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最終話

 ――数日後、ギルドの扉が開いた。


 クレアが顔を上げると、そこにいたのはリクたち三人だった。


 仲間と肩を並べ、汚れも浅く、目の奥には静かな自信が宿っている。


 深追いせず、無理もせず、けれど確かに何かを達成した者の眼差し。


 他の冒険者たちがちらりと視線を向け、誰かが小さく拍手をした。すぐに笑いに紛れて消えたその音が、なぜかクレアの胸に長く残った。


(……ちゃんと、帰ってきたのね)


 あの出発の朝の背中と、今の姿を重ねる。


 その違いは、数字や結果では語れない。だが、確かに“旅の重み”がそこにあった。


 そう思いながらも、クレアは声をかけなかった。今はまだ、“冒険者としての報告”を待つ時間。


 感情は、しまっておく。



 ◆



 「任務達成報告、お願いします」


 カウンター越しにそう告げると、リクが一歩前に出る。


 彼の声は落ち着いていて、まるで別人のようだった。顔色に疲れは見えたが、そこには揺るがない芯があった。


「調査区域の確認完了。危険個体との遭遇なし。全員無事に帰還しました。報告書も完備。こちらです」


 クレアは目を通し、頷いた。


「よくやったわ。報酬は明日には振り込まれる。お疲れさま」


 必要最低限の言葉。けれど、それで十分だった。


 それ以上の言葉は、きっと彼ら自身が一番よくわかっている。


 リクは礼を述べ、仲間たちとともに控えめに去っていった。


 彼の背中に、最初の頃にあった“空回りの気負い”はもうない。


 クレアはその背を見送りながら、小さく息をついた。


「……戻ってこられるって、当たり前じゃないのよ」


 口にしたその一言は、誰に向けたものでもなく、ただ彼女自身への確認だった。


 けれど今この瞬間、扉が開き、誰かが“帰ってきた”事実だけで、胸の奥がふと温かくなるのを感じた。



 ◆



 夜、ギルドのホールが静まり返ったころ。クレアは一人、依頼票の整理をしていた。


 分類済みの束を棚に収め、未達成依頼を確認し、補給記録をメモに残す。


 その動作はいつも通り――けれど、ほんのわずか、動きが柔らかくなっていた。


 誰もいない静かな時間が、彼女には心地よかった。


 昼間の喧騒と緊張が嘘のように、夜のギルドは息を潜める。


 手を止めたクレアは、カウンターの奥の壁に貼られた名札へ目を向ける。“帰らなかった者たち”の名が、静かに並ぶ板。


 その中にある、三つの名前を見つめる。


 ザイラス、ミラ、ユアン――。


(あなたたちの分まで、見送ってるわよ)


 声には出さない祈りが、そこに溶け込んでいった。


 あのとき止められなかった命の重みを、今も自分の背で抱えながら、彼女は受付に立っている。


 ――そのとき、ギルドの扉がふたたび開いた。


 もう誰も来ないと思っていた時間。


 静かに振り返ると、そこにリクがいた。


 どこか照れたような顔で、けれど真っ直ぐにクレアを見て言った。


「……ただいま」


 ぽつりと落ちたその言葉が、静まり返ったギルドに響く。


 クレアはしばし黙って、彼の顔を見つめ、そして小さく笑う。


「おかえりなさい」


 それは、受付嬢としてではなく――、一人の“見送る者”としての言葉だった。


 あのとき「行ってらっしゃい」と送り出した相手が、こうして戻ってきた。それだけで、胸がいっぱいになった。


 クレアは椅子に腰を下ろし、一枚の依頼票に目を通した。そこには、明日の冒険の始まりが書かれている。


 誰かが旅立ち、また誰かが帰ってくる。その営みの中で、彼女は今日も、ここにいる。




 ――受付嬢っていうのはね、冒険の始まりに“また帰っておいで”って言う仕事なのよ。






 クレアはそっと灯を落とし、静かに笑った。

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