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16.その女性(ひと)は誰ですか?⑧

 大葉たいようにとっては、羽理の機嫌きげんうかがいの方がよっぽど大事なのだから。


 そのために柚子ゆずが風呂に入ってすぐ夕飯の支度したくをすべくキッチンに立っていた大葉たいようだ。

 柚子ゆずは、ご飯さえ出しておけば大人しく待つタイプだと長い付き合いで知っている。


「電話繋がんねぇし、怒ってんのかな?と思って内心すげぇ焦った。けど――」


 本当はすぐにでも会社へ乗り込んで「荒木あらきさん、ちょっと」とかやりたかったぐらいだ。

 だが、早退した身でノコノコ社屋へ戻って、羽理を部長室に呼び出せるほど、大葉たいよう厚顔無恥こうがんむちになり切れなかったのだ。


「あの。ごめんなさい。……実は私も今日は早退してて」


 多分社外で待ち伏せされていても会うことは叶わなかったはずだ。


 申し訳なさそうに自分を見上げてくる羽理を見て、大葉たいよう

「体調悪いのかっ!?」

 思わずポタポタと髪の毛から水滴をしたたらせたままの羽理の肩を掴んだのだけれど。


 羽理の身体が冷たく冷えているのが分かって自分のバカさ加減が心底嫌になった。


「あ、あの……別にそう言うわけでは」


 羽理は体調不良こそ否定したけれど、このままでは羽理に風邪をひかせてしまう。


「とりあえず着替え持ってくるから身体拭いて待ってろ。話はお前の身支度が整ってからゆっくりしよう。――な?」



***



羽理うりちゃんは?」


「いま脱衣所で身体拭いてる」


 大葉たいようが、今朝洗濯して先ほど取り込んだばかりの羽理うりの着替え――ルームウェア――を取りにリビングへ行くと、キッチンにいた柚子ゆずが興味津々と言った様子で身を乗り出してきた。


「何で女性ものの服があるんだろう?って思ってたら……あの子のだったかぁー」


 大葉たいようが抱えているルームウェアを見て、柚子ゆずがニマニマして。


 そんな姉の足元。

 柚子ゆずにもよく懐いている愛犬キュウリが、何故か大葉たいよう側に付くことなく柚子ゆずサイドから、姉と一緒にこちらをじーっと見上げてくるのが何とも居心地悪く感じられた大葉たいようだ。

 キュウリの顔を見詰め返しながら、(う、ウリちゃん! 何でそっちサイドなんでちゅか!? パパの味方して下ちゃい!)と、なげかずにはいられない。


 恐らく大葉たいようが泊まりがけで出張に行く際など、持ち家一軒家に旦那と二人暮らしの柚子ゆずにキュウリのことをお願いしているのもあるんだろう。


 実際、羽理に入れ込んでからというもの、大葉たいようはほんのちょっとだけ最愛のキュウリを二の次ないがしろにしている自覚もあった。


 実は今から大葉たいようは、そんなキュウリのことを柚子ゆずに一晩ばかり託そうとも思っていたから。


(きっとウリちゃんにはパパのしようとしてる不義理が分かってるんでちゅね?)


 アイコンタクト。

 キュウリに心の中で「ごめんね」と謝ると、大葉たいようはそのことを柚子ゆずに伝えようと口を開きかけたのだけれど――。



***



「ねぇ、たいちゃん。そういえばさ、羽理うりちゃん、いきなりワープしてきたみたいに感じちゃったんだけど……実際はいつどうやって来たの? お姉ちゃんがお風呂にいるのに入浴しておいで?ってたいちゃんが言ったの?」


 弟に脱衣所を追い出されてからずっと、柚子ゆず大葉たいようが作りかけていたおかずをつまみ食いしながら考えていた。


(羽理ちゃんの登場の仕方、おかしかったよね?)


 どう考えても扉を開けようとしたら向こうから開いて――。


 なのに脱衣所にいたはずの彼女は、自分同様まるで風呂上がりみたいにびしょ濡れの裸だったのだ。


「……羽理ちゃん、何で脱衣所にいたのにあんなにびしょ濡れだったの? あの子、確かに小柄だけどシンクここで湯浴み出来るほどちっこくないし……そもそもあんなに濡れそぼったまま脱衣所まで裸で歩いたら、床も濡れるよね?」


 だが、足元の床は何事もなかったみたいにカラリと乾いていた。


 柚子ゆずにはせないことだらけなのだ。

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