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13.お医者様でも草津の湯でも②

 自分が幼いころ、父親のいるに強い憧れを抱いていたことを忘れられない羽理うりは、やっぱり自分と同じ思いを我が子にはさせたくないとこいねがってしまうから。


 いざ大葉たいようと同室で寝なきゃいけないかも?と思ったら、そんな考えなくてもいいアレコレが押し寄せて来て、にわかに怖くなったのだ。


屋久蓑やくみの部長からは好意を持っているようなことは言われたけど……結婚しようってプロポーズされたわけじゃないもんっ)


 そんなことを思いながらも、大葉たいようを突っぱね切れない自分の心の矛盾と葛藤かっとうしまくりの羽理は、無意識に胸にかかえた大葉たいようのスーツをギュウギュウ抱きしめまくって。

 見かねた大葉たいようから、「こらっ。シワになる!」という言葉とともに奪い取られてしまう。


「ひゃっ!」


 その瞬間、期せずして大葉たいようの指先が腕に触れてしまったからたまらない。


 またしても心臓が大きく飛び跳ねてしまった羽理は、とうとう話の流れ度外視で「わ、私っ、心臓の病気かも知れません!」と訴えていた。



***



 突然羽理うりから病気かも知れない宣言をされた大葉たいようは、取り戻したばかりのスーツを思わず落とすと、羽理の両肩をグッと掴んだ。


 二人の足元でことの成り行きを見守っていたキュウリが、突然降ってきた大葉たいようの服に驚いてビクッと身体を震わせて足を滑らせたのだが、大葉たいようはそれにも頓着とんちゃく出来なくて。

 いつもならば大切な愛犬が自分の不手際ふてぎわでそんなことになったとあれば、謝罪とともに慌ててキュウリをねぎらうはずなのに、今日はそんなことも気遣えないみたいに羽理しか見えていなかった。


「羽理っ、お前心臓の病気かもって……。何か自覚症状が出てるのかっ!?」


 両手で掴んだ羽理の肩が余りにも華奢きゃしゃなことが、大葉たいようの不安を更に掻き立てる。


「――ああああ、あのっ、お、お願いですから手っ、放してくださいぃぃぃ。ぶちょ、からそんなことされたら……私、ますます心臓がバクバクして死んでしまいます……」


 ギュウッと胸の辺りを押さえて、羽理が眉根を寄せて大葉たいようを見上げてくるから。


 大葉たいようは慌てて羽理から手を放した。


「すまん! 俺、お前が心配で思わずっ! ……羽理、大丈夫か!?」


 羽理の手の下で押しつぶされた彼女の胸の膨らみを見て、大葉たいようはソワソワと落ち着かない。


 相手が女性じゃなかったら。すぐさま自分もそこへ耳を押し当てて、彼女の心臓の様子をうかがうことだって出来るのに!


 羽理に何かあるかも知れないと思うと、心配する余り大葉たいようの鼓動も妙に乱れて息苦しさを覚えてしまう。


 それで無意識――。

 羽理と同様胸に手を当てて深呼吸をしつつ心を落ち着けようとしたら、羽理に心配そうな顔で見上げられた。


「……もしかして……大葉た、いよぉも……心臓しんぞ……、痛い、の……?」


 自身の胸の膨らみを掴んだまま。

 羽理のもう一方の小さな手が、ワイシャツの胸元を押さえた大葉たいようの手にそっと触れてくるから。


 大葉たいようの動悸は、さらに急加速してしまう。


「お、俺のは……単なる生理現象だ。……お、お前がその手を放してくれたら治る……!」


 言って、その言葉に何となく既視感を覚えた大葉たいようだ。


(ちょっと待て。異性に触れられるのが引き金で起こる心臓のバクバクって……)



「なぁ羽理。もしかしてお前の心臓……」


 自分の胸から手を放した大葉たいようは、目の前で自分をじっと見上げてくる羽理を、ギュッと腕の中に抱き締めて閉じ込めた。


「や、ちょっ、ダメっ……! そんなのされたら……私、私……!」


 羽理が身体を固くして身じろぐのを、彼女の後頭部をグッと押さえるようにして自分の胸に押し当てて。


「もしかして……お前の、俺のと一緒じゃないのか?」


 大葉たいようは、そうだったらいいなと思って問いかけていた。



***



 いきなり大葉たいように抱き締められて、「お前のそれ、俺のこれと一緒じゃないのか?」とわけの分からない質問を投げ掛けられた羽理うりは、大葉たいよう早鐘はやがねのように打ち付ける心臓辺りの服を更にギュゥッと強く握りしめた。


