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17.ちぐはぐな二人

 脱衣所から出てきた羽理うりは、薄手の灰色長そでチュニックに、一〇分丈の黒いレギンスを合わせていた。


 チュニックにはお約束と言うべきか。


 吊り下げられた魚に釘付けの可愛い黒猫が描かれている。




 一応ルームウェアだけれど、いわゆる楽ちんスタイルの服装なので、ちょっとコンビニくらいまでなら余裕で行けてしまうコーディネートだ。




 ただ――。




(すまん。下着がなかったなっ!?)




 所在なさげに胸の前で不自然に手を組んだ羽理うりを見て、そう確信した大葉たいようだ。




 恐らく下もノーパンだろう。




(早いトコ、家に連れて帰ってやんねぇと)




 歩き方がぎこちない羽理を見ていると、何故か大葉たいようの方が落ち着かない。




(そうだ。羽理の家に行くときはサツマイモも持って行こう)




 今日、会社の軽トラ荷台に乗せて持ち帰ったサツマイモ三箱は、れ立てではないけれど、植え付け作業を手伝った礼として大葉たいようが農家から個人的にもらえたものだ。




 総務部所属の人間だけに絞れば、数個ずつお裾分け出来る程度には沢山もらえたので、帰ってすぐ羽理とワイヤレスイヤホンで通話しながら荷台から下ろした。


 本当は社から小袋を取って来て小分けにしてから、今日中に部下たちへ配ろうと思っていたのだが、柚子ゆずの突然の訪問で予定が崩れて。




 受付で社長と、自分と同フロア内にいる財務経理課長の倍相ばいしょう岳斗がくとには直帰せねばならなくなった旨を伝えたのだけれど、とりあえず持ち帰ったイモは箱のまま自分の車――エキュストレイルの荷台へ移し替えておくことにしたのだ。


 社用車の軽トラは他の人間が使うことも考慮して荷台を空けておきたかった。




 連絡もせず急に訪問してきた迷惑料代わり。本当は一人でも楽々出来る作業だったが、柚子ゆずにも箱の移動を手伝わせたのだが。




 柚子ゆずと一緒に積み荷を移動させながらいきなり何をしに来たのかと問うてみれば、旦那と喧嘩して家を飛び出してきたから泊まらせて欲しいだの、丁度そのタイミングで大葉たいよう自身の見合いの話を伯父から聞かされたんだけど、どうなってるの? だの……相変わらず柚子は口うるさかった。




 挙げ句、作業で汚れたから風呂へ入らせろだのと騒ぐ始末。




 さすがに身内とはいえ社外の人間に会社のシャワー室を使わせるわけにはいかなかったから、自宅の風呂へ入らせることにして。


 ふと、荒木あらき羽理うりとのワープ事情が頭に浮かんだ大葉たいようだったけれど、まだ就業時間内だし大丈夫だろうと見定めて、柚子を入浴させることにしたのだ。




 なのに。


 結局何の因果かどんなに時間をずらして入浴しても、羽理と大葉のバスルームは繋がるようになっているらしい。






***






 風呂上がりの羽理うりに、寝室からブランケットを一枚取って来て被せてやってから、大葉たいようは電気ポットのお湯と、電子レンジでぬくめた牛乳で溶いたホットココアを出してやる。




(あのままの格好じゃ、色々と想像しちまってヤバすぎるからなっ。――主に俺の息子がっ)


 と心の中で付け加えつつ。




 ブランケットで冷えた身体を温めながら下着の不在を感じさせないようしっかり隠してもらえると大変有難いんだが、と思ってしまった大葉たいようだ。




 それでも――。




「羽理、何でソファこっちに座らねぇんだ?」




 姉の前で羽理の身体に反応してしまうかも知れないと言う最大級の危険をおかしてでも、好きな女性の傍にはいたいと思ってしまうのだから恋心と言うやつは度し難くて面倒くさい。




 何なら姉を押し退けてでも羽理の隣に座りたい大葉たいようなのに、羽理はソファに腰かけた柚子ゆず大葉たいようとはローテーブルを挟む形。まるで大葉たいようからなるべく距離を取りたいみたいにふかふかの座布団の上に小ぢんまりと収まってしまう。




 そのことに異議を申し立てた大葉たいようだったのだけれど。




 そのタイミングを推し測ったみたいに柚子の足元からテトテトと離れたキュウリが、羽理うり股座またぐらへやけにご執心になって。


 羽理が懸命にブランケットでカバーするも、執拗しつようにその上からフンフンと羽理の股間の匂いを嗅ごうとするから。




 結局、余りのしつこさに羽理が困ったように眉根を寄せて大葉たいようを見上げてきた。




(ひょっとして羽理がノーパンだからそんなに反応してるのかっ!?)




