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15.腹黒課長の猛攻③

 さすがに公開しているサイトが「皆星みなほし」なことや、ペンネームが夏乃なつのトマトであること、それから問題の作品タイトルが『あーん、課長っ♥ こんなところでそんなっ♥』なんて破廉恥はれんちなものだということまでは教えていない。

 でも……もし倍相ばいしょう岳斗がくとをモデルに小説を書いていることを課長本人にポロリとバラされて……岳斗自身から「そういうのは気持ち悪いからやめて欲しいな?」とか言われてしまったら、羽理うりは作品を引き下げるしかなくなってしまう。

 折角少しずつ読者が増えてきた作品を途中で非公開にしてしまうのは忍びないし、それに――。


(尊敬する上司から軽蔑けいべつされるのだけは何としても避けたいっ!)


 そもそも、そんなことになったら仕事がしづらくなってしまうではないか。


 羽理は仁子の耳元にスッと唇を寄せて『お願い、仁子っ。小説のことは話さないでっ?』と小声で耳打ちをした。


 仁子がコクコクとうなずいてくれたのを確認して恐る恐る手を離すと、仁子がぷはぁーっと吐息を落として。


「息できなくて死ぬかと思ったぁー!」

 とか大袈裟おおげさなことを言ってくる。


「鼻は塞いでなかったでしょ?」


「バレたか」


 二人でいつものようなやり取りをしていたら、岳斗が恐る恐るといった調子で問い掛けてきた。


「あの……違ってたら申し訳ないんだけど……ひょっとして荒木あらきさんは僕のことを気に入ってくれてると思っていい?」


 岳斗から、羽理の大好きなキュルンとした表情で小首をかしげられては、否定なんて出来るはずがない。


「……はいっ。倍相ばいしょう課長のふんわりとした雰囲気が好きで……私、密かに課長の笑顔にいつも癒されてました」


 言ってからマズいと思った羽理は慌てて「き、気持ち悪いこと言ってすみません!」と付け加えたのだけれど。


「部下に慕われてるのを知って、嫌な気持ちになる上司はいないと思うんだけどな? むしろ今の話を聞いて僕、可愛い部下きみたちのためなら、だなって……改めて実感しちゃったくらいだよ」


 眉根を寄せられる覚悟もしていたというのに、予想に反して岳斗からニコッと極上のふんわりスマイルを向けられた羽理は、岳斗の背後にぱぁぁぁっとパステルカラーの柔らかな色合いの花々が一斉にほころぶ錯覚を覚えてしまう。


 仁子から、「推し活、本人に公認してもらえてよかったね♪」とクスクス笑われた羽理は、ひとまずホッと胸を撫で下ろして。


 それと同時、岳斗の〝何でも出来る〟と言う言葉に、〝至らない自分の尻ぬぐいをさせてしまっているかも?〟という問題を思い出して、(だけど、後日にでも改める形で穴埋めのお誘いをするべきかしら?)と岳斗を見詰めた。


「あ」


「ねぇ、荒木さん。今日こそはずっと伸ばし伸ばしになっていたランチに行かない?」


 明日にでも、と前置きをした上で岳斗をランチに誘おうと決意した羽理が口を開いたよりもわずかに早く。

 出始めの〝あ〟に被せるようにして、岳斗からランチの提案されてしまった羽理は戸惑いに瞳を揺らせた。


「あ、あの……今日は……」


 昨日の買い物で、大葉たいようが新しく用意してくれた猫の絵柄の可愛いランチボックスと、同じく猫柄の保冷バッグに入れられた彼お手製のお弁当があるので、別日にして欲しいと告げようとしたのだけれど。


「やっぱり今日もダメかな? ――僕、なるべく早く荒木さんに話しておきたいことがあるんだけど……」


 そう言われてしまっては、グッと言葉を飲み込むしかない。

 だって話したいことと言うのは、きっと羽理の仕事への苦言に違いないのだから。


 倍相ばいしょう岳斗がくとはお気遣いの上司なので、皆の前で部下の落ち度を責めることは皆無だ。


 そう思ってみれば、前々から仁子じんこを誘わず自分だけに声を掛けてくれようとしていたのも、そういう事情からだったんじゃないだろうか?と得心がいって。


(お弁当は……惜しいけれど仁子に食べてもらっちゃおう。部長は今日、お昼は出張で会社にいないって言ってたし……平気、だよ、ね?)


 大葉たいようが聞いていたら『バレなきゃいいってもんじゃねぇわ!』とプンスカしそうなことを考えながら、「分かりました」と岳斗へ了承の意を伝えた羽理だった。



***



(あー、マジで面倒くせぇーな)


 朝一で社長室から呼び出しを受けた屋久蓑やくみの大葉たいようは、言われなくても分かっていた呼び出しが案の定の内容だったことにうんざりして社長室を後にした。


 社長室や役員室のあるフロアから降りて自室――総務部長室――のあるフロア入り口を抜けたと同時、小さく吐息を落とした。


 そうしながら、ふと視線を上げた先。

 自分とは対照的に、やたらと上機嫌な空気をまとった倍相ばいしょう岳斗がくとを認めて、我知らず眉間のしわが深くなる。


(ひょっとして倍相ばいしょうのヤツ、俺が不在の間に羽理うりと何かあったとか?)


 荒木あらき羽理うりは自分の彼女なのだし、まさか妙なことにはならないとは思うが、やたらと胸騒ぎがするのは何故だろう。


 そう思って羽理の方へ視線を移せば、こちらを見詰めていた視線とバチッと嚙み合ったと同時、わざとらしいくらいに慌てた様子で視線をそらされた。


(おい、羽理。お前、何やらかした?)


 この後すぐに出張に出なければならないと言うのに、何となくこのまま放置しておいてはいけないような気持ちがして。


 大葉たいようは後ろ髪を引かれつつもとりあえず部長室へ入ると、携帯を取り出した。


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