「おつかれさま」
リングを下りた俺の首元に、阿佐美がタオルを掛けてくれた。そして上機嫌な様子で俺の背中を叩く。
背中を叩くのは阿佐美の癖なのだろうか。
「なかなか頑張ったんじゃない? 案外やるわね、あんた」
「それはどうも」
ふと自身の服を見ると、飛び散っていたはずの墨汁のあとが消えていた。
リングを下りると、ケガだけではなく“想い”の武器によって出来た汚れも消えるようだ。
「ただし。決闘前にお喋りをするのは仁部だけだから。次の決闘では最初から気を抜かないように」
褒めつつ忠告も入れてきたが、阿佐美の顔は相変わらず嬉しそうだ。
対して俺は、ぐったりと疲れていた。
身体を動かしたせいもあるが、それ以上に“想い”の武器を使って戦うことが、こんなにも体力を消耗させることだとは知らなかった。
これは連日の決闘を嫌がる闘技者が出てくることも頷ける。
「さあ。悪い輩に絡まれる前に、とっとと帰るわよ」
「悪い輩って?」
「負けた対戦相手が闘技場の外で報復してくる可能性があるのよ」
「仁部はそういうタイプじゃないと思うけど」
「いいから。今日はあたしが送ってあげるわ」
俺の意見を聞かず、阿佐美は俺の背中を押しながら闘技場を出た。
* * *
満天の星が輝く夜道を阿佐美と歩く。
小学生の頃にも見ていた星空のはずなのに、東京での生活に慣れてしまった俺には、この町の空がとても綺麗なものに見える。無数の星が散りばめられた星空は、まるで。
「金平糖を零したような星空だな」
「何? 糖分が欲しいの? 動いたからお腹が減ったのね」
ふと漏らした俺のロマンチックな呟きは、阿佐美のロマンの欠片も無い返答で流されてしまった。
「はい、ブドウ糖」
しかも阿佐美は、これまた情緒の無いものを渡してきた。
お菓子の見た目をしたブドウ糖ラムネならまだ可愛いが、阿佐美が取り出したのは、パッケージの全面に大きく「ブドウ糖」と書かれた代物だ。
「あ、ありがとう」
微妙な気持ちになりつつも、身体が糖分を欲していたことは確かなので、ブドウ糖を受け取る。
「糖分が欲しくなったらいつでも言って。それ、常に携帯しているから」
しかも阿佐美はこのブドウ糖を常備しているらしい。もっと美味しそうなお菓子を携帯すればいいのに。
だけどこの実用性に振り切ったブドウ糖は、阿佐美の持ち物らしい気もする。
「それにしても。家まで送ってあげるなんて、なんだかあたしの方が王子様みたいね」
「別にこんなことしなくてもいいのに」
「あたしがやりたいからやっているのよ。あんたが闘技場に来なくなったら困るもの」
「それは分かるけど……闘技者の俺が危険なら、具現者の阿佐美も危険なんじゃないのか?」
闘技者の俺が狙われるなら、俺の具現者の阿佐美だって同じことだ。
俺たちのどちらか一方が瀕死になったら、俺は闘技場で戦うことが出来ないのだから。
しかし俺の質問に、阿佐美はケラケラと笑った。
「あたしに手を出す馬鹿はいないわ。主催者の娘だもの。あたしに手を出したら二度と闘技者にはなれない……あー。この前いたわね、そんな馬鹿が」
阿佐美がいじめに遭っていると勘違いをした転校初日のことを言っているのだろう。
あの日彼らは力づくで阿佐美を脅して闘技者になろうとしていた。
あのあと彼らがどうなったのかは知らないが……知らない方が良い案件かもしれない。
「たまにああいう馬鹿がいるけれど、まあどうということもないわ。それにあたしは父の部下にいつでも車で送ってもらえるの。あんたを家まで送ったら、帰りは車で帰るわよ」
「じゃあ最初から車に乗ったら良くないか!?」
俺のこの意見に、阿佐美は星空を見上げながら答えた。
「こんな日は、星を眺めながら歩きたいじゃない」
星空を金平糖にたとえたら腹が減ったのかとブドウ糖を渡してきた人間が何を言っているのだろう。
「阿佐美は星空に情緒を感じる性格じゃないくせに」
「あら。あんたはあたしのことを知らないのね。あたしほど夢見がちな女の子もいないわよ」
「嘘吐け」
俺がツッコむと、阿佐美はまたケラケラと笑った。
「確かにそれだけが理由じゃないわ。初戦を終えたあんたが、あたしに何か言いたいことでもあるかと思ったの。父の部下の前では言えないような不平不満とか、ね」
「闘技者になることは俺自身が決めたんだから不平不満は無いけど……質問はある」
「何でもどうぞ。あたしに答えられることなら教えてあげる」
実のところ、俺は仁部の言葉がずっと引っ掛かっていた。
「仁部が言ってたんだ。闘技者がいるから阿佐美たちがいるんじゃなくて、阿佐美たちがいるから闘技者を集めて決闘をしてる、って」
俺の考えは逆だった。決闘を行なうために阿佐美たち具現者が存在するのだと思っていた。
しかし仁部によると、発端は阿佐美たち具現者の存在らしい。
「その通り。あたしたちが闘技者の“想い”を武器にすることが出来るから、決闘は行なわれているのよ。もしあたしたちの持つ能力が別のものだったら、闘技場は姿を変えていたでしょうね」
「阿佐美たちは具現者になったんじゃなくて、最初から具現者だったということか?」
これも俺の予想とは違った。
俺はてっきり一般人が闘技者になるように、阿佐美たちも何らかの儀式によって具現者になったのだと思っていた。
「闘技者には誰でもなれるけれど、“想い”を引き出して武器に変えることが出来るのは、あたしたち具現者だけ。なろうと思ってなれるものじゃないわ」
「阿佐美たちは何者なんだ?」
俺のこの質問に、阿佐美はすぐには答えなかった。代わりに俺の目を見つめて質問を返す。
「……あんたには、あたしが何に見える?」
何と言われても。色素が薄いから最初はアルビノなのかと思ったが、阿佐美の姉妹も同じような髪色だから、髪色は単なる遺伝なのだろう。
それ以外で気になることは、具現者であることだけだ。つまり不思議な力を持っていることだけ。それ以外は俺と何ら変わらない。
「ねえ。あんたは、あたしを何だと思う?」
「何って、超能力者?」
俺の答えを聞いた阿佐美は、目をぱちくりとさせた後、大きな声で笑い始めた。
「あはははっ! いいね。その答え、気に入った!」
そうして盛大に笑った後、阿佐美は急にトーンを落として呟いた。
「……ただの超能力者、ただの人間だと思ってくれてありがとう。でもあたしは自分のことを、キメラだと思っているの。闘技場のキメラ。それがあたし。あたしたち」