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第23話

 白蓮が口にした方法は、確かに晴臣にしかできないことだった。

 晴臣は父の部屋を訪れてこう言ったのだ。

 朔也と親しくなった。彼も式神の扱いに慣れてきたと言っている。もうすぐ一年が経つが、朔也を分家に戻すようなことはしないでほしい。

 分家当主の猛烈な推薦があったものの、本家に来てみたら振るわず帰される者は珍しくない。

 その目安が一年程度であることを晴臣は知っていたし、白蓮にも話した。だからこその提案だった。

 それでも、子供の言うことだ。

 高嗣は非道な父親という訳でもない。彼は息子に言われて久々に朔也のことを思い出したようなレベルではあったが、本家付きの陰陽師と自分の息子が親しくなったことを素直に喜ばしいと思う心も持っている。

 大して疑問にも思わず了承し、――息子が最近ちらほらと自分に提案してくるようになったな、とふと思った。

 そして、それだけだった。

 時間の猶予を手に入れた朔也を白蓮は書庫で連れ回した――名付けの材料を探すためだ。

 とはいえ本家にはやはり陰陽道の書物がほとんどで、思うようにはいかない。どんな名前を付けたいのかと聞いた白蓮に、朔也はしばらく考えて言った。

「星の名前を」

 朔也は縁側から眺める星空が好きだという。視界を満たす星の名前を知ることを願っていたけれど、八束の家にそんな術はなかったと。

「陰陽師と星々は、確かに関係が深いけど……」

 相談を受けた晴臣は微妙に難しい顔をした。子供が読めて式神の名前の候補も探せる星の図鑑となると、本家には備えがなかったのである。

 白蓮はこんな時にしか役に立たない自分の立場を存分に利用することにした――つまりは、自分の父親に甘えたのだ。

『星の勉強がしたい。本家で聞いた式神の名前の由来を知りたい』

 才能の欠片もない娘がそう言ってきたのを聞いて、父である貞明は涙しそうになった。なんと健気で哀れな娘か。

 毎回違う図鑑を次々と抱えて本家にやってくる白蓮を、晴臣と朔也は驚きながら迎えた。

「おまえ……すごいな」

「父様がすごいの。すごく熱心に選んでくれたよ」

 にこにこと話す少女に、つられて晴臣が笑う。

 父親に買わせているなんて、自分が負担を強いているようなものでは。そう考えてしまって朔也が戸惑ったようにするのを、その度に白蓮は見咎めた。

 彼の目を見て、笑う。

「絶対、素敵な名前を付けようね! 朔也」

「――う、うん」

 子供三人が散々に書物を広げ合うには、朔也の部屋は狭すぎた。晴臣は気付けば自分のほうから口にしていた――俺の部屋を使えばいいよ。

 そんなことをしているうちに、朔也の目には少しずつ無邪気な輝きが戻っていった。


 子供たちの名付けがすべて終わったとき、誰からともなく息を吐いた。その時晴臣の部屋は達成感と静けさに満たされた。

 良かった、と、晴臣も心から思った。そして彼はふと白蓮のほうを見る。

「それで、白蓮」

「なに?」

「名付け直しって、どうやるんだ?」

 白蓮はもっともな問いを受けて微笑んだ。にっこりと、それは可愛らしい笑顔。そのまま首をこてんと傾ける。

「おい」

 軽く刺々した声を上げてしまい、朔也が止めにかかった。晴臣は気弱な少年の慌てっぷりを見てさすがに冷静になり、大丈夫だ、悪い、と首を振る。白蓮は微笑んだままである。

「いや、でも――手記があったんだろ」

「名付け直しのことは書いてなかったんだ」

「中途半端な本だな……」

 古の知恵になんともな評価をしつつ、晴臣は考える。相応しくない名前を付けたら言うことを聞かなくなった――そして名付け直したというのは、ある意味自然なことなのかもしれない。

 個人の手記とは時に不親切なものなのだろうと、晴臣はなんとなく学習する。

「儀式みたいなものだし、星の言葉から頑張って考えたんだし、絶対夜にやりたいんだけど……」

 白蓮は何かを考え込むようにする。朔也も晴臣も、そんな彼女を見てすぐに手なり首なりを振った。

「おまえが夜出てこられるわけないだろ」

「そうだよ。危ないよ、白蓮」

「んん。そうかなあ」

 もう二人は理解していた。この少女ならば、式神の「名付け直し」を見るために家族の目を盗んで分家の屋敷を抜け出しかねないということを――そしてそんなことは二人ともに本意ではなかった。

「夜は妖が出るし、巡回任務もある。駄目だ」

「うーん。でも、朔也は目立ちたくないでしょう?」

 気遣うような声も、朔也にとっては後押しにしかならなかった。自信を取り戻しつつある彼にとって、白蓮に危険を冒させるようなことは到底受け入れられないのだ。

「大丈夫だよ」

 晴臣は、そんな朔也の横顔を見て思わず言葉を失いそうになった――あれほど怯えていた彼が、これほど変わるものなのか。

「晴臣、本家の庭を使ってもいい……かな?」

 まだ窺うような声であっても、確かに目が合う。そういえば自然に呼び捨てられるようになったなと思いつつ、晴臣は頷いた。

「本家付きの陰陽師だろ」

 ――そういられたらいいな。朔也は本来持つ賢さが滲むような穏やかな笑顔で応えた。

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