 それだけでも一杯一杯なのに、大葉たいようの胸元に押し付けられた耳で、無理矢理彼の鼓動を聴かされて――。


 トクトクと小動物さながらの早いビートを刻む大葉たいようの心音を聴きながら、涙目で訴えた。


大葉たいようの鼓動も野ネズミ並みにめっちゃ早い気がしますけどっ、……私っ、お医者様じゃないので音を聴かされても自分のと大葉たいようのがかどうかなんて判断つきませんっ!」


 羽理としては真剣に異議申し立てをしたというのに。

 その言葉を聞いた大葉たいようが、「野ネズミの心音は分かる癖に俺が言ってる言葉の意味が分からないとか……お前本気でバカなのか!?」とか言ってくるから……。

 羽理は頭に載せられた大葉たいようの手からサッと逃れると、間近で彼を見上げてキッと睨み付けた。


「バカとかっ! ……いくら何でも失礼ですっ!」


「俺のことをちっこいネズミに例えるお前の方がよっぽど失礼だ!」


 ムスッとした様子の大葉たいように睨み返された途端、またしても心臓がズキンッと痛んで。


「はぅっ」

 慌てて胸を押さえながらも、羽理は(暴言を吐かれてもハンサムに見えちゃうとか! 部長、ずるくないですか!?)と心の中で懸命に反論する。


「もう一度だけ聞いてやる。――お前が苦しくなるのはどういう状況の時だ!?」


 そんな羽理うりに、大葉たいようが畳み掛けるように問い掛けてくるから、羽理は半ば怒鳴るように「あ、貴方が不用意に私に触れてきた時です!」と答えていた。


「なぁ、羽理。そこまで分かってるくせにその先が分かんねぇとか……。お前本気で言ってるのか?」


 羽理の返答を聞くなり、はぁーと溜め息混じりにトーンダウンしたバリトンボイスが降って来て……。

 頭をかすめた大葉たいようの吐息に、羽理の心臓はバクバクしっぱなしで、今にも止まってしまいそうに思えた。


「あのっ、申し訳ない、の、ですが……今すぐ救急車を呼んでください……。お願いします……」


 張り裂けそうな胸を押さえながら懸命に訴えたというのに。


「残念だったな、羽理。お前のそれはお医者様でも草津の湯でも治らんやつだ」

 などと、屋久蓑やくみの大葉たいようが、死神さながらに非情な宣告をしてくるのはどういう事だろう?


 羽理は大葉たいようの言葉に瞳を見開いて言葉を失って――。


 心の中、(私、不治の病にかかってしまったみたいです、お母さんっ。先立つ不幸をお許し下さいっ)と、遠方に住む母親を思って我が身をなげいた。



 なのに――。


 大葉たいようは自身も同じ症状だと言ったくせに、やけに続けるのだ。


「だがな、羽理。医者でも名湯でも治せねぇお前のそれも俺のこれも……。二人で一緒にいれば、相乗効果で自然と治る」


(そんな共鳴反応を起こすような心臓病なんて聞いたことありません! 訳が分からなさ過ぎるんですけどっ)


 そう思いつつも、またバカ呼ばわりされるのは嫌なので、羽理なりに一生懸命考えて答えをひねり出した。


「……つまりは……ショック療法しかないってことですか?」


 痛みの原因とともに過ごす事がお互いのためになるだなんて……そうとしか思えない。


 それで心臓が止まってしまったら元も子もない気がするのだけれど……。


「ああ、それしか方法がねぇからな」


 と、いとも簡単に断言されてしまっては、うなずくしかないではないか。


「ってわけで、俺と一緒に過ごすだろ?」


 どこかな声音で言われて、羽理はしぶしぶ首肯しゅこうしたのだけれど。


(――そういえば部長、私のこと好きだって酔狂なこと、言ってくださってましたもんね。こんな状況でも、〝好き〟と言う気持ちだけであんなにも幸せそうなお顔が出来るんだ)


 そう思ったら、少しだけそんな大葉たいようのことが羨ましくてたまらない羽理だった。

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