「姉さま、姉さま!」
朔也と晴臣が準備をしてくると言うので、白蓮は本日の付き添いである千景のところへ戻った。
千景は本家付きも間もなくと言われるような立ち位置で、高嗣とも定期的に話をしに来ている。今日はもうそれも終わり、白蓮の「遊び終わり」を本を読みながら待っているところだ。
「白蓮。お友達はもういいの?」
妹の姿を見て本を閉じた千景の質問に、白蓮は満面の笑みで首を振る。
「まだです! 姉さま、庭に来てください。きっとびっくりします」
「ええ? 何があるの」
「朔也が式神を名付けるんです。すっごくもふもふの狼たちに!」
「もふ……?」
無邪気な白蓮の笑顔は置いておいて、千景には言われたことの意味はともかく状況が理解できなかった。
千景も本家付きの陰陽師たちとは一定の交流があるが、朔也――という名前を久々に聞いたのだ。
「白蓮。その子って、本家の?」
「はい! 友達です!」
千景は話したことも、その姿を見かけたこともない少年。史上最年少で本家付きになったという天才。
本家に鳴物入りで来たはいいけれど、こちらではまったく力を発揮できずに捨て置かれているとか……。
他の若手陰陽師たちからもなんとなく憐れまれ、遠巻きにされて居場所がないような――そんな存在。
(友達?)
聞いていた話とすぐに結びつかない。この妹の輝くような笑顔はなんだろう。友達というのも驚いたし、それに、式神を名付けるとは?
「私も、これから見に行きます。いいものがきっと見られるから」
「……あ、白蓮。待って。私も」
千景は駆けていこうとする白蓮を見て、慌てて続いた。妹は笑って姉の手を引く。そんな微笑ましい光景にも、千景はなんとなくざわざわとしたものを感じてしまう。
(いいものって、何?)
白蓮は笑っている。
彼女に手を引かれて、ほぼ走るような勢いで庭に出た千景は異様な光景を目にした。
最初に視界を覆ったのは人だかり。庭で修行をしていた若手陰陽師たちが集まってきたらしい。
「朔也を見にきたんだ。みんな」
白蓮の呟きに、つい妹を見下ろす。
普段と違う空気に戸惑いながら、すみませんと言いながら人混みを抜けた。白蓮もするするとついてくる。
人集りの先頭と少し間を取ったところに、一人の少年が立っていた。
――初めて目にした、八束朔也の装束姿。
伏せられた目元。その奥にある光を見ずとも、彼が放つ気配は眩しかった。
千景は思わず息を呑む。
なんと美しい少年なんだろう?
朔也は少し居心地悪そうにしていた。庭へほとんど出たことのない朔也が正装で現れたのだから、周りからの視線の突き刺さり方は半端ではなかった。
姿勢良く静かに立つ姿は幼い子供には似合わないものだ。不自然なのに、それでもなぜか目を引いた。
誰も話しかけはしないけれども、自然と人集りができた。朔也は今でも内心逃げ出したくて仕方ない。
でも――それより。
間違ったものを正そうとしている。朔也は謝り、お願いする立場だ。
(きっと正装でないと式神は向き合ってくれないだろう)
もし適当な甘えのまま臨み、新しい名を受け入れてくれなかったら――そんな恐怖の方が、ずっと上だった。だから精一杯心を奮い立たせている。
かつて尊重できなかったもののために。
償うために。
「白蓮……」
「朔也!」
千景の声掛けは少し遅かった。白蓮はその場に姉を残して友達のほうへ駆け寄る。晴臣の姿がないので辺りを見回す白蓮を、朔也はほっとしたように見た。
「白蓮」
「人が集まってきちゃったね。大丈夫?」
「わからない」
白蓮はきょとんと彼を見上げ、こちらを見返す朔也とぱっと目が合って驚いた。
晴臣は、と尋ねることも忘れた。
声はまだ頼りない。人集りの方は見ないようにしているようだ。
それでも、表情は凪いでいる。
「でも、もうがっかりさせたくないんだ」
朔也の側にいるのは、白蓮ひとりだった。
他の人間が遠巻きに見ていた距離を白蓮だけがするりと抜けた。朔也もそれを見咎めたりしない。
近くにいてと、その目が白蓮に願う。
朔也、と、白蓮が囁くのと同時に――彼の手がふわりと動いた。
その場に顕現した四体の巨狼は、こころなし今までよりも大きくなっている。
彼らの期待の証だったらいい。
白蓮はもはや確信しながら、両方の目をしっかりと開いて――その瞬間を見届けようとしていた。
(見捨ててなんかいない。大丈夫)