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第7話

 千鶴が去ってから、白蓮は揚々と書庫に飛び込んだ。厳格な雰囲気自体は分家のものとあまり変わらなかったが、蔵書の数は圧倒的にこちらが上なように思える。さすが、と白蓮はまたその頬を緩ませた。

 もちろん読めない本の方が多い。それでも本棚の海の波間を進んでいくだけで心臓が喜びに跳ねる。

 兄はいつも難解な書物を涼しい顔で読んでいる。白蓮はその兄から、「大人になればお前も読める」と言われたことがある。

 つまりは自分だっていずれどんな本も読めるようになるのだ。確定している未来が嬉しくてたまらない。

 兄。

 篁律己。

 頼りになる、素晴らしい兄だ――白蓮は彼のことを心から信頼している。本家の人間に対してとりあえずその名前を出しておこうと思うくらいには。

「えーっと……」

 白蓮は視界に入る無数の本に心を奪われながらも、どんどんと奥へ進んでいく。書庫内の案内はそれほど親切ではないけれども、分野ごとにはまとまっていた。

 彼女が探すものはただ一冊。

「信頼できる兄」が、ここにしかないと言っていた本。

 書庫には人がいなかった。外であんなに鍛錬に励んでいる人たちは、本は読まないのだろうか――と白蓮はふと考える。実力主義な陰陽師たちは、知識よりも実践の方を重視するのかもしれない。

(たぶん、思ってるほど時間がない)

 彼女は少しだけ焦っていた。その本を見つけた後もやることがある。高いところにはないと思うのだけれど――白蓮が棚の本の背表紙に「式神」の単語を見つけたのは焦り出した矢先のことだった。

 ここだ。

 白蓮は身を屈め、棚の下段の方を端から探し始める。

 目的は、『式神図譜』。


「お前にも見せてやりたいものなんだが」

 律己が、前にそう語っていた。

 本家の書庫にある、貴重な大判の絵図録だ。書名のとおり図録なので、子供でも眺められる。分家には備え付けがなく本家の書庫にあり、本家の子供達はそれで式神の何たるかを教えられるのが定番らしいという。

 白蓮が絵巻を面白そうに見ていたので、律己はふとそんな話を聞かせてやったのだ。

 大判なので、普通に考えれば棚の上の方にはない。白蓮が半ば祈るような気持ちで動かす視線は、やがてその書名をはっきりと捉えた。

(あった!)

 白蓮は多少苦労しつつそれを引き抜いた。ほぼ正方形に近い、思っていたより大判の本だった。端の方はぼろぼろになっていて、当たり前だがかなりの年代物だ。

 抜き出すと同時に埃が舞い、軽く咳き込む。本自体はしばらく取り出されていなかったらしい。

 抱えたまま開くには彼女は小柄すぎたし、近くに机もなかった。白蓮はやむなく本をそのまま床に置き、ぱらぱらと見てみる。律己が言っていたもので間違いなさそうだ。

 初めて見る絵たちに心を躍らせたくなるのをなんとか抑え、彼女は再び立ち上がる。図録を持ち上げる。

 持っていくだけなら、何とかなりそうだ。

 白蓮は来た道を真っ直ぐ戻った。もう迷いはない。何かに目を留めて立ち止まることもない。

 やるべきことは一つ。駆け抜けるかのような勢いで書庫を出た白蓮は扉もそのままに、先ほど通った廊下に出た。最も近い、目についたほうの襖を躊躇いなく開ける。

「すみません!」

 同時に声を上げたが、それは空振りだった。中は無人で、人の気配もないただの和室だった。本の束やら座布団やらが積まれていて、どうやら物置代わりのようだ。

 白蓮は止まらない。襖を閉め、今度は向かいにあった和室の襖を思い切り開ける。

「すみません!」

「……」


 中にいたのは、自分と同じくらいの歳の子供。


 小柄で美しい少年だった。彼は白蓮の兄のように、文机に向かっていた。

 兄と違うのは、素直に驚いているところ。素直にこちらを見て、そしてあからさまに警戒しているその表情。

 理性の色濃い瞳。濡羽色の髪。利発そうな顔立ち。

 急に目の前に現れた白蓮に対して、戸惑いを隠しもしない。

 白蓮が、ずっと、ずっと会いたかった存在だ。

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