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13.お医者様でも草津の湯でも①

 購入した食材を冷蔵庫へ入れに帰りたい、と大葉たいようから言われた羽理うりは、愛車コッペンごと会社近くの屋久蓑やくみの大葉たいようのマンションへ移動した。


 アスマモル薬局ドラッグストアからここまでの道のり、大葉たいようが運転したのには大した理由はない……と、思う。

 ただ単に駐車場までの道すがら、「羽理、ここから俺の家まで迷わず行けそうか?」と大葉たいようから聞かれて、羽理が言葉に詰まった結果なのだから。


 だが、実は今まで何だかんだと愛車のハンドルを他人様ひとさまに譲ったことのなかった羽理だ。

 何なら方向音痴の自分のためにこそナビを付けているわけで……羽理がいくらダメダメでもナビに行き先さえ設定すれば問題ない。


 ビタミンカラーが可愛い愛車コッペンちゃんのことを羽理は物凄く気に入っていたし、人に運転席を譲るなんて考えられなかったはずだ。


 なのに、大葉たいようがそうすると言ったとき、何故かそんなに抵抗がなくて。

 案外すんなりハンドルを明け渡してしまえた自分に、羽理自身とても戸惑っていたりする。


(多分、屋久蓑やくみの部長の圧が高かったからですかね!?)


 羽理自身その事象をうまく説明できなかったから、仕方なくそう結論付けたのだけれど。

 恐らくはどんなに相手の圧が強くても、本当に嫌なら自分が絶対にへこたれるタイプではないはずだと言うことに、羽理は薄っすら気付いていて気付かないふりをした。


 考えても分からないことはスルーするに限る。

 羽理は今までだって――仕事ではともかくとして――プライベートではそうしてきたのだ。


 今回だってそうしようと思っただけのことだった。



***



「お前の着替えも今日着ちまって替えがねぇし、化粧品買いそろえたらついでにお前の部屋へ寄って着替え、調達し直すだろ?」


 そそくさと冷蔵庫へモノを詰め込みながら羽理うりの方を振り返ってきた大葉たいように、物思いにふけっていた羽理は、「あっ。はい、それもそうですね」と半ば条件反射で答えてしまった。


(……ん? ちょっと待って? ひょっとして私、自宅へ戻った後、もう一度ここへ来る算段になってますかね?)


 答えた後でそう思い至った羽理だったけれど……大葉たいようが晩ご飯を作ってくれると言っていたのを思い出して、それを食べて帰れと言うことかな?とぼんやり思い直した。


「あー、そうだ。今朝のお前の失敗を踏まえて、お互いに仕事へ着て行けそうな服と、ラフな部屋着の両方を置くようにしとこうか」


 言って、大葉たいようが持ってきたのはクリーニング済みと思われる、ビニールに包まれたワイシャツとスーツで。

「これ、一式お前ん用な? ちょっと持っててくれるか?」

 とか当然のように言ってくるから、思わず受け取りつつも、羽理は(どこに保管すればいいですかね!?)と思わずにはいられない。


 どうやら大葉たいよう、今現在羽理宅にはラフな部屋着を置いているらしい。

 以前大葉たいようから渡された着替え一式が入っているとおぼしき袋は、中身なんて確認せずに押し入れに突っ込んでいるから。今回スーツを差し出してきた大葉たいようを見てそう思うと同時、こんなちゃんとした服、置き場に困ります!と思ってしまった。


 何せ、大葉たいようのマンションと違って羽理の部屋はワンルームしかないのだ。


(自分の服と一緒に、このお高そうな部長のスーツを並べ置く?)


 小さなクローゼットの中で寄り添う、お気に入りのワンピースと大葉たいようの高級気なスーツ、という構図を思い浮かべた羽理は、ブワリと頬が熱くなるのを感じた。


(何か同棲してるみカップルみたいで恥ずかしいではないですかっ)


