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第18話

 確かに、踏み込んだ質問だったかもしれない。

 けれど白蓮にはまずいことを聞いた自覚がまったくなかった。だって式神とそれを縛る名はいつだってワンセットだし、陰陽師自身が主人として日頃から呼ぶものだ。隠されるようなことでは決してない。

 それなのに朔也は、その顔をいよいよ絶望で染めてしまっている。

 自分が何かとてもひどいことをしたような気になった白蓮は、何故と首を傾げた。

 彼女の知識によるところでは、こんな質問で相手が傷付くはずがないのである。

「あの……名前、は?」

 流石の彼女でも意味がわからず、ただ同じ問いを繰り返すだけになった。朔也はその無垢な瞳と疑問に晒され、――縋るように自分の式神を見た。

 物言わぬ狼。

 気弱で繊細な彼は、目の前に立つ人間のことがいつも怖い。自分の答えがじっと待たれていて逃げ場のないような状態ならなおさらだ。

 誤魔化す術も知らない。

 名前を答えればいいのだから、何を言えばいいかわからない訳ではない。答えることに抵抗があるだけだ。

 その抵抗も、いつまでも保たせることはできそうにない。白蓮も、自分の好奇心のためならいくらでも待つ覚悟があった。

 結果――胃が痛くなるような沈黙の後、朔也はぽつりとその名を漏らした。

「……剛牙」

「ごうが?」

 白蓮は、反射的に繰り返す。どういう字を書くかまでわざわざ聞き出した。

 銀狼を、また眺める。朔也に視線を戻す。朔也は今にも泣きそうな目でびくびくと白蓮の様子を窺っている。

 これほど美しい狼と美少年。この気弱さ。それなのに。

(似合わない)

 率直で、あまりといえばあまりな感想だった。

 そしてそれ以上に、白蓮には不思議で仕方ない。……なぜ彼はこんなにも不本意そうに名を明かしたのだろう?

 かっこいい名前だね。聞いてしまった手前、白蓮は疑問符でもついてしまいそうな上辺の相槌を打った。そして畳み掛ける。

「狼の式神は四体いるって聞いたよ。あとの三体は?」

「……!」

 なんで知ってるのという弱々しい呟きを、白蓮は申し訳ないと思いながら笑顔で黙殺した。

 じりじりと、爛々とした目で迫る白蓮。聞こえてくる名前にもまるで反応を示さない銀狼。閉まった襖が開けられる気配はまったくない。

 結局、朔也は四体の名前全てを白状することになった――本家当主の息子と引き合わされた日と同じくらいの苦々しい経験となったのは、言うまでもない。


 *


 剛牙。咆王。無我。闘雷。

 聞き出した四つの名前を並べてみて、白蓮は頭を抱えたくなった。

 あまりにも似合わないじゃないか。


 ――朔也が口を割るまでかなりの時間が掛かったので、白蓮の元へ使用人の迎えが来た。使用人はどこか困ったように眉をひそめながら、丁寧に頭を下げる。

 朔也も気まずさからか使用人の視線を避けようとしてか、それ以上は本当に何も語らなかった。

 どうやら使用人は兄の使いだったようで、白蓮はそのまま帰宅することになってしまった。

 帰りに慌てて式神関係の未読本を借りることだけは忘れなかったが。

 とはいえ屋敷に帰ってきても、この通り白蓮の興味は朔也からまったく離れていなかった。物思いに沈んでしまった白蓮を律己はいつものことと優しく放置したが、今度は姉のひとりがそんな彼女のもとを訪ねてくる。

「れんちゃん」

「姉さま」

 襖をひょいと開けたのは、二番目の姉――篁京香。大胆なショートカットが目を引く、目鼻立ちの立った活発な少女である。白蓮とは五つ違いだが、それでも長姉と比べればまだまだ幼い。

「兄さまが、れんちゃんはまた自分の世界に行っちゃったっていうから様子見に来たよ。帰り道もずっとぼけーっとしてたって?」

「ぼ、ぼけっとなんてしてません!」

「本当?」

 京香はからりと笑ってそのまま白蓮の部屋に入ってきた。白蓮は考え事をやめたくなかったのだが、――京香もまた式神使いであることに思い至った。

「姉さま、聞きたいことがあるんです」

「んー? うん。何?」

「姉さまは、式神にどうやって名前をつけましたか?」

「えええ」

 京香もまた才能ある者として生きている側の人間だけれども、彼女にとって陰陽術は「勉強」や「仕事」に近い感覚のものである。堅苦しく、修行に励まねばならず、常に自分の能力を周りに量られる。進んで考えていたいようなものではない。

 七歳の妹と純粋に遊ぶつもりだった京香は嫌そうな顔こそしたが、せっかく質問されたので答えてみる気になった。自分の式神のことを考える。

「どうやって、ねえ……」

 京香が相棒として最も信頼しているのは鹿の式神だ。とにかく移動が早く頼りになる。隠密行動にも向くし、立派に戦闘向きでもある――その名前は、林泉という。

「りんせん!」

 ぱっと顔を上げた妹の舌足らずな言い方がなんとも可愛く、京香はつい笑みが溢れた。

「なんで、その名前にしたんですか?」

「響きが可愛いでしょう?」

「可愛いです!」

「ね。これでも迷ったんだよ。名前で強さが変わる訳じゃないけど、気分ってあるものね」

 気分。白蓮は何度も話を聞きながら頷く。

 林泉――という名前を聞くと、森の中を静かに往く理知的な鹿の姿が浮かんでくる気がした。

「私も呼んでて似合うなと思える名前がいいし、式神だってちゃんと名付けてほしいでしょう」

「式神は名前が大切なんですよね!」

「よく勉強してるみたいだね、れんちゃん」

 いろいろ言葉を調べたりしてね。なんか懐かしいよね。

 京香に頭を撫でられ、白蓮は嬉しそうに笑った――姉が懸命に辞書で言葉を探している姿を想像したら、とても素敵なことだと思えたのだ。

 そんな姿を、朔也に当てはめてみる。

「……うーん」

「れんちゃん?」

 またしても難しい顔をし始めた白蓮に、京香は仕方ないなという目を向けた。この妹は自分よりずっと小さく無邪気なのに、妙に大人びたところもある。

 ふと見ると――いつも、なにかを考えているようだ。

 白蓮の机の上に積まれたたくさんの本。何かと思って見てみれば、それは全て式神関連の本だった。

「れんちゃん、式神使いになりたいの?」

 向けられた当然の疑問には、白蓮は首を振った。もちろん横に。

「でも、式神は使ってみたいんです」

「……?」

 式神使いと、式神を使うことは何が違うのか。京香はよくわからない物言いの意味を聞いてみようかと思ったけれど、そのまま言葉を呑み込む。

 白蓮は幼い。不思議なことを言って、よく周りを戸惑わせている。小さい子なんてそんなものだ。

「頑張ってね、れんちゃん」

「はい!」

 白蓮は姉を明るく見送り、今聞いた話を忘れないようにしながら読書へ取り掛かる。

 ――知りたい。自分が抱いている違和感の正体を、どうしても知りたい。

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