「……ただの男の子のくせに」
俺は、まだ雫の垂れる折り畳み傘を女の子に差し出した。
「これ、あげる」
「君はどうするの?」
「俺はバスに乗るから平気。バス停からは走って家に帰る。俺が帰る頃には雨が止んでるかもしれないし、降ってたとしても俺はよく雨の中で遊んでるから何でもないんだ」
女の子は折り畳み傘を受け取ると、俺と折り畳み傘を見比べた。
「でも、どうやって返せばいいの?」
「言っただろ、あげるって。俺はよく傘を失くしてるから、今さら一本や二本失くしたところで驚かれもしないんだ」
「雨が降ってるのに傘を失くすかな」
「バスの中に置き忘れたことにすればいい」
きっと疑われもしないはずだ。
俺はこれまでにバスの中に私物を置き忘れた前科があるから。またか、と言われて、少し叱られて、それでおしまい。
「……ありがとう」
俺に礼を言いながら、女の子は折り畳み傘をぎゅっと握った。
そんな風に持ったら水滴が服に付くと思ったが、女の子の服はすでにびしょびしょで、今さら何も変わらなかった。
俺は自分が剣道帰りだったことを思い出してリュックサックを漁った。もっと早く思い出せばよかった。
「おまけでタオルもあげる。これ、予備で持ってたやつで使ってないから安心して。雨でちょっと濡れちゃってるけど」
「こんなにいろいろもらって良いの? 親に怒られない?」
「じゃあ雨に濡れてる野良猫にあげたって言おうかな。うちの親は猫が好きだから、猫にあげたって言ったら怒られないはず」
俺の言葉を聞いた女の子は、くすくすと笑い始めた。
「雨に濡れた野良猫って言われたのは初めて」
「あっ!? いや、そういう意味じゃなくて! 君のことを、雨に濡れた野良猫って言ったわけじゃ……なんか今の、すっごく恥ずかしい台詞に思えてきた」
「恥ずかしくなんかないよ。ありがとう。泥棒猫って呼ばれて猫が嫌いになりかけてたけど、急に大好きになったよ」
気が抜けたのか、女の子の笑みは笑いをこらえるようなものから、ふわっと穏やかなものへと変わった。
控えめに言って、ものすごく可愛い。
「またいじめられたら『私が可愛いからって僻むなよ、性格ブス!』って言ってやるといいよ」
「なにそれ。私、可愛いなんて言われたことないよ」
「見る目のあるやつは分かってるよ。だって君に惚れてる男の子がいるんだろ?」
「その子だけだよ。私、あんまりスカートを履かないし髪も短くて、みんなには女の子っぽくないって言われてる」
確かに俺も最初はショートカットに半ズボンで男の子と女の子のどっちだろうと思ったが、喋ったことで最初の印象は消えてしまった。今ではもう可愛い女の子としか思えない。
「今も可愛いけど、きっと君はすぐに美人になるよ。俺が保証する」
俺がそう言うと、女の子は顔を真っ赤にしてしまった。
そんな反応をされては、こっちまで恥ずかしくなってくる。
「君って、そういうことを誰にでも言ってるの?」
「誰にでもは言わない。美人になりそうな子にだけ」
「……君、将来ヒーローじゃなくて、女たらしになりそう」
「女たらしって何!? 俺、女たらしじゃなくてヒーローになりたいんだけど!?」
女の子はまたくすくすと笑いながら「じゃあ間をとって、女たらしのヒーローってことにしてあげるね」と謎の譲歩をした。
二人で他愛ない会話をしているうちに、バス停にバスがやってきた。
名残惜しい気持ちを抑え込んで、俺は女の子に手を振りつつバスに乗り込んだ。
「気を付けて帰りなよ。あと風邪引くなよ」
「ねえ、君の名前は?」
「正義のヒーローは名乗らずに去って行くものだ!」
俺の言葉を聞いた女の子は吹き出した。
その反応を合図にドアが閉まり、バスが発車した。
バスの窓からバス停を覗くと、タオルを首にかけて片手で折り畳み傘を持ちつつ、反対の手を大きく振っている女の子の姿が見えた。
俺もバスの中から女の子に手を振って、別れた。