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10.夕方は予定をあけておくように!④

 通知に誘われてメッセージアプリを開いてみれば、送信者には〝猫娘〟と表示されていて、『屋久蓑やくみの部長、まだ出張先ですよね? 夕方の待ち合わせ、どうしましょう? 後日にしますか?』と書かれていた。


(あ。登録者名……)


 さすがに恋人になったのにこのままではよろしくないと思った大葉たいようだったけれど、まさか自分が羽理うりの携帯の中で、未だ〝裸男〟のままになっているとは思ってもいないだろう。


 そうして、もちろん、今最優先すべきはそこじゃない。



***



 屋久蓑やくみの大葉たいようこと〝裸男〟からメールの返信があって、羽理うりは画面を眺めて(部長、そんなに慌てるくらいならお電話をっ)と思った。


 というのも、大葉たいようから『今、シャワールーム前。サッと汗を流していくから悪いけどのなかで待っていてくれ』と不可解なメールが送られてきたからだ。


(打った文章を読み返すのも無理でしたかっ!?)


 メールを読んですぐは(骨片って何だろう?)と頭を悩ませた羽理だったけれど、それが自分の愛車のことかも知れないと思い至ってからすぐ、コッペンちゃんが恐竜の骨格標本みたいに骨になったところを想像してしまった。


 カタカナにすべきコッペンが、誤変換で〝骨片〟になっているのが何ともシュールではないか。


 まさかシャワーを浴びながら打ったわけではないと思うけれど、慌てた様子で画面をタップしている大葉たいようの姿が思い浮かんでくるようで、羽理は思わずクスッと笑ってしまう。


 ずっと、小難しい顔をして取っつきにくいと思っていた屋久蓑やくみの大葉たいようは、話してみれば案外可愛いところのある人だった。


 それに――。


 髪を下ろしていると幼く見えるから、いつもよりガードが甘くなる気がして。


 初っ端の出会いが風呂上りだったこともあって、羽理の中では、大葉たいように対して持っていたはずの〝近づきがたい上司〟という壁がいつの間にか取っ払われてしまっていた。


 そう言えば、今日、大葉たいようは髪の毛を下ろしていたことで、他の女子社員たちからも変な注目を集めていた気がする。


 ランチに行った際、彼の数歩後ろを歩きながら感じた違和感に、(屋久蓑やくみの部長の癖に何か生意気です!)とか理不尽なことを思って。


「なぁに、羽理。百面相の練習?」


 すかさずすぐ隣、帰り支度じたくを始めた法忍ほうにん仁子じんこから突っ込まれてしまう。


 羽理は「そ、そういうわけではっ」と誤魔化したのだけれど。


 いつもならもっと突っ込んでくるはずの仁子が、今日はやけにアッサリと引き下がって、「……じゃ、羽理。申し訳ないけど私、今日は大事な用事があるから先に帰るわね? アンタもさっさと帰りなさいよ!?」とか言うから。


 羽理はホッとしつつ、ひらひらと手を振って仁子が帰っていくのを「お疲れさま」と見送った。


 さて、自分も荷物をまとめて帰ろうと、羽理が鞄を手にしたと同時。


「ねぇ荒木あらきさん。今日のお昼、キミにだけご飯おごり損ねたじゃない? ……もしよかったら、夕飯でも一緒にどうかな? ほら、女性社員二人に差があるのは僕の中で何だかいけないことに思えちゃってさ……」


 財務経理課長の倍相ばいしょう岳斗がくとが近付いてきて、何とも魅力的な誘惑をしてくる。


「……お誘い凄く嬉しいんですけど、今日はこの後予定があるんです。すみません」


「もしかして……デート?」


 ほわんと聞かれた羽理はその春風のような雰囲気に流されて、「実は屋久蓑やくみの部長とお買い物に行く約束をしてまして」と素直に答えそうになってから、ハッとして「えっと……………、お、お友達とお買い物の約束をっ」と答えた。


 さすがに上司と二人きりで化粧品を買いに行くだなんて、会社の人にバレるのは良くないだろう。



***



(あれ? 何だろ、今の間……)


 荒木あらき羽理うりがこの課に配属されてきてからずっと。

 人畜無害な上司をながら、虎視眈々こしたんたんと羽理との距離を少しずつ詰めてきた倍相ばいしょう岳斗がくとは、どこか歯切れの悪い部下の物言いに違和感を覚える。


 思わず『お友達って、男の人?』と問い掛けそうになって……そもそもデートか否かと探りを入れてしまったこと自体やり過ぎだったし、これ以上突っ込んで聞くのはパワハラやセクハラだと警戒されかねないとグッとこらえた。


 折角いつも羽理にべったりくっ付いて離れない法忍ほうにん仁子じんこを、昼間一緒にランチへ行った際、「コレ、今日までなんだけどもしよかったら。あ、けど実は一枚しかないんだ。……荒木あらきさんには内緒にして?」とにっこり微笑んでそそのかして、ケーキバイキングの無料チケットを渡して引き離しに成功したと言うのに。


 まさか昼だけでなく、夕方にまで羽理からフラれるとは思ってもみなかった。


 今までの羽理ならば、長い期間かけてつちかってきた春風のようなの効果で、警戒心なくついて来ていたというのに。


(何かおかしい……)


 ずっと羽理を……というより羽理だけを見てきた岳斗には分かる。


 羽理の中で何かが変わり始めているのが。


(これは今までのやり方じゃ、マズイかも知れない)


 何せ荒木あらき羽理うりという女性は、少々のアプローチでは本意を汲んでくれない鈍い女性だから。


 そのお陰で他の男たちからの好意にも全く気付かなかったから、――裏工作はともかくとして――のほほんと構えていられたのだけれど。


 倍相ばいしょう岳斗がくとはほわんとした笑顔で羽理と話しながら、そろそろ本気を出すべきかも知れない、と思った。

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