 羽理が夏乃なつのトマト名義で書いているラブコメ作品『あ〜ん、課長っ♥ こんなところでそんなっ♥』にだって、そんなシーンは出てこないのに。


 というか……よく考えてみたら自分には恋のときめき的なものがイマイチよく分からないことに、今更のように気が付いた羽理だ。


 以前、一見いちげんさんとおぼしき読者様からエッチシーンにリアリティがないだの、恋愛感情がイマイチ伝わりにくいだの感想を書かれたことがあるけれど、それもそのはず。


 羽理の恋愛小説はみんな何かで読んだり見たり聞いたりしたものの受け売りなのだから。


 実体験に乏しい妄想小説である以上、リアリティなんて出せるわけがない。


 でも――。


 そこでちらりと愛犬キュウリを、目を細めて撫でさする屋久蓑やくみの大葉たいようを見遣ると、羽理はどこか落ち着かない気持ちをなだめた。


「あ、あのっ、屋久蓑やくみの部長」


「……大葉たいよう、な?」


 呼び掛けると同時、足元のキュウリを撫でていた大葉たいようが、ふと手を止めて鋭い眼光でこちらを睨み上げてくるから。

 その視線と自分のものがかち合った途端、羽理はまたしても心臓がトクン!と跳ねて、「うっ」と胸を押さえた。


(もぉ、怖いお顔するからまた心臓が痛くなっちゃったじゃないですかっ。不整脈で倒れたら治療費は部長に請求しちゃいますからね!?)


 胸元をギュッとしながら大葉たいようを睨んだら、そんな大葉たいよう越し。キュウリから純真無垢じゅんしんむくな曇りなきつぶらなまなこでじっと見上げられて……。

 何だか自分が彼女の飼い主様に対して良からぬ気持ちを抱いているような気になって、ソワソワと落ち着かなくなった羽理だ。


(だっ、大丈夫だよ? キュウリちゃん。私、貴方の飼い主さんに害をなす気は微塵もないからっ)


 そんな言い訳をしつつも心の中――。

(けど……今日の私、胸が痛くなり過ぎじゃない? 一度心電図をとり直して頂いた方がいいよね? もちろん原因は屋久蓑やくみの部長っぽいし、で!)

 なんて具合に、羽理は病院行きを決意した。


 その上で、羽理は先程の続きの言葉を言わずにはいられない。


「あ、あの、それだと何だかお泊り前提みたいになってると思うんですけど……」


「ん? もちろんそのつもりだが?」


 キョトンとした顔をした大葉たいようから「そもそも入浴後に片道二〇分の距離を、相手を送迎するためだけに費やすなんて馬鹿くさいだろ?」と、さも当たり前みたいに付け加えられて。


 そ、それは確かにその通りなんですがっ!と思いつつも反論したくてたまらない羽理うりだ。


大葉たいようのお家は広いからいいですよ? でもうちは……ご存知と思いますけどめっちゃ狭いワンルームなんです! お部屋がひとつしかありません! 二人でお泊りしたら……その……あの……」


 別室へ……が出来ないから、一緒の部屋に寝るしかなくなるではないですか。


(それは困りますっ!)


 そう思って。



「ひょっとして大葉たいようは恋愛経験めっちゃ豊富な人ですか? 抱いた女性の数も、両手両足の指じゃ足りないくらいなんじゃないですかっ!?」


「は? 何だいきなりっ」


 キュウリを構うのをやめて慌てたように立ち上った大葉たいように、斜め上から困ったようにじっと見下ろされて。

 羽理は無意識に先程手渡されたばかりのスーツを抱く腕にギュウッと力を込めた。


(だってもしそうだとしたら……すっごくすっごくではないですかっ!)


 プレイボーイに手玉に取られるのはしゃくさわるから……。

 すぐさまそのモヤモヤの正体を、そう結論付けた羽理だ。


 大葉たいようが知ったら『誰がプレイボーイだ、バカ者め! 自慢じゃないが、俺はめちゃくちゃ奥手だぞ!?』と要らぬ告白をしかねないことを思っているのだが、残念ながらに入っている羽理は気付けない。


屋久蓑やくみの部長だって所詮は男の人だもん! 隙を見せたら絶対危険っ)


 大葉たいようが、散々最高の据え膳たる裸の羽理うりを前に、理性を総動員して手を出してこなかったことを頭の片隅に追いやって、羽理はそんな失礼なことまで思ってしまう。


 それに実際、隙ならば倍相ばいしょう岳斗がくとたちとの飲み会で酔っ払った時、これでもか!というくらい見せ付けてしまっていることも、都合よく忘却の彼方かなただ。



 とにかく羽理にとって性行為は妊娠と隣り合わせの行動で……結婚する気もないのにしちゃうのには、どうしても抵抗がある。


 それで過去、唯一付き合ったことのある彼氏に見切りをつけられたのを踏まえ、就職したのを機に心を入れ替えたつもりだった。

 相手もある程度稼ぎのある男性ならばきっと何とかなるはずだし、もう少しゆるっと行こう……と。


 でも、もし羽理が相手に妊娠をしてしまったとして、堕胎を迫られたら?

 それは嫌だと突っぱねるのは大前提として、では自分が実母のように一人で子供を育てていけるのか?と考えたら、泣きたいくらい胸がキューッと苦しくなった。

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