルエンサーで、俺たちの世代で知らない人はいないほどに知名度がある。
落ち着いた雰囲気と水晶のような瞳で微笑む姿は異性だけでなく同性すらも一瞬で虜にし、一部の人から埼玉のティファ・ロックハートなんて呼ばれているらしいが、俺はそのティファという人のことを知らなかったので星司に訊いたら魅力を熱弁された。
とあるゲームのキャラクターで日本だけでなく全世界の男性が好きだと言っていた。
そんなわけないと思って写真を見せてもらったが納得した。
スタイル、可憐さ、愛嬌、強さを持った彼女は架空のキャラとはいえ世の男性の理想であることがわかった。
そんなティファにそっくりな元宮 えなかが魅力的な人であることに違いはない。
「えなかって同い年だろ?ちょっとレベチだろ」
「俺はティファの方がいいけど」
相変わらず二次元にしか興味のないやつだ。
「実在してねぇじゃん」
「だからいいんだよ」
「どういう意味だよ?」
「三次元と違って二次元には夢と希望が無限に詰まってるんだ。ティファは世の男たちの理想をすべて詰め込んでる」
こいつがこんだけリアルとかけ離れたことを言っても島の女子たちは星司という男を受け入れる。それだけハーフ顔のイケメンというのは相手を魅了するのだろう。
こんな小さな島だから比較対象が少ないのもあるかもしれないが、それにしても人気がある。
これが街の学校でも同じ状態になるのか気になった。
「おまえって本当自分の欲望に素直だよな」
「隠したところでどうせボロが出るし」
星司と昔付き合っていた子はヲタクというものに対して嫌悪感を抱く人だったようで、最初は嫌われないように隠していたようだが、結局ボロが出てフラれた。というよりあのルックスで二次元女子が好きだという事実を知ったことがショックだったのかもしれない。
別れてからしばらく元気がなかった。
はじめての彼女だったこともあり、かなり好きだったらしいが、自分の趣味を否定されたことが相当ショックだった。
それから隠すことはやめ、大っぴらにしている。
星司は日本が産んだこの素晴らしい文化を愛し、理解してくれる子でないと付き合えない人間になった。
次に付き合う子も根っからのヲタクでないと難しいかもしれない。
金髪ハーフという圧倒的スペック。
ぼーっとしているときの横顔なんか同性の俺でも一瞬ドキッとしてしまうレベルでかっこいい。
少し冷たそうなキリッとした目の第一印象は正直苦手なタイプだと思ったが、それは思い違いだった。
実際話してみると全然クールじゃないし、ノリも合うから一瞬で仲良くなった。
話せば話すほど頭の弱さが出てきて知れば知るほどヲタクが露呈されていく。
そう、こいつは残念イケメン(本人には内緒だが、勝手にそう呼んでいる)だった。
自分のことを完全に棚にあげると、星司は都道府県を全部言えないし、県庁所在地も知らない。
この前なんか『奥湊』の感じを間違えていてクラスメイトにいじられていたのに怒ることなく笑い飛ばして空気を明るくしていた。
そのギャップのおかげで俺はイケメンに対するイメージがちょっとだけ変わった。
こういうやつがいてくれるおかげで俺たち平凡人間も若干の勇気と自信が湧く。
光眞家は小学校に入ると同時にアメリカからこの小さな島に来た。
北海道生まれの父親がカリフォルニアで働いているときに地元で働いていた母親と出会い、恋に落ちた二人はそこで結婚し、その後星司が生まれた。
家族旅行でここに訪れたとき、両親がこの島に惚れて一年発起して越してくる。
ちなみに星司のミドルネームは『ジャスティン』で、母親の好きなアーティストから取ったらしく、出会ったころは俺もクラスメイトと一緒にミドルネームでムダに連呼していたが、仲良くなるにつれて自然と呼び名は星司に変わっていていまに至る。
