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第21話

 八束重富は、鬼のように強い陰陽師だ。

 大柄な体躯、太い腕。強力な式神の使い手でありながら、素手で戦っても強いのではと影で囁かれさえするほどの大兵である。

 朔也は母親によく似てひどくたおやかな少年だったから、重富はいつも息子のことを頼りないと心配していた。自分の逞しさを継がなかったことを残念がることもあった。

 けれどもそれと同時に、息子が素晴らしい才能を持っていたことを誇りに思ってもいた。

 紛れもなく大切で、自慢の息子。

 だからこそ――彼は息子に天才としての道を歩んで欲しかった。

 かつて本家に肉薄するほど栄華を誇った八束の家。その当主の息子として史上最年少で本家付きとなり、本家出身の者たちを押し除ける未来を夢見た。

 悪意のない無骨な愛情ゆえに、重富は息子を急かした。それが結果的に悲劇に繋がった。


「……この子たちに名前を付けろって、言われたんだ」

 核心を突かれて、朔也は何だか身体の力が抜けたように感じた。

 狭い部屋にしばらく流れた沈黙。そして狭い部屋に気づけば子供三人が詰まって正座していることに気付いたら、だんだん可笑しくなってきてしまったのだ。

 篁白蓮。篁晴臣。

 目の前の二人ともが妙に真剣な顔でこちらを見ているのだ。なんだこれは?

 朔也はやがて小さく笑う――そしてまた同じタイミングで怪訝な顔をした二人を前に、ついにそう打ち明けた。

「うん」

「父様から……」

 初めて狼をその手で喚んだ時、朔也はあまりに幼かった。今でさえ小さな子供なのだから当然だ。

 重富は少しでも早く式神を安定させるため、息子に名付けを迫った。力の安定のため。お前自身のためでもあるのだと。

 ――朔也は自分の式神が愛おしかった。

 自分の心に応じて顕現した存在。自分のもとへ来てくれた友達であり味方。銀狼たちと初めて目が合った時、心が震えるような感動を確かに味わった。

 子供ながらに、朔也は自分の式神への愛を自覚した。

 守らなければいけない、もっとも大切な存在。式神にとって名前が大きな意味を持つことも、その時知った。

 一生呼ぶことになる名前だと、正しく理解した。

 父親に名付けを迫られようと、彼を慕って見つめてくる狼たちの名前を一朝一夕などで決められるはずがなかった。

 そして非情なことに幼すぎる朔也には、間違いなく自分が抱く愛情に見合うだけの語彙がなかった。この愛おしい存在を定義する言葉の候補さえ、彼は見つけることができなかったのだ。

 朔也の才能は格別だった。

 はっきりとした名前で定義されなくとも、狼たちは何度も朔也のもとで形を取り、その拙い言葉にも従い――八束の者たちを驚嘆させた。

 朔也がしっかりと名付けたいと願う誠意を感じ取っていたのだとしたら、美しい話だけれど。

 だが――本当のことなど、誰にもわからない。

 狼がいつ姿を見せなくなってしまうか、誰も知ることは出来なかった。宝石のような才能の発露が塵と消えてしまうのかもしれないと重富が思うのも、無理はなかった。

『たくさん調べて、一番いい名前をつけてあげたいんだ』

 そんな息子の健気な心を待ってやる余裕も、さほど長くは保たなかった。

 幼い子供が一生を共にするものの名前を決め切るのに、どれほど待たねばならないのだろう。その前に式神が存在を保てなくなってしまったら。

 重富は焦った。

 悪意はなかったが――焦って、だから見誤った。

 たおやかで、繊細で心優しい。そんな何よりも大切にしなければならなかった息子の精一杯の拘りを見誤った。

『名前なら、この私が考えてやろう。その通りに呼んで、早く存在を定義してやることが式神を大切にすることにもなる』

 幼い朔也は、自分の肩を掴んで語りかけてくる父に反論するための材料を――持っていなかった。

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