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15.腹黒課長の猛攻⑦

 羽理は距離を詰めてきた岳斗から離れるようにお尻をずりずりっと移動させると、そこで一旦言葉を切って、しばし逡巡しゅんじゅんする。


「ただ……?」


「その、あ、ある人物と一緒にいると……心臓がバクバクしてキュゥッと締め付けられるみたいに痛くなるんです。不思議なことに相手の方も同じ症状みたいで……。しかもっ! どうやら私たちをむしばむその病気は、病院でも温泉でも治せないらしいのですっ!」


 大葉たいようは確か、〝お医者様でも草津の湯でも〟とか何とか言っていた。


「それで、唯一の治療法はショック療法だってその人が言って……。私、病気克服こくふくのためになるべくその相手と過ごすようにしてるんですけど……良くなるばかりかどんどん症状が酷くなってる気がして……。ほとほと弱ってます」


 大葉たいようとのやり取りを思い出しながら、あえて対象が男性であることを隠しつつ沈痛な面持ちで言ったら、岳斗が大きく吐息を落としたのが分かった。


(ごめんなさい、課長。私、推しな貴方にそんな暗い顔させたくなかったから……病気のこと、話したくなかったんです)


 そう思って鎮痛な面持ちのまま岳斗を見つめていたら、「――ねぇ、荒木あらきさん。それ、法忍ほうにんさんには……」と投げ掛けられて。


「まだ話してないんですけど……仁子じんこからは相手が誰かまで言い当てられて……その上、不整脈のことも見抜かれました。もしかしたら……仁子には不治のやまいの正体が分かっているのかも知れません」


 羽理の言葉に岳斗は何事かを考えているみたいに沈黙してしまう。


「あの……もしかして倍相ばいしょう課長にも、私のこの厄介な不整脈の原因や正式な病名なんかが思い当たったりしていますか?」


 不安に耐えきれず、眉根を寄せて聞いたら、岳斗がポツンとつぶやいた。


「ひとつ確認なんだけど……荒木さんが一緒にいてしんどくなる相手は……もしかして裸男さん、だったりする?」


「えっ!? どうしてそれを……っ!?」


 きっと鎌を掛けられただけなのに、思わず肯定こうていするみたいなことを口走ってしまってから、慌てて口を覆ったけれど後の祭り。


「やっぱりそっか……」


 言われて羽理はギュウッと箸を握りしめた。


「……だとしたら、僕は荒木さんにはそんなには近付かないようにして欲しいと助言したいな?」


「え?」


 裸男が屋久蓑やくみの大葉たいようだと言うことは、仁子でさえ気が付いていない。

 なのに、そんな正体不明なはずの裸男のことを〝不誠実〟だと言い切る岳斗に、羽理は驚いてしまう。


「あのっ、もしかして課長……」


 ――裸男の正体がお分かりになられたんですか……?


 そう問い掛けようとしたと同時、「だって相手には彼女さんがいるんでしょう? それなのに荒木あらきさんとも不必要に仲良くしようとしてるだなんて……僕には性質たちの悪い男としか思えない。そんな奴に大事な部下は任せられないよ」と岳斗がくとが続けて。


 羽理うりは思わず大葉たいように対する課長からの誤解を解きたい一心で、「あ、あのっ。勘違いさせてしまっているようなんですけどっ。実は裸男さんの彼女さんはワンちゃんなんです! 人間の彼女さんじゃありません!」と力説してしまっていた。



***



 羽理うりから裸男の彼女は犬だと告白された岳斗がくとは、今度こそ本当に言葉に詰まって。


(え? 待って? どういうこと? 今の話が本当だとしたら……荒木あらきさんは独り暮らしの男の家へ何度もお泊りに行ってたってこと?)


 着替えまで置いてあるとか……まるで恋人同士ではないか。


 そうとしか思えないのに、羽理の口振りからは、まだ深い仲にはなっていないようにも感じられて……それが何ともに落ちない岳斗だ。


 こんな魅力的な女性を家に連れ込んでおいて何もしないとか……。実は裸男は男性的な機能が不全なんじゃないかと思ってしまった。

 だが、羽理のことを手放したくないと言っている感じからして……相手も羽理のことを憎からず思っているのは確かだな?とも思って。


 そう言えば、羽理が食べていた手の込んだ弁当だって、裸男とやらの恋人が作ったものではないとなると、もしや裸男自身のお手製?と気が付いた岳斗だ。


 あんな手間暇てまひまかけた弁当を作って持たせてやるとか……どう考えても羽理うりのことを溺愛できあいしているとしか思えないではないか。


(ニンジンとかも荒木さんの好きな猫型にしてあったし……相当な入れ込みようだよね!?)


 以前、意中の男性の胃袋を掴むと懇意こんいになれると信じているらしい女性から、やたら手作り料理を渡されまくったことがある岳斗だったけれど、想いが強すぎる相手からの手作り品なんて、何が入っているか分からなくて気持ち悪くて……。

 食べる気にもなれなかったのを思い出す。


 だが、羽理はどう見ても嬉しそうにそれを食べていたし、何なら岳斗にその素晴らしさについていてくれもした。


(ちょっと待ってよ荒木あらきさん。キミはもう、恋心はおろか胃袋まで、裸男にガッツリ掴まれちゃってるってことなんじゃない……?)


 そう気付いたと同時――。


屋久蓑やくみの部長や五代ごだい懇乃介こんのすけなんかより、裸男の方がよっぽど要注意人物だった!)


 今更だが、裸男には勝ち目がないのではないかとすら思ってしまった岳斗だ。


(彼女持ちだと軽視してたけど……そうじゃなかったんだ)


 ――荒木あらき羽理うりの背後に裸男の影が散らつき始めてからずっと。やたら感じていた胸騒ぎは伊達だてじゃなかったらしい。


 見知らぬ敵を相手に戦うのはが悪いな?と思った岳斗だったけれど、それでも荒木羽理のことを簡単には諦めきれないことも自覚してしまったから……。

 初めて感じるどうしようもないくらいの悔しさと焦燥感を、長々とした吐息に乗せて吐き出した。

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