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第15話


「リングへはここから上るの」


 闘技場の中に入ると、阿佐美はリングの横に置かれた台を指差した。

 台は地面とリングのちょうど中間くらいの高さのものが用意されている。

 俺にとってはそれほどでもないが、阿佐美は台に上るだけでも足を大きく上げる必要がありそうだ。

 そして当然、台以上にリングは高い位置に設置されている。

 このリングから落ちたら相当痛いだろう。


「結構高いんだな」


「リングが低い位置にあったら観客席から見辛いでしょ。配慮よ、配慮」


 その通りかもしれないが、闘技者の落下に関しては全く配慮がされていない。

 リングから落ちるような弱者にしてやる配慮は無い、ということだろうか。


「決闘前にリングを確認しておきたいなら、早くした方がいいわ。それ以外にも確認したいことがあったら今のうちに言って。そろそろ開始時刻だから」


 もうそんな時間なのか。確認したいことは山ほどある。

 やはり十五分前に出発するべきではなかったようだ。


「俺の武器がどんな形になるのか、具現者である阿佐美には分かるのか?」


「あたしには分からない。あんたを象徴するものか、あんたにとって扱いやすい形になるだろうけれど。でもあたし、あんたのことはよく知らないから見当も付かないわ」


「それなら竹刀かな。竹刀なら扱いやすい……けど、仁部の魔法はどうやって防げばいいんだ?」


「あたしに聞かれても知らないわよ。先手必勝で、呪文を唱える前に倒したらいいんじゃない?」


 力業だ。しかし一理ある。

 盾を壊しながら仁部を攻撃するよりも、魔法を使う前の仁部を攻撃した方が、ずっと楽だ。


「ただし、アドバンテージは相手にあるわ。相手は“想い”の武器を使い慣れている上に、武器が強化されている。一方であんたは初めて武器を使うから、思い通りに扱えるかすら分からないもの」


「確かに俺は今回が初戦だけど、初戦ってことは仁部は俺の情報を持ってない。対して俺は仁部の戦い方を知ってる。一概に俺が不利とも言えないはずだ」


 俺が強気に言ってみせると、阿佐美は薄く笑った。


「あんたは運がいいわ。たった一回観た決闘が、自分の対戦相手になる闘技者のものだったんだもの。それともあえて観戦した闘技者を対戦相手に選んだのかしら?」


「決闘は仁部の方から申し込まれた……って、勝った闘技者が戦い続けるルールじゃなかったか? 対戦相手を選ぶ? 勝ち残り戦なのに?」


 阿佐美の言葉に違和感を覚えて質問をする。

 今の阿佐美の発言は、まるで決闘が乱立しているかのようだ。勝ち残り戦でそんなことはあり得ない。

 俺の疑問に、阿佐美は、何を今さらと言いたげな顔をした。


「毎日戦い続けたいという闘技者は、まれよ。みんなそれぞれの生活があるから。用事がある闘技者もいれば、次の決闘のために身体を休めたい闘技者もいる。けれどそれだと無駄に時間だけが掛かるでしょ。だからこの闘技場では、闘技者をたくさんストックしておいて、予定の合った闘技者同士を戦わせているの」