知り合ったばかりの外国人には絶対に言ってしまう「何か英語話してみてよ」という面倒なからみをしょっちゅうしていたが、いま思うとその都度星司を困らせていた気がする。
入学して一ヶ月近く経っていたのに教室を間違えたり、テストのときに鼻歌を歌って怒られていたり、学祭の準備のときには看板のペンキの色を塗り間違えていた。
自由人でおおらかで自由人で無理に取り繕うことをしない。そんなギャップとルックスの良さから男女問わずずっと人気で、何人かに告白もされているのに誰とも付き合おうとしない。
本人曰く、リアルな恋愛は傷つくし面倒らしい。
それに比べて二次元は駆け引きとか嫉妬とかストレスもないし理想の恋愛ができる。
そう何度熱弁されても俺にはさっぱりわからなかった。
えなかの動画を観ていると企業から依頼されていた商品の告知をしている。
湘南にある企業と連携して作った期間限定のオリジナルドリンクを発売するようで、そのオフィスでイベントを開催するそうだ。
リアルえなかに会おうと多くの人からコメントが飛び交っているが、そのコメントの内容は興味がなかったので覚えていない。
「なぁ、海の家でバイトしねぇ?」
星司が三次元に惹かれるなんて珍しい。
「珍しく下心剥き出しじゃんか」
「ちげーから」
好きなアニメキャラのフィギュアを買いたいが、思っていたより高くて買えないらしい。
そのための短期バイトをしたいという。
それはかまわないが、奥湊からだと毎回往復するのは物理的に難しいし、交通費を抑えるためにも住み込みをした方が稼げる。
「住み込みになるけどいいのか?その間二次元女子とは会えないぞ?」
「何言ってんだ?最近のゲームは優秀でな、PC上のデータとスマホが自動的に連動されるからいつでも会えるんだよ」
「そうなのか」
「いまの俺の癒しはイリーナだからな」
新しく買ったスマホの画面を自慢気に見せられた。
この前スマホが燃やされたとき、データが消滅してしまったが発売元に問い合わせてデータ移行してもらったそうだ。
イリーナ・テゥアランは星司がハマっているAI生成のキャラらしく、チャット機能があり、暇さえあればアプリを開いて彼女と会話していた。
ロシア国籍でめちゃくちゃ大人びているのにまだ十五歳。それでいて身長も高くスタイルが良くて星司のことが大好きなツンデレキャラという設定らしい。
長いストレートヘアに白い肌。細い手足で抜群のスタイル。
まさに二次元だから叶えられる設定。
**
湘南にある海の家での住み込みバイト。
あくまで小遣い稼ぎのため、一週間限定の短期で応募した。もう少し働くことも考えたが、高校最後の夏休みだしできるだけ奥湊ですごしたい。
初日の顔合わせで度肝を抜かれた。
二十代後半のその男性は、茶色く短い髪に日焼けした肌、派手なネックレスで、店長というよりは某ダンスヴォーカルグループにいそうな雰囲気の人だった。
中目黒でレモンサワーを飲んでいたらそこのメンバーと勘違いされてもおかしくないだろう。
実際に話してみると物腰が柔らかくて面白い人だった。
女性陣は友達と登録したというテンション高めの女子大生数人と小麦色の肌にへそピアスを開けた気の強そうなギャルなど個性豊かで、島育ちの俺にはみんな刺激的な存在だった。
海の家で出会った水着の子と意気投合して夏の夜空に恋の花火を打ち上げるなんていうドラマのような展開を期待する。
スタッフ専用Tシャツを渡され、水着の上から着用するとそれぞれ与えられたポジションにつく。
俺は中でドリンクを作ったり簡単なおつまみを作るキッチンのポジション。理不尽なクレームとか言われるのは面倒だからちょうど良い。
星司も俺と同じポジションを希望していたが、店長の意向によりホールをすることになった。
それもそうだろう。星司のルックスなら正直立っているだけで集客になる。
