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15.腹黒課長の猛攻⑥

 春の陽だまりのような倍相ばいしょう課長に限って、まさかそんな不埒ふらちな真似はしないと信じたいけれど、今日の岳斗は少しおかしかったから。


(推しとそんなことになるのは本意じゃないもの)


 羽理にとって、岳斗はあくまでも日々にうるおいを与えてくれる有り難い〝推し〟。

 ヒーローのモデル役である彼が迫るべき相手は、羽理が『皆星みなほし』で書いているヒロインちゃんであって、羽理自身ではない。


(何なら仁子に迫ってくださったら私、萌えまくれるんだけどな!?)


 そう。羽理は、岳斗が女性を口説くところを、あくまでも〝外野として観察したい〟のだ。


 さっきは岳斗の行動が恋愛経験の乏しい羽理にすごく良い絵面を思いつかせてくれる刺激になって「よっしゃぁ!」となったけれど、ハッキリ言ってそれ以上のことは望んでいない。



「それは……いま僕たちのいるところが、周りから見通せる場所だから、かな?」


 キュルンとした目で小首を傾げられて、羽理はふぅっと小さく吐息を落とした。


「場所の問題ではありませんよ? 先ほどから倍相ばいしょう課長の私への接し方が上司と部下の立ち位置としてはやけに近過ぎるのが落ち着かないだけです。もしそれ以上踏み込まれたいと言う意味での『ダメかな?』だとしたら……私はそれを望んでいません。――課長はあくまでも私の推しなので。推しとは過度な接触を取ってはいけないのです」


 未だ髪に掛かったままの岳斗の手をすっと避けながら一気にそこまで告げて。


「えっと……倍相ばいしょう課長は私に何かお仕事の面で苦言が呈したかったから二人きりでの食事へ誘って下さったのではなかったのですか? ――私、ちゃんと覚悟出来てますので遠慮なさらずおっしゃってください」


 横道にそれかけている上司を、懸命に軌道修正した。



***



 部下の荒木あらき羽理うりにキスの許可を求めたら、思わぬ抵抗を受けてしまった。


(あれ? 荒木あらきさんは僕に好意があるんじゃないの?)


 そう思いはした岳斗がくとだったが、逆にそういう身持ちの堅さも荒木羽理と言う女性の魅力に思えて。


(男からの誘いにすぐような尻軽女は信用ならないからね)


 岳斗はやさしげで人好きのする見た目のお陰か、幼い頃から女性受けが良かった。

 だからこそ彼女たちの汚い面も沢山見せ付けられてきたのだ。


 外見の清楚な女の子が中身もそうだとは限らないことを、過去の経験から嫌と言うほど思い知っている。


 屋久蓑やくみの大葉たいようは同じような経験から女性を避けることを選んだのだけれど、倍相ばいしょう岳斗がくとは逆にそんな女性たちの好意を利用する方へ流れたタイプだ。


 岳斗は、今までとしたで、釣り上げた女の子たちを適当に食い散らかしてきた。

 もちろん相手がそうと気付くような馬鹿な別れ方はしないし、何ならあと腐れのない相手を選んで寝ることの方が圧倒的に多い。

 都合のいいセフレたちとは、利用価値を感じなくなった後も、表向きは円満な関係を続けるのがモットー。

 面倒事はイヤなので、社内や取引先の女性とは関係を持たないことも徹底してきた。


 だが、荒木あらき羽理うりはそういう女性たちとは明らかに違う雰囲気だったから……。生まれて初めて本気。それこそ掛け値なしで手に入れたいと思ったのだけれど。


 正直これが案外手強くて苦戦している岳斗だ。


(キスしようとして拒まれたの、初体験だよ……)


 羽理には場所の問題じゃないと否定されたけれど、それだってきっとゼロではないはずだ。


 髪の毛に触れることは許してくれたのに、その先はNGとか、岳斗的には想定の範囲外。羽理が何を考えているのか、はっきり言ってサッパリ分からない。


 そればかりか、羽理は仕事のことで何か伝えることがあって、岳斗が自分を食事に誘ったとかバカなことを思っているらしい。


(二人きりで食事に行かない?って聞かれて……普通そっちに受け取る? ――ヤバいな、発想が斜め上過ぎて、全然読めないトコ。逆に燃えるんだけどっ)


 仕事の話ならば、社内の小会議室でも押さえれば済む話だ。

 わざわざ食事に誘ってまで指導しようとは思わないし、そんなことをしたら勘違いするのが女性と言うものではないか。


(僕はキミに勘違いして欲しくてわざわざ外へ誘ったのに。少しは色気のある方向へ考えてよ)



***



荒木あらきさん、僕は別にキミの仕事態度について不満に思っていることなんてひとつもないよ? ……そればかりか、むしろ凄くよく頑張ってくれる、非の打ちどころがない部下だなとさえ思ってる。――そんなキミが、どうしてそんな勘違いをしたのか、逆に聞かせてもらいたいな?」


 いきなり岳斗がくとからそんな問いを投げ掛けられた羽理うりは、言葉に詰まって。


 ギュウッとお弁当箱を包み込んだままの手に力を込める。


 そうして気合いを入れるみたいに大葉たいようが丹精込めて作ってくれた艶やかなニンジングラッセを口に放り込むと、その味をじっくり味わった。


 昼休み中に昼食を食べ終われないのは困ると思っていた羽理は、自分の机までの移動時間も込みで考え、話しながらもちょっとずつ箸を進めていて。


 甘いグラッセをデザートにするつもりはなかったのだけれど、これでお弁当箱の中身は空っぽだ。凄く残念な気がする。


「実は私、最近体調が良くなくて……」


 口の中のモノをごくんと飲み込んでお弁当箱のふたを閉めながら観念したようにそう告げたら、岳斗が「えっ!? 大丈夫なの!?」と身を乗り出してきた。


「あっ。って言っても普段はそんなに問題ないんです……。ただ……」


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