「へえ。俺は仁部に直接試合を申し込まれたけど、日程が合った相手と戦うこともあるのか」


 そういえば阿佐美は前に、日程をくれれば勝手に試合を組んでおく、と言っていた気がする。


「闘技者同士が知り合いとは限らないからね。むしろ知らない相手の方がやりやすいから適当な相手と試合を組んでくれ、と言ってくる闘技者の方が多いくらいよ」


 なるほど。対戦相手が友人だと、勝った場合に友人から闘技者の資格を剥奪することになってしまう。

 それよりは赤の他人から資格を剥奪した方が罪悪感を抱きにくいのだろう。


「…………時間ね」


 スマートフォンを見ると、あと五分で七時になるところだった。

 いつの間にかリングの反対側には仁部が立っている。


「武器になりそうなものは携帯できないルールだから、鞄とスマホをあたしに渡して」


 言われた通りに阿佐美に鞄とスマートフォンを渡す。

 その後すぐにスタッフがやって来て、俺の身体をペタペタと触った。身体検査をしているのだろう。


「こういうのって観客に見える位置ではやらなくないか?」


「普通はね。現に仁部は控室で身体チェックを済ませているわ」


「来るのが遅かった俺が悪いってことか」


「そういうこと」


 その辺のことを教えてくれていたら、俺だってもっと早くに来たのに。

 それともこの程度のことは自分で察しないといけなかったのだろうか。

 まあ、どちらにしても終わったことだ。次からはもっと早く闘技場に来よう。


「チェックが終わったようね。いよいよ始まるわよ」


 身体検査の終わった俺に、阿佐美が近付いてきた。


「リングに上って」


 促されるままにリングの上に立つ。

 すぐに阿佐美もリングに上り、俺の隣に並んだ。


「さあ、具現者の祝福をするわよ」


「あ、ああ」


 あまりにも躊躇が無い。闘技者とのキスに慣れたとは言っていたが、これほど事務的にキスをしていたとは。

 ふとリングの先に目をやると、仁部がメガネの女性とキスをしようとしているところだった。

 きっとあの人が、阿佐美の姉であり、沢村を闘技者にした阿佐美花瀬なのだろう。


「……なによ。相手があたしじゃ不満なわけ」


 俺が花瀬さんを見ていたことに気付いた阿佐美が、不貞腐れたような声を出した。


「不満とかそういうのでは」


「じゃあ早く口づけをするわよ」


 阿佐美の顔が近付いてきたその瞬間、俺は目黒に言われたことを思い出した。

 確か目黒はキスをする際には素数を数えてくれと言っていた。頼まれたからには数えないわけにはいかない。


「ええと、二、三、五、七、十一、十三、十七」


「……なにそれ」


 またしても阿佐美が不機嫌な声を出した。

 頭の中で数えていたつもりだったが、口に出てしまったようだ。

 自覚は無かったが、俺は決闘前で緊張しているのかもしれない。


「今のは、素数を数えてて……」


「いいから、早く」


 焦れたらしい阿佐美が、俺のネクタイを引っ張って自分のもとに引き寄せ、無理やりキスをした。

 柔らかい感触が唇から伝わってくる。

 …………あれ。素数って何だっけ。


「さて、あんたの武器は何かしらね」


 動揺する俺を無視して、唇を離した阿佐美は楽しそうにしている。

 俺としては、正直、決闘どころではない。

 見栄を張って何でもないことのように振る舞っていたが、今のが俺のファーストキスだ。

 何と言うか……めちゃくちゃ柔らかかった!


「ボーっとしている場合じゃないわよ。決闘はもう始まるんだから」


 ファーストキスの余韻に浸っている俺の背中を、阿佐美がバシッと叩いた。

 背中を叩かれてハッとした俺は、自身の手に剣と天秤が握られていることに気付いた。

 これが俺の“想い”の武器なのだろう。


「剣は分かるけど……天秤? 武器じゃなくない?」


「剣と天秤ということは、正義でも象徴しているんじゃないかしら。初対面の相手を正義感で救おうなんて考える、正義中毒で馬鹿で無鉄砲なあんたらしいじゃない」


「俺たちって相棒なんだよな?」


 阿佐美のあんまりな言い草に、思わず相棒かどうかを確認してしまった。

 ただし憎まれ口を叩いてはいるものの、阿佐美の顔は嬉しそうに弛んでいる。

 俺が優勝者になった瞬間に阿佐美を裏切って別の願いを叶えようとしているのではなく、根っからの正義感で阿佐美のことを助けようとしていると、俺の武器を見て分かったからかもしれない。


「さあ、勝ってきなさいよ」


「勝ってきなさいって……まあ武器に剣があったのは幸いかな」


 武器になりそうもない天秤は、正義を象徴するための添え物と考えた方がいいだろう。大事なのは剣だ。剣道で使う竹刀や木刀とはまた別物だが、弓矢や銃よりはよっぽど手に馴染む。


「リング上で刺しても、リングから下りたらケガが治るんだよな?」


「身体的にはね。刺された痛みや恐怖等の精神的ダメージは残るけれど、そんなことを気にしていたら勝てる試合も勝てないわよ」


「ケガが残らないならそれだけで十分だ。それに精神的ダメージの心配をするのは、覚悟を決めてきた相手に失礼に当たる。俺だって対戦相手に過度の心配をされるのは嫌だからな」


「そうね。自分を負かした相手が心配をしてきたら、あたしなら殺意を抱くわね」


 俺は阿佐美から視線を移動させ、対戦相手である仁部を見つめた。

 仁部の手には前回の決闘で持っていたのと同じ参考書が握られている。参考書は前回見たものよりも分厚くなっているようだ。きっと敗者の“想い”が乗ったからだろう。


「ドラが鳴ったら決闘開始だから。負けるんじゃないわよ」


 俺が頷くと、阿佐美はぴょんとリングから下り、少し離れた位置に置かれた椅子に座った。

 あそこが具現者の定位置なのだろう。


 俺は天秤を地面に置くと、両手で剣を構えた。

 直後、大きな音で決闘開始のドラが鳴った。





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