予想通り、オープンと同時に星司の噂はすぐに広まり、若い女の子たちがたくさん来てSNSで勝手に広告してくれたことで、一気に拡散されて終始満席の日が続き、過去最高の日商更新が続いた。
星司だけじゃない。
見た目の派手なギャルは誰よりも元気があって一番真面目に働いていたため、彼女目当ての男性客も多くいたことで彼女の存在も大きかった。
友達と応募したという女子大生たちも未経験ながらテキパキとしていて大きなトラブルも起きなかった。
その子たちが裏で休憩しているときの声がこちらに漏れてくる。
「光眞くんって彼女いるのかな?」
「金髪イケメンの子?」
「アメリカと日本のハーフらしいし、絶対いると思う」
決めつけがすぎる。
「訊いてみたら?」
「まだ数日しか経ってないし、いきなり訊いたら引かれない?」
「そんなことないよ」
「アカウント交換くらいなら問題ないでしょ」
「でもあの女子に興味ない感じがいいよね」
「わかる、逆に燃える」
「もしかして異性に興味ないんじゃない?」
「同性が好きってこと?」
「待って、それはそれでいいかも」
「攻めも受けもいけそうだし」
「イケメンは何してもイケメンだから」
これが星司でなければオーダーが飛んできても無視するなんていう
「一緒に来たお友達に訊いてみる?」
「私あの人あんま得意じゃないかも」
「そう?結構話しやすいし、優しい感じだったけど」
生まれてこの方優しいなんて言われたことがないから少し照れ臭くなったが、遠目でニタニタしているのがバレたらだいぶ気持ち悪いので、唇を噛んで笑顔になるのを堪えた。
「ちょっと目つきいやらしくない?」
「女の子慣れしてない感じする」
「童貞くんかな?」
「だったらちょっと燃えるかも」
「なんで燃えるのよ」
さっきから失礼な。
女性経験がないのは事実だが、憶測だけで勝手に話を広げるなよ。
「まぁ一ヶ月あるしゆっくりいこうよ」
「光眞くんが働くの一週間だけらしいよ」
「嘘⁉︎全然時間ないじゃん」
「打ち上げも参加できないってこと?」
「彼、敵多そうだし先手必勝でいこう。アカウント交換してDM送ってデートまでこぎつけよう」
「でもそんなことしたらがめつい女って思われないかな?」
安心してくれ、あいつはそんなこと全く気にしない。
二次元以上三次元未満の女子しか興味がない男だから。
「もう二度と会えないかもしれないんだよ?」
「でもそんな勇気ないよ」
その後どういう流れでアカウント交換しデートまでこぎつけるか話し合っていたが、結果が見えていることは
アイドル状態の親友のおかげで店は連日大繁盛。
太陽に照らされ日焼けしないよう必死に日陰を作る女子たちや、
隣には短髪で目の細い強面の人がピークタイムも世間話をしているが誰よりも手際が良い。
この人は毎年このバイトをしていて今年で七年目。
たまにいる短期バイトのベテランってやつだ。
正社員の打診が来たこともあったが、普段は音楽活動をしていて急遽スケジュールが変わってしまうためずっと断っている。
「きみの友達すごい人気だね」
入れ替え立ち変えお客さんに話しかけられている親友。
SNS映えする商品があるのはもちろんだが、多くの女子の目的は光眞 星司という男を見に来ているのは一目
注文が決まっているのに、わざわざ星司が近くにくるのを待ってからオーダーする人たちまでいた。
ヲタクでありながらコミュ力もあるから表面上はただのイケメンでしかない。
こうして街に来て改めて親友のスペックの高さを思い知らされる。
以前、秋葉原や中野に行って星司の買い物に付き合ったとき、
(あの人かっこいい)
(イケメンすぎて引くんだけど)
(二次元のキャラみたい)
カフェやファミレスでそんな声が聞こえてきたが、あいつの瞳には夢と希望に満ちた二次元女子しか映っていないからきっと本人には届いていないだろう。