「こらっ、ウリちゃん!」




 言って、キュウリを抱き上げて羽理から引き剥がした大葉たいようだったけれど、内心(うらやましいでちゅよ、ウリちゃん!)とか思っているのは内緒だ。




 そのまましれっと羽理の横へ座った大葉たいようは、キュウリを抱き抱えたまま「――でな、……、こいつが言うんだ。ワープするようになっちまった原因があるんじゃねぇか?って」と柚子にちらりと視線を投げ掛けて本題に入った。




 羽理がさり気なく座布団の端っこに寄って、大葉たいようから距離をあけたすぐそばで、大葉たいようの手をキュウリがペロペロペロペロ……しつこいぐらいにエンドレスで舐め始める。




 抱き上げると割といつもそんな感じなので大葉たいようは気にしていないのだが、すぐそばでそんなキュウリの様子をの当たりにした羽理は、さっきまで自分の危ういところに張り付いていたワンコの口元が今度は大葉たいようの手を舐めている様に、落ち着かない様子でソワソワと視線を彷徨さまよわせた。




 柚子ゆずはそんな二人の様子――主にオロオロしている羽理の姿――を、真正面から目を細めて見守っているのだけれど、もちろんあえて指摘はしない。




 代わりに「こいつって……お姉さまとか柚子さまとか言えないの?」と抗議しながら、スッと立ち上がって大葉たいようの手からキュウリを奪い取った。




「ところでたいちゃんと羽理ちゃんって……」




 柚子の抗議に「はいはい」と適当な返事をする大葉たいようの横で、羽理が「原因……」と真剣な様子で考え込んでいる。




 そんな二人を交互に見遣って、柚子が口を開いた。




***




 大葉たいようの姉だと言う一羽いちば柚子ゆずとの初邂逅はつかいこうは、お互い真っ裸と言う最悪なものだった。




 女同士だからいいかと言うと、そう言うこともなくて……。




 例えば最初からお互い裸でいることが前提の温泉などなら心の準備も出来ている。




 でも、今回は余りに突然過ぎたから。




 何と言うかフルンと揺れた柚子のに、羽理うりは正直滅茶苦茶ひるんだのだ。




 いや、ひるんだと言うよりひがんだ、に近いかも知れない。




 一番最初に思ったのは、(あんな大きなお胸の女性には〝勝てっこない〟!)と言うこと。




 大葉たいように彼女は姉だと説明された後も、あんな巨乳のお姉さんを見て育った大葉たいようには、羽理のはさぞかしに映っただろうなと言うことで。




 大葉たいよう、一応に羽理の裸にはしてくれていた気がするけれど、それすら何となく心許こころもとなく思えて泣きたくなってしまった。




 だって――。




(普通、裸の女の子が目の前にいたら襲いたくならない?)




 襲われても困るけれど、自分のことを好きだと明言してくれた後のつい今し方だって、大葉たいようは淡々と羽理にバスタオルを掛けてくれただけ。




 二人きりになった後でさえも、大葉たいようはとっても〝紳士的〟で……思わず抱き付いてしまいそうになるとか、衝動に駆られて迫ろうとしてくるとか……そんな素振りは微塵もなかった。




 心臓がバクバクするのはいつも羽理だけな気がして、何だかとっても理不尽に思えたと言ったらワガママだろうか?




 何となく柚子に引け目を感じてしまっている羽理うりは、大葉たいようを前に復活した不整脈も手伝って、彼のそばには座りたくないと思ってしまった。




 そもそも下着がないまま、直に身に着けるしかなかったチュニックとレギンスが、(やったことはないけれど)裸タイツの気分で非常に落ち着かない。


 何ならレギンスが股に食い込んで気持ち悪くて……歩き方もおかしくなってしまう。




 それでわざわざ大葉たいようから距離を取るようにローテーブルを挟んだ向かい側に座ったのだけれど――。




 床に置かれた座布団の上にペタリと座ったからか、キュウリからやたら際どい所を責め立てられると言う羞恥しゅうちプレイを受けてしまった。




 ついでに――。




(何でキュウリちゃんを抱いたまま私の横に来ましたかね!?)




