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第12話

「晴臣って、凄いんだね」

 ぼけっとした口調に、晴臣はつい顔を上げた。今度は二人で潜る本家の書庫、その棚の前に並びながら白蓮が独り言のように口にしたのだ。

「何だそれ」

「私が晴臣の部屋に飛び込んだこと、まだみんなに怒られるんだよ。とんでもない無礼だったんだって」

 言いながらも書庫から離れないその目は輝きをまるで失っていない。夢見るようなその横顔を見て、晴臣は苦笑した。

「部屋に勝手に飛び込むのは誰にしても無礼だろ」

「でも、晴臣は怒らなかったよ」

「怒る暇もなかったんだ」

 拗ねたような口調になったのを晴臣が自覚したとき、白蓮はようやく彼を振り返る。にっこりとその口角が上がれば、もう何も言う気になれない。

 白蓮は晴臣の友達として定期的に晴臣を――本家の書庫を――訪れるようになった。毎回分家の当主である父を伴う訳にもいかず、やがて当然の帰結として彼女の兄や姉が付き添ってくるようになった。

 今も彼女の兄である篁律己が、本家付きの陰陽師たちと社交辞令的な会話を交わしながら妹を待っている。

「晴臣は、将来は高嗣様みたいになるの?」

「当主になるかってことか?」

 頷いた白蓮に、晴臣は少し考える。

「父様はそう言うけど、本当にそうなるかは分からないだろ。だから、出来ることは全部やっておかないといけないと思ってる」

「……うん。そうなんだ」

 白蓮がにこにこと話を聞いているので、晴臣はなんだか気恥ずかしくなってくる。

「白蓮は……やっぱり、陰陽師になりたいのか?」

 今日も式神関連の本を眺めているので、晴臣の疑問は当然だった。少女がそれに憧れているのだとしたら、何かしてやれないかと思って。

 けれども、白蓮は首を横に振る。

「なれないよ」

「分からないだろ」

「私が式神を使うのは無理だよ。でもどんな感じかなって思うんだ。式神が言うことを聞いてくれるって、いったいどんな感覚なんだろうって」

 白蓮は少し淋しそうに言う。彼女が紙に何を念じたところで、それが動くことはない。白蓮はどれだけ知識を蓄えても、天賦の感覚を今から掴むことはできない。

 晴臣は彼女を慰めるための言葉を持っていなかった。

「でも、『式神図譜』は面白かったよ? 式神を喚べたら、名前で縛るんだね。縛られた式神はそれを頼りに、何度でもその姿をとって意思を持てるんだ」

「……使ってみたいか」

「もちろん。陰陽師の戦い方っていろいろだけど、式神がすごく得意な人もいるでしょう? 話を聞いてみたいな」

 嬉しそうに言う白蓮を見ていたら、晴臣は説明しようもない切なさに襲われた。

 なんと言ったらいいのだろう――こんなに誠実に書物と向き合う人間に陰陽師としての才能がないなんて。

 信じられない、何故、と思う。

 ほんとうに高度な式神は、主人のことを一個人と認識して生涯かけがえのない忠臣となる。そんな友と呼べるような存在が彼女にいてくれたらと、そう思う心。

 それと、……自分も式神くらい扱えるのにという若干腹立たしい気持ち。

 どうやらこの子は、自分を「本の話ができる友達」として見たままでいるらしく、当主の息子として――当代きっての天才としては見ていないような節がある。

 もちろんまだ幼いけれど、晴臣にはすでに本家付きの陰陽師とだって渡り合えるほどの力があるというのに。

 まだ彼女の前で術式を披露したことがないからだろうと、分かってはいる。白蓮の切なそうな顔を一瞬で好奇心に満ちた笑顔にできるほどの式神だって、彼にはすぐにでも喚び出すことができるのに。

 そんなことを晴臣がふと思ったとき、鋭い声が上がって意識が一気に引き戻される。

「誰!」

「え?」

 白蓮につられて咄嗟に振り向いた晴臣にも、慌てて去っていく人影がかろうじて見えた。小さな影だ。一目散に逃げていく、――子供?

 二人は顔を見合わせ、追うタイミングは失われた。

「誰かがこっちを見てた。棚の陰から」

「怖いこと言うなよ。本家の誰かに決まってるだろ」

「でも、逃げちゃったよ? 書庫に来ただけなら、逃げる必要ないよ。それに子供だった」

 白蓮がこんな時ばかりすらすらと話すので、晴臣はなんとなく気圧されてしまう。そんな瞬間に白蓮と目が合えば、彼女は晴臣のほうへぐっと身を乗り出した。

「お、おい」

「本家付きになれるのって分家の優秀な若手の人だけでしょう? 子供は晴臣だけじゃないの?」

「……」

「あの子のこと、私見えたよ。すっごく綺麗な子。晴臣と同じくらいだった。あの子、子供なのにまさか、もう本家付き?」

「……お前なあ」

 深い溜息。実に子供らしくない仕草だった。

 白蓮は晴臣にとって初めての友達だが――好奇心旺盛な友達を持つと苦労するということを身に沁みて実感しているのだ。

 そして白蓮のよく回る口のせいで、晴臣には先ほど逃げていったのが誰なのかの見当もついてしまった。

 だから晴臣は話さざるを得ない。

 彼の、「初めての友達」になるかもしれなかったその子のことを。

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