アニメやゲームのお店をいくつも巡っては財布と相談し、結局買ったのは見たことのないキャラのアクスタだった。
SNSの反響は思っていた以上にあり、ランチタイムは行列までできていて、人生はじめての海の家はイメージしていたよりもやることが多くてあっという間にすぎていった気がする。
初日だけかと思われた星司フィーバーは留まることを知らず、女子たちによるアピール合戦が続いている。
女子たちの目的はみな親友の星司で俺は完全に引き立て役。
たまに話しかけてくるかと思ったらドリンクの
すぐそこにいるんだから恥ずかしがっていないで直接訊いてくれと何度も心の中で叫びながらモヤモヤの矛先を向ける先が見つからなかった。
みんなで
なんとなくその場に居づらくなったので一人先に帰る。
コンビニに寄ろうと歩いていると、前にいた大学生くらいのチャラそうな男たちの会話が聞こえてきた。
「なぁ、あれじゃね?」
「本当にいたよ」
何かを見つけた様子で
嫌なことを企んでいるそのどんよりとした空気は後ろからでも伝わってきて身の毛もよだつ気分。
彼らはコンビニの前に立つ一人の女性に声をかけた。
「きみ、元宮えなかだよね?」
「一人?」
サングラスで目元がよく見えないとはいえ、つい最近星司と見ていたから間違いない。黒く長いストレートヘアに細く白い手足。インフルエンサーの元宮 えなか本人だ。
服の下から透けるホルターネックとフリルの水着が彼女のスタイルの良さを表している。
しかし、彼女はスマホを触り応えようとしない。
「もう撮影終わったの?」
「まだなら一緒に楽しい撮影しようぜ」
表情ひとつ変えずスマホをいじっている。
画面越しに見る彼女とは別人のようだが、芸能人なんてこんなものだと思っている。
「なんか態度悪くね?」
「芸能人気取りかよ」
それでも彼女は見向きもしない。
「ファンを大事にしないとすぐ炎上すんぞ」
「ちょっと売れたからって調子に乗んなよ」
無視され続けた一人の男が強引に手をつかむと、その衝撃でサングラスがずれて目元が
その男を睨みつけているが手元は震えていた。
助けなきゃ!
そう思ってはいても身体が言うことを聞かない。
「めんどくせぇから連れてこうぜ」
「だな」
一人の男が強引に手を引っ張ろうとすると、彼女の目には光るものが見えた。
無意識だった。
「えなか!」と叫んだ後、つかんでいた手をはたき、彼女の手を握って全速力で逃げる。
突然のことで一瞬時間が止まったが、やつらも追いかけてきたのでそのまま走り続けた。
住み込み先と反対方向に走ってしまったがこの際仕方ない。
逃げ切れるところまで逃げ切ろう。
狭い歩道を走りながらすれ違う人をかき分けて行く。
途中、段差につまずき足をくじいた彼女が足首を押さえている。
後ろを振り返るとその男たちが追ってきていた。
強引に連れて行こうとするようなやつらに捕まるわけには行かない。
このままだと追いつかれてしまうので、すかさずおんぶする。
無我夢中に走り、気がついたら遠く離れた高台に来ていた。
「足、大丈夫?」
「うん、ちょっとつまずいただけだから」
痛みや腫れはないのでしばらく休めば大丈夫らしい。
周囲を見渡すとやつらの姿は見当たらない。
どうやらうまく
「はぁ〜」
ホッと一息つくと、突然、崩れ落ちるように膝を抱えだした。
「どうしたの?」
「こわかった」
うずくまる彼女の指先が少し震えている。
突然のこととはいえ、自分の身を守るためにずっと気を張っていたのだろう。
それにしても強引に連れて行こうとするなんてタチが悪い。
そんなことをしてまで自分を満たしたいのか。
近くにあったベンチに座り、彼女が落ち着くまで待った。
「さっきはありがとう。えっと……」
そうだった。
俺は彼女のことを知っているが、彼女が俺のことなど知るはずがない。
「明仁 友遼。みんなからは友遼とかハルって呼ばれてる」