 大葉たいようにSOSを出したのは確かに羽理だ。




 だけど――。




 愛犬を抱いた大葉たいようが、わざわざ自分の隣に座るだなんて想定の範囲外。てっきり大葉たいようはソファに戻ってくれると思っていたのに。




(心臓がバクバクするので離れて欲しいですぅー)




 思いながら、羽理は尻を床に付けたままジリジリと大葉たいようから距離を取った。






***






「ところでたいちゃんと羽理うりちゃんって……付き合ってるの?」




 どうやらこの二人、急接近の原因はたまたま。何らかの要因で無理矢理結びつけられただけらしい。




 だけど、どう見ても可愛い大葉おとうとは隣に座る女の子を意識しているし、弟が好意を寄せているようにしか見えないその子にしても、それは同じに見えた。




 なのに――。




 柚子ゆずからの質問に対して即座に「当たり前だろ!」と答えた弟に対して、羽理うり大葉たいようのその言葉が信じられないみたいに「えっ!?」とつぶやいて驚いた顔をするから。




(ちょっともう、この二人、何でこんなちぐはぐなの!)




 どう考えても両想いにしか見えないのに、この認識の差!




 目の前で「いや、俺、お前に好きだって言っただろ? なるべく一緒に過ごそうとも伝えたはずだぞ?」だの「確かに好きだとは言われましたけど、……一緒に過ごすのは病気を治すためだって言ったじゃないですかっ」だの不毛な言い合いが始まって。




 柚子ははぁーっと大きく溜め息を落とさずにはいられない。


 そんな自分を、『どうしましたか?』と言う表情で見上げてくるキュウリをヨシヨシと撫でながら、


「たいちゃん……」


 柚子が狙いを定めたのは羽理ではなく可愛い弟だった。






***






 わけが分からないことを言う羽理うりに色々言い募っていたら、姉が呆れたように声を掛けてきて。




 その途端、羽理が柚子ゆずの存在を思い出したようにハッとして口をつぐんでしまう。


 仕方なく大葉たいようが柚子の方を見ると、「貴方ねぇ、羽理ちゃんに『好きです、下さい』ってちゃんと伝えたの?」と言われてグッと言葉に詰まった。




 言われてみればそんなセリフは言っていなかった気がしたからだ。




「やっぱり……」




 はぁーとあからさまに溜め息をく柚子に、大葉たいようは「けど! 普通好きだって言ってきた男に一緒にいたいって言われたら〝俺の彼女になってくれ〟って意味に取るだろ!?」と言い募ったのだけれど。




「貴方の言う普通が通じなかった結果が〝今〟なんじゃないの?」




 と言われてしまっては、二の句が継げないではないか。




「あの……た、大葉たいようは……その、わ、私と付き合ってるつもり、だった……の?」




 恐る恐るといった調子で羽理うりから問われた大葉たいようは、視線を柚子ゆずから隣の羽理に移した。




「ああ」




 と照れ臭さも手伝ってぶっきら棒に肯定してみたものの、柚子からの視線が全身に突き刺さってくるようで、何だか居心地が悪い。




(ちゃんと『付き合ってくれ』って……言えってこと、だよ、な?)




 そう思いはするけれど、身内あねの前で異性を口説くだなんて恥ずかしい真似、出来るはずがない。




「……大葉たいよう?」


「たいちゃんっ!」




 女性陣二人の視線が物凄く痛くて、針のむしろ状態だ。




 加えて。




(う、ウリちゃんまで何でそんな目でパパを見詰めてきまちゅかねっ⁉︎)




 真ん丸な愛犬キュウリの黒瞳が、柚子ゆずのひざの上から『パパ、しっかりして下ちゃい』と言わんばかりに大葉たいようをじっと凝視してくるから。






「あああああっ!」




 大葉たいようはとうとう重圧に耐えきれなくなってガシガシと頭を掻きむしると、その場に立ち上がった。




 そうして――。




「柚子、ウリちゃんを頼む。……羽理と二人きりで話がしたい」




 すぐ横でキョトンと自分を見上げてくる羽理の腕を引いて立たせると、「今夜は帰らねぇから」と付け加えて「羽理、行くぞ」とやや強引に羽理の手を引いて歩き出す。




 柚子に出鼻でばなをくじかれて伝え損ねていたが、元々羽理がこちらに飛ばされてきた時から、柚子にキュウリを任せて羽理の家へ泊まりに行こうと思っていた大葉たいようだ。




 羽理に昼間何をしていたのか?とか……聞きたいことが山盛りだったし、実際そういう諸々もろもろも告白と同じくらい姉の前では切り出しづらい。






「あ、あのっ、大葉たいよう……っ」




 オロオロと大葉たいようの名を呼ぶ羽理に、「下着なしのまんまはしんどいだろ。お前ん行くぞ」と吐き捨てたのだけれど。




「ちょっと待って、たいちゃんっ!」




 姉が必死の様子で呼び止めてきて、キュウリを抱いたまま目の前に立ち塞がってくるから。




「な、何だよ……」




(この勢いをがれたら気持ちがえちまうだろ!)




