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10.夕方は予定をあけておくように!③

「……あ、荒木あらき羽理うり……さ、ん。お察しの通り、俺は……キミのことが好きだ……。だから、その……お、俺と……」


 ――付き合って欲しい!


 そう言えば済むだけの話だ。


 だが、テンパる余り、大葉たいようはしどろもどろ――。


「きょ、今日の仕事後、一緒に買い物へ行かないか?」

 と、何ともしまらないお誘いをしてしまった。


「えっ?」


「だっ、だからっ。その、ほらっ! け、化粧品とかっ。うちに置いとくやつ、いるだろ? だから……い、一緒にドラッグストアへ行こう! な!? そんなわけだから……ゆ、夕方は予定をあけておくように! いいな? ――お、俺からの伝達事項は以上だ!」


 一気にまくし立てた挙句、まるで上司からの業務命令のように締めくくったら、羽理が条件反射のように「か、かしこまりました」と答えてくれて。


 そのことにホッと胸を撫で下ろした大葉たいようはそっと羽理から手を放すと、ベンチ下に転がったままの若松菱わかまつびし模様の小風呂敷と、ベンチの上に置き去りになっていたコンビニのビニール袋入りの自分の弁当箱を手に取った。


「あ、あの、部長……」


 そんな大葉たいように羽理が背後から消え入りそうな声を投げ掛けてくるから。


「だ、ダメだぞ!」


(今更やめましたとかなしだからな!?)


 心の中でそう付け加えつつ牽制けんせいしたら、「でもっ、それ……ちゃんと洗って返しなさいって……さっき仁子じんこが」と、小さい方の弁当箱を指さしてくる。


「あ、ああ……」


 そのことにホッとして羽理に風呂敷包みを差し出した途端、お互いの指先がちょっぴり触れてしまって。


「きゃっ!」

「わっ!」


 そんな風に思わず二人して過剰反応してしまったことが可笑しくなって、顔を見合わせて笑い合う。



 ひとしきり笑った後で、息を整えるみたいに深呼吸をした大葉たいようが、何の気なしに見上げた空はいつになく清々すがすがしい青空で。

 空気も心なしか甘く感じられた――。



***



 羽理うりとの公園ランチを終えて帰社した屋久蓑やくみの大葉たいようは、午後から作業着に着替えて社用車の軽トラに乗り込むと、車で一時間半ばかりの距離にある取引先農家へ、地元の夏祭りに開催予定のイベントの打ち合わせにおもむいた。


 土恵つちけい商事は、青果専門にあきなう商社だが、別に出来上がった農作物を全国各地へ流通させるのだけが業務内容の全てではない。

 それこそ作る所から農作物のあれこれにたずさわることも少なくないし、提携先の農家も全国各地に散らばっているため、大葉たいようたちが働く本社以外にも支店が各地域に点在している。


 そんな感じなので、扱う農作物の種類も多岐たきに渡っているのだけれど。


 大葉たいようの取りまとめる部署――総務部は、開発部農作物開発課のように直接畑に出てどうこうということは余りない。

 だが、イベントの企画などの音頭おんどは総務部企画課の担当だから、現地へ赴くことが全くないわけではなかった。


 今回みたいにイベントの話し合いのため農家をおとなえば、部長とか平社員とか関係なく……それこそ何となくの流れで農作業を手伝いながら話をする、なんてことも少なくない。


 特に沢山の夏野菜が収穫期を迎えるこの時期は、どこも人手が足りていないから作業を手伝いながらの話し合いというのはざらだ。



 そんな身体を使いまくった出張の帰り道、折悪しく事故渋滞にはまって思いのほか帰りが遅くなってしまった大葉たいようだ。


(くそ! 何で畑ってやつは町中にねぇんだよ!)


 ……だなんて、そりゃぁ土地を広く取れるのが田舎だからですよ!?とすぐさま農家様から冷ややかな目で見られそうなことを思いつつ。


 普段なら少々残業になってもお構いなしの大葉たいようが、今日に限ってこんな風にソワソワしているのは他でもない。

 就業時間後に、やっと想いを打ち明けた相手――荒木あらき羽理うりと、買い物デートの約束をしているからだ。


(ヤバイ。定時を過ぎてるじゃねぇかっ!)


 ――荒木あらきが待ちくたびれて帰っちまったらどうしてくれるんだ!だなんて、頭の中でプンスカしている大葉たいようだったけれど、きっと羽理がそれを聞いたら『いやいやいや! 五分やそこらで帰っちゃうとか……私、部長の中でどんだけ短気ななんですか!』と抗議していた事だろう。


 暑い最中さなか、成り行きでトマトの出荷作業を手伝ってしまった大葉たいようは、全身に汗をかいていた。おまけに、何なら手指にはトマトの葉茎からする独特な青臭い臭気まで沁みついてしまっている。


(こんなことなら今日はアクアポニックスの視察にすべきだったな!)


 ちょっと前から土恵つちけい商事が新規事業として参入したアクアポニックスは、「水産養殖Aquaculture」と「水耕栽培Hydroponics」を合わせた造語で、魚の飼育と植物の水耕栽培を同時に行うシステムのことだ。


 それこそ開発部の領分だが、大葉たいようの所属する総務部だって社内で何の事業が進行中なのかくらい知っておくことは必要だ。


 開発部長の話によると、提携先の第一プラント内ではエビの養殖とワサビの水耕栽培が進行中らしい。


 きっとそちらへ行けば、こんなに汗だくになることもなかったはずだ。


(ま、現実逃避だがな)


 実際問題、時間的ゆとりがないのは今日出向いた先とコラボ予定のイベントの方だ。


 アクアポニックス視察は、急いで行かなくても別に問題はないので、夢想するだけ無駄なのは大葉たいようにも分かっていた。



***



 土恵つちけい商事はその会社の特性から、ビル内にシャワールームを完備している。


 社員らは皆、大抵作業して帰った後はシャワーで汚れを落として着替えることにしている者が多い。

 大葉たいようももちろんそうだ。


 羽理うりの前でくさいのは有り得ないと思うのと同時に、だがこれ以上遅くなるのは良くないんじゃないか?という思いが交錯して。


『迷ってるくらいなら、ちょっと遅くなるってメールしたらいいじゃないですか。時間がもったいないですよ?』


 脳内でミニ羽理がそうささやいてくるのだけれど、いざスマートフォンを持ち上げて羽理の連絡先を呼び出したら、妙に緊張して手指が震えてしまう大葉たいようだ。


(お、俺はいつからこんなヘタレになったんだ!)


 そう自問自答したら、すぐさま『ずっとですよ?』とミニ羽理が律儀に答えてくれる。


(いや、そういうの、要らねぇから!)


 と脳内で色々ミニ羽理に言い訳をしていたら、手に持ったままのスマートフォンがブブッと震えて驚いてしまう。

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