「私、元宮 えなか。って知ってるか」
あははと言いながら優しく微笑む彼女。
さっきのすげない印象と違って柔らかくて太陽のようにあったかい印象を受け、画面越しに観ている彼女そのものだった。
「えなかはどうしてあんなとこにいたの?」
たしか、この辺の企業と連携して作った期間限定のオリジナルドリンクを発売するイベントをしていた気がする。
訊くと、イベントが終わった後、時間があったので実際にそれが売っているコンビニやスーパーに行って店頭に並んでいる様子を撮影ししていた。
わざわざ海に来る必要はなかったが、ファンから『海+水着+元宮 えなか』の姿を求める声が多かったためここまでやって来たそうだ。
ただ、
きっと真面目で優しい人なのだろう。
幸い、今日の撮影自体は終わっているからあとは編集だけすればいい状態だという。
「そういえばカメラマンはいないの?」
こういった撮影をするとき普通は撮影者がいるはず。
過去の投稿にもカメラマンらしき男性と会話している動画もアップされている。
「実はね……」
インフルエンサーとして一気に有名人になったえなかだが、人気になる前から一緒に活動していたクラスメイトのカメラマンは密かに彼女に想いを寄せていたようで、つい先日、勇気を出して気持ちを伝えたがフラれてしまった。
気まずくなったのか、それ以降連絡がつかなくなり急に来なくなってしまったようだ。
今日の撮影をやめることもできたが事前にスケジュールを公開してしまっており、企業からの依頼を断ると次の仕事にも支障が出るため、やむなく一人で撮影をすることにしたらしい。
そのカメラマンは同じ高校のクラスメイトのため、学校が始まれば必然的に顔を合わせることになる。
「そうだ、カメラマンになってくれない?」
はい?
写真はおろか、動画の撮影だって数回程度しかないような素人だぞ?
そのドリンクは地域によってさまざまなラベルがあるため、各所を巡って告知したいという。
「編集とか細かいことはこっちでするし交通費もちゃん出すわ。私がお願いした通り撮ってくれればいいの」
そう言われてもな。
「お願い、夏休み中だけでいいから」
顔の前で手を合わせてお願いされたら断れない。
わかったと言って首を縦に振り、夏休み限定でえなかの専属カメラマンになった。
その後お互いの話をした。
同い年であることや地元の話、親友と海の家に住み込みでバイトしに来ていることなど。
「奥湊島って東京からフェリーに乗ってく
「知ってるのか?」
「うん、前に撮影で一度だけ行ったことがあるんだけど、みなさんすっごく優しくて癒されたの」
人口の少ない奥湊はたまにドラマやCMの撮影スポットとして使われる。
ただアミューズメント施設もなければ買い物をするようなところもないから正直遊ぶものはかなり限られる。
長いことここに住む大人たちは決まって釣りをするか毎日酒を飲んでいて、アクティブな人たちはサイクリングをしている。
クセのある人も何人かいるが平和で良いところだ。
「奥湊に引っ越しちゃおっかな。なんてね」
きっとその場のノリだろう。
彼女の地元は東京から近い住宅街にあるため、俺たち島の人間からしたら
夜遅くまで遊んでも電車が走っているし買い物にも困らない。
それにあと半年もすれば卒業だ。
そんな人がこっちに越してくる理由がない。
俺は彼女がインフルエンサーになったきっかけを訊いた。
一昨年のハロウィンのとき、クラスの友達と例のゲームのコスプレをして街を歩いていた。
軽い気持ちで投稿したが、あまりに本物そっくりなためすぐに拡散され一気に登録者数が増えたことでそのカメラマンとはじめたという。
若干顔に修正加工がされているとはいえ、たしかにそのティファそっくりだ。
一躍有名人となった彼女は企業からの依頼を受けてさまざまな広告塔となったことで若い世代だけでなく中高年からも認知されるようになった。