 大葉たいようのそういう性格は、自分自身が一番知っている。


 だが、姉である柚子ゆずだって、ある程度は弟の特性を熟知していると思うのに。




 告白しろと言ったくせに邪魔してこようとする姉を睨み付けたら、「私のご飯作りがまだ途中よ!」とか。




「何だよ、それ!」




 大葉たいよう羽理うりと手を繋いだまま、思わずその場にヘタリ込みそうになった。






***






「……お姉さん、面白い人でしたね」




 助手席でふふっと笑う羽理うりの横顔にちらりと視線を向けてから、大葉たいようは「自由人過ぎるんだよ」と溜め息を落とす。






 結局、あのあと羽理に一旦ソファへ座り直してもらってから、大葉たいよう柚子ゆずのために夕飯と翌朝の朝食の準備をしたのだけれど。




 ついでだったので、羽理の弁当へ入れられそうな作り置き常備菜を冷凍庫から出して大きめの食品保存容器タッパーウェアにいくつか詰め直してから、保冷袋に入れて持ち出せるようにした。




 汁物を作りながら手際よく夕飯と明日の朝食を準備する大葉たいようの横で、柚子は始終ご機嫌で。




「たいちゃんはホントいいお嫁さんになれるわね」


 とか言ってくるから、


「俺は妻をめとりたい」


 とボソッとつぶやいて、ソファでキュウリを撫でる羽理うりに視線を投げ掛けた大葉たいようだ。




「……そう出来るよう頑張りなさいね?」




 眉根を寄せて困ったように――。「色々と」と付け足した柚子ゆずに、伯父から持ち掛けられている見合いもどうにかしないとまずかったなと……思い出した大葉たいようは、小さく溜め息をついた。






「ホント、たいちゃんの作るものはみんな美味しそう」


 全ての支度したくを終えて、とりあえず明朝の分にラップをかけて冷蔵庫に仕舞ったら、今夜のおかずを前に柚子が嬉しそうに笑う。




「柚子だってそんくらい作れんだろ」




 柚子は結婚して旦那だっているのだ。


 大葉たいようがわざわざ作らなくたって、本当は料理上手なのを知っている。


 子供の頃は共働きの両親に代わって、一番上の姉――七味ななみと一緒になって、幼い大葉たいようによくアレコレ作って食べさせてくれたものだ。




 家では旦那のために手料理を振る舞っているだろうに。




 そう思って苦笑したら「たまには人が作ったものを食べたいのよ」とニコッとされた。




 まぁ、確かにそういう気持ちも分からなくはなかったので、炊飯器に米を二合セットしてから、「焚けたら適当に食え」と言い置いて羽理とともに家をあとにして。




 鍵はとりあえずオートロックの暗証番号タイプのキーレスキーだから、忘れ物がないようよく確認して部屋から出てくれと頼んだ。




***




「暑くないか?」




 結局下着を着ていないと言う気恥ずかしさに勝てなかったのか、羽理うり大葉たいようが出してやったブランケットを持ち出したいと要求して来て、今も助手席で身体を覆い隠すようにすっぽりと被っている。




 ビジュアル的にその方が大葉たいようも運転に集中できて有難いのだが、何ぶんそろそろ梅雨に差し掛かろうかという時分のこと。




 窓は少し開けてあるけれど、さすがに暑くはなかろうか?と心配になる。




「平気です。――あ、でもっ。が横に座っててすみません」




 そろそろ十八時ろくじになろうかと言うところ。


 あと一時間もすれば日没だが、今はまだ西の空に傾いた太陽が辺りを茜色に照らしていて明るい。




 まぶしさに目をすがめてサンバイザーを下ろした大葉たいようだ。




 意識すれば対向車や二車線で横に並んだ車から、助手席に座る羽理の姿が良く見えるだろう。




 それを気にしての言葉に、大葉たいようは「構わねぇよ」とつぶやいた。




 実際、人からどう見えようと知ったことじゃない。


 羽理が自分の隣にいること以上に心躍る状況なんてありはしないのだから。




正直ぶっちゃけ俺は……お前と一緒にいられればそれだけでいい」




 今までは恥ずかしくてほとんど口にしなかった心の声を正直に声に出せば、羽理が眉根を寄せて「いっ、いきなりそういうことを言うのは反則です……。し、心臓に負担が掛かっちゃいますっ」と胸の辺りをギュウッと押さえるようにして抗議してくる。


 斜陽に照らされてまるで頬を赤く染めているように見える羽理の様子に、大葉たいようは(ホント可愛いな)と思って吐息を落とす。




 自分だってさっきから心臓がドキドキしっぱなしだ。




「なぁ、お前のその胸の痛みだがな……」




「……?」




 ハンドルを握る自分の横顔を羽理がチラチラと見つめてくる視線を感じながら、大葉たいようはほぅっと吐息を落とした。




 そうして「いや、やっぱいい。全部ひっくるめて後で話すわ」と曖昧に言葉を濁してしまう。




 羽理うりの顔をまともに見られない状況で告げるのは何だか嫌だと思ったからだ。


 どうせなら手とか握って……もっともっと大葉じぶんと一緒だと〝胸が苦しい〟と自覚させてから理由を思い知らせてやりたくなった。




「き、気になるじゃないですかっ」




 ソワソワと落ち着かない様子で瞳を揺らせる羽理を横目に、「だったら大いに気にしとけ」とクスクス笑ったら、羽理が「意地悪っ!」と唇を突き出すから。




「ホント可愛いな、お前」




 今までは口に出さなかった言葉を、あえて羽理にも聞こえるように伝えた。さっき柚子ゆずに叱られたことをふと思い出したからだ。




(思ってるだけじゃダメみてぇだからな)




 羽理は恋愛が絡むとめちゃくちゃ鈍感だ。


 仕事関係なら一言えば十知るような優秀な女性なのに、自身の色恋ごととなると同一人物とは思えない察し力の低さを発揮する。




「か、かわっ!?」




 そのくせこうやってちゃんと気持ちを伝えると、びっくりするぐらい動転してオロオロするから。


 それがたまらなく〝愛しい〟と思ってしまった大葉たいようだ。




(これからはちゃんと伝えていくか……)




 過去の恋愛では大葉たいようが黙っていても相手が一方的に〝好き〟だの〝愛してる〟だのささやいてくれた。




 だけど、今回の恋では――。




 それは大葉たいようの役目だと思った。






***






 倍相ばいしょう岳斗がくとから同僚の荒木あらき羽理うりの、恋心に起因する動悸について口止めされた法忍ほうにん仁子じんこは正直ムカムカしていた。




 上司から呼ばれて行ってみれば、「会議室で話しましょう」とわざわざ移動させられて。


 何の話かと思ったら、開口一番そんな言葉。


 羽理うりから『約束を破られた』と泣きそうな顔で言われていた仁子じんこは、岳斗がくとの言動に何となくカチンときて。




 思わず上司なことも忘れて彼に詰め寄ったのだ。


「羽理とのランチの約束をすっぽかしたって本当ですか!?」


 と――。


 だが、それに対する岳斗の反応は予想に反して「え?」という間の抜けたもので……。しかも二人でのランチはちゃんとしたと言う。




(どういうこと? じゃあ羽理が言ってた相手って誰なの? すっぽかされた約束ってなに?)




 仁子は混乱しまくって、すぐにでも真相を知りたくなった。


 でも、残念ながらそれは目の前の上司とは関係ない話のようだったから。


 仁子は羽理に直接聞こうと思ったのだけれど。


 それと同時、いくら上司に口止めされたからと言って……羽理に『あなたの不整脈は病気じゃなくて恋のときめきだよ?』と教えないのは〝友達として〟どうなの?とも思ってしまう。




「やっぱりちゃんと教えてあげよう」




 早退した羽理に様子うかがいのメッセージを送っておよそ三十分後くらいにそう決意した仁子は、善は急げとばかりに羽理に電話を掛けてみたのだけれど。


 携帯からは『おかけになった電話は電波の届かないところにあるか、電源が入っていないためかかりません』。


 そんな無情なアナウンスが流れるだけで、一向に繋がらなかった。

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