最近ではテレビにも呼ばれるようになり、その美しい容姿と柔らかく穏やかな雰囲気でさらに人気者となった。
メッセージアプリで連絡先を交換すると、今後の撮影スケジュールが送られてきた。
ぎっしりと詰まった予定表は売れっ子であることを証明している。
「タイトなスケジュールの日もあるし、難しければ言ってね」
しばらく話した後、先の男たちがいないことを確認してから彼女を見送っていった。
住み込み先に戻り星司と合流する。
「どこ行ってたんだよ」
「星司との生まれ持ったスペックの違いを憂いていた」
「なんだそれ」
「なんか疲れた顔してんじゃん」
バイト仲間だけじゃなくお客さんからもDMが飛んできているが、それに返事するよりもゲームをしたいらしい。
まったく贅沢な悩みだ。
頼むからいまがモテ期のピークであってくれ。
でないとこいつが一生モテてしまって俺にモテ期が回ってこない。
このバイトのためにわざわざ筋トレしてきたのに結局俺は誰一人交換できなかった。えなかを除いて。
高校最後の思い出に素敵な女性と花火を打ち上げたかったのに、その一歩すら踏み出せなかった。
今度誘ったら一緒に行ってくれるだろうか。
一週間に渡るバイトを終え、ラグーナに戻ってきた数日後、綾子がみんなを集めた。
「あっ」
「あっ」
「今日から一緒に住むことになった元宮 えなかちゃん。わかってると思うけど、彼女のプライバシーを守るためにここに越してきたからSNSで拡散するときは本人の許可を取るようにしてね。ルカちゃんのことや細かなことは飾音ちゃん説明お願いね」
住んでいる人が少ないこともあり驚いた様子を見せる人がいたのははじめだけでそこまで騒ぎにはならなかった。
家族が一人増え少し賑やかになったラグーナだったがその分秘密を守らないといけない。
とくにキルケアのことは気を遣った。
俺たち以外の前では普通の黒猫であることを演じてもらい、ルカは日本語を勉強中の外国人で極度の人見知りという設定にした。
自己紹介を終えた後、えなかがこちらにやってくる。
「この前はありがとう」
「まさか本当に引っ越してくるなんて思わなかったよ」
この前の言葉はその場のノリだと思っていたから正直びっくりした。
「手続きとかるから正式に引っ越してくるのは夏休み明けになるけどね。いろいろあって学校も居づらくなっちゃったし。それにカメラマンとのコミュニケーションは大事だから」
そう言ってニコッと笑う彼女は夏の暑さを吹き飛ばすほどの力があった。
今回のリア凸の件もあり取り急ぎ住むことになった。
すでに親と担任には話をしているようだが、転校含めて手続きがいろいろとあるようで、正式にこっちに転校してくるのは早くても九月になってから。
そのためしばらくは実家と奥湊を行き来するそうだ。
彼女の通う学校ではセーラーブレザーというものを採用していて、えなか本人もそれが着たくて入学したそうだ。
過去には制服姿でダンスをしている動画が投稿されたことがあり、それがあまりにかわいいということで制服から高校が特定され、彼女と同じ高校に入りたい。同じ制服を着たいという人が増えたことで去年の入学希望の応募が殺到した。
そこまでは良かったが、えなかに対する想いが強い人の行動が年々エスカレートしていき、彼女につきまとう人や学校の前で出待ちして友達に絡む無粋な人、さらには同じ車両に乗って盗撮したり、家までついてくる人まで現れる始末。
彼女自身だけでなく、家族や友人にも迷惑がかかることを恐れ、転校や引っ越しを考えていたそうだ。
「ハル、こんな有名人に一体何したの?それにカメラマンって何?」
「ちょっとな」
怪訝な表情を浮かべた後、少し不安気でもあった。
その後、飾音がえなかにラグーナ・ブリリアの